第07話 捨てられたモノたち

 僕が一夜を共にした公園のベンチから身を起こすと、ゴソゴソという音に混じってやけにかすれた低い声が聴こえる。


「おし……あったあった」


 ベンチの下から現れたのは、小汚い服を厚着した中年の男性であった。彼は目深に被ったニット帽から鈍く光る瞳を覗かせ、その手に持った空き缶やペットボトルを大きなゴミ袋に詰めていた。


「……おう、兄ちゃん、悪かったな、起こしちまって。だが、春とはいえ夜は冷える。安易にベンチで眠ろうなんて、素人のやることだ。まあ、そんな小奇麗な恰好した兄ちゃんに分かる訳もなかろうが……」


 彼はそう言いながらそのベンチを後にする。僕が見るともなく見ていると、彼は公園の中を歩き回り、捨てられているペットボトルや空き缶をひたすら集めているようだった。


「あの……」


 不思議に思った僕は、公園を後にしようとしているその中年に駆け寄り、声をかける。


「ん、どうした? こんな落ちぶれたおっさんに用があるってのか?」


「どうしてそんなものを集めているんですか? ゴミ拾い……でしょうか?」


「う~ん、兄ちゃんにはそう見えるかもしれねえが、これはれっきとした生きていくための手段なんだ。野暮は言わないでくれよ」


 彼はそうして僕に背中を向けて歩き出す。その時すでに朝日は青い空の中にあり、街を行く人並みも増えてきた。


 ぐぅ~


 街が目覚めたのを感じ取ってか、僕のお腹も音を立てていた。そうだ、僕は昨日の朝、家を後にしてから公園の水しか口に入れていなかった。しかし、何か食べようにも、食べ物も、その食べ物を買うお金すらも持っていなかった。そんな時、僕はさっきの中年の動作を思い出す。そうか、彼はあれを生きていくための術と言っていた。恐らく彼は、ゴミを拾う振りをして、地面に転がっている小銭を拾っていたんだ。そうに違いない。その時の僕はそう思い込んでいた。そして、僕は小銭を探す旅に出る。


 しかし、探せど探せど小銭など存在しない。やはりさっきの中年が拾い集めた後だったのだろうか。思い返せばペットボトルや空き缶も全く転がっていなかった。そんな時、パンパンになったゴミ袋を大量に積んだリヤカーを引く人物を見付ける。それは先程の中年男性であった。僕はその後ろをなんとなくつけて行くことにした。


 しばらく歩くと、男性は工場のような場所にリヤカーを引いたまま入っていく。僕が息を潜めてその様子を観察していると、男性はリヤカーに積んだゴミ袋を工場の職員に引き渡し、何かを受け取っているようだった。それがお金であろうことは、工場から出てくる彼の表情を見ればなんとなく想像できた。


(そうか、ペットボトルや空き缶を集めれば、お金になるんだ)


 僕はその足で、まずは大きな袋を探しに行く。僕は昨日ほっつき歩いていた時に見かけた、河原に不法投棄されているゴミ袋に目をつけた。それを片付けるふりをして、袋を頂戴しようという算段だ。僕は夜中のうちに街灯の下で、ゴミ袋の中身を移し替えて、5つのゴミが入った袋から、空の袋2枚と、パンパンになった袋3つを作り上げる。中身はテープが入った長方形の箱であった。昔は録画メディアとして使われていたと、どこかで見た覚えがある。


 そして僕はゴミ袋にペットボトルと空き缶を集め始める。探してみれば意外とその辺に転がっているものだ。昼頃になると、2つの袋は満杯になり、今にも破裂しそうなほどになっていた。僕はそれを引きずらないように持ち上げ、例の工場に持ってゆく、しかし、僕を待っていたのは予想だにしない対応であった。


「そんな、どこの誰だかわからない人が集めたものは受け取れないよ」


 そんなバカな、ではあの中年男性はどこの誰だかわからない人ではないというのか。


「えっと……ペットボトルと空き缶ですよ? 誰が持ってきても同じじゃないですか? ここではこれを使っているんですよね?」


「そりゃリサイクルすることは可能だ。だけど、そのペットボトルが他人から盗んできたものだったりしたら信用問題だよ。だから、知らない人からは受け取れないんだ」


「でも……」


 僕が口ごもっている時、工場の門から例の中年男性が入ってくる。僕の相手をしている工場の職員は、僕の肩越しに顔を少し上げ、その男性に声をかける。


「おう、ヤスさん、おつかれー」


「おつかれー、って、誰だいそいつは?」


「いやー、ゴミを受け取ってくれって言われて困ってたところでさー」


「そうか……ってお前、あんときの兄ちゃんじゃないか!」


「……あ、はい」


 僕はなんとなくバツが悪くなり小さい声が更に小さくなる。


「もしかして、兄ちゃんがゴミを集めてたのか? 道理で今日は収穫が少ないと思った」


「ヤスさん、この人知ってるのかい?」


「いや、良くは知らねえが、公園で顔を合わせて少し話してな」


「そうだったのか……いやあ、今知らない人からはゴミは受け取れないって断ってたところでさぁ」


「そうか……なあ、兄ちゃんよぉ、俺は見ての通りの浮浪者だ。家族ももういない。だがな、そんな俺だって死ぬのは嫌なんだ。だから、こうやって、ここの工場長の厚意に甘えさせてもらってるんだ。本来俺がやっているようなことは、仕事でもなんでもないんだよ」


「そんな、ヤスさんは今までも立派に仕事をこなしてきた、俺はそのお礼がしたいだけなんだよ。リストラなんてことにならなければ今でもヤスさんはここで……」


「そう言ってくれるのはありがたいがな、もう俺たちのような人間は用済みなんだよ。代わりにここではロボットたちが働いているだろう? そっちの方が効率的なんだから、経営者としてはそっちを取るに決まっている……それに」


 ヤスさんと呼ばれた男性は言葉を詰まらせる、そして一瞬僕の目を見て息を飲む。


「それに……?」


「それにな、このゴミ拾いという仕事とも言えない仕事にだって、機械化の波は容赦なく訪れる。そうなったら俺は何をすればいいのかわからない……もともとリサイクル工場なんてものは、採算が取れないものなんだよ。政府のお目こぼしで経営が成り立っていた。しかし、大規模な機械化により、リサイクルはより効率的になって、その上、資源の枯渇も騒がれるようになって、ここの収益も目に見えて向上した。だが、その後に待ってたのは大規模なリストラだったんだ……だからな、俺たちはみんな機械に食い扶持を潰されるのを黙って見ているしかないんだよ」


「そ、そうなんですか……」


「ヤスさん、すまねえ! 俺が機械化なんてものを承知したからに……!」


「そう言うなって。工場長と言う立場なら、独立採算を夢見るのも無理はねえ。それにな、俺もこんな生活をするのは来年の春までだと思ってる。それまで耐えれば……」


「それまで……って何があるんですか?」


「ん? 知らねえのか? 来年の4月になれば、独りで利益を貪っているような奴らから、たんまりと税金が持っていかれるようになる。それでな、俺たちの暮らしは支えられるんだ。俺たちだって、食うに困らない金があるんだったら、どんな新しい技術だって身に着けられる。それまでの辛抱なんだよ」


「そうだな……ここの経営者だって……」


「ははははっ! 工場長! それは言っちゃいけねえ! あんたはその経営者に雇われている立場だ」


「わはははっ! そうだな! うっかりしていたぜ」


「「あっはっはっは」」


 僕はそんな2人の笑い声が遠ざかっていくのを感じた。そして――


「おおっ! 兄ちゃん、どうしたんだ!」


 ――薄目を開けると視界には蛍光灯の眩しい光。どうやら僕は、どこかの部屋の中で目を覚ましたようだ。

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