第06話 追放と徘徊

 月詠ツクヨミさんを見送った悠季ユウキさんが戻ってくる。僕はその日、我が身に起きた突拍子もない出来事にあっけに取られたまま呆然と一日を過ごした。そして、次の日の朝がやってくる。


 ピンポーン♪


 玄関のチャイムの音が鳴り響く。


 ピンポーン♪


 再び鳴り響くチャイム。僕は2回目のチャイムを聴いたことがなかった。それは、普段であれば悠季ユウキさんが真っ先に対応するからなのであった。


 ピンポーン♪


 三度鳴るチャイムに、僕は慣れない手つきでインターホンの応答をする。


「はい、天海アマミですが」


天海アマミ様ですね。お届けものに参りました。玄関までお持ちしますので、解錠願えますでしょうか?」


「あ、はーい」


 僕は悠季ユウキさんがたまに対応しているのを見ていたためなんとか解錠することができた。そういえば、月詠ツクヨミさんは急にやってきたけど、どうやって入ってきたのだろうか――そんなことを考えてると、配達員の方が玄関までやってきた。


「いやー、広いお屋敷ですねえ。譲っていただきたいくらいです」


 僕はそんな配達員の冗談に付き合うことも無く、その手に持っている書類にハンコを押す。


「押しましたね……?」


「へ……?」


「今あなたは、私が『譲っていただきたい』と口にした時にこの書類にハンコを押した。これがどういうことかおわかりでしょう?」


 配達員らしき人が手に持っている書類をよく見てみると、そこには、「全財産をムーンライトカンパニーに譲渡する」と書かれている。ムーンライトカンパニー、はて、そんな会社、どこかで聴いたような――その時、配達員の後ろから、女性と思しき声が聴こえる。


「あーっはっはっはっは! 押したわね! 今押したでしょう!? これであんたの財産は全て私のものよ!」


 それは昨日もそこに現れた月詠ツクヨミ珠彩シュイロさんだった。彼女は勝ち誇った顔で僕を見下している。


「ええっ、なにそれ? どういうこと?」


「天野菜音ナオト! あんたに選択権を与えるわ! 今すぐ財産ごと私の下僕……いいえ、兄貴になるか、それとも無一文でこの家を出て行って路頭に迷うのか! さあ、どっちにするのっ!?」


 僕はたじろぎながらも彼女に負けじと反抗の台詞を口にする。


「……選択権を与える? そんな権利が君にあるのか? こんなやり方詐欺じゃないか! 無効だ! 認められない!」


「そう? じゃあどうするって言うの? こっちには押印されている書類があるのよ? 騙されたなんて言って聴いてくれる人がいて?」


「……べ、弁護士に相談するっ!」


「ふーん、あんた、弁護士を呼ぶ手続きの仕方知ってるんだ? じゃあ好きにするといいわ」


「ぐっ……」


 僕は片手に持ったスマートフォンに指を滑らせるが、その画面の左上には小さく「圏外」と表示されている。


「えっ、どうして……」


「あはははっ! どうせ弁護士に相談する手順を検索するつもりだったんでしょ? あんたの財産は全部私が頂いたんだから、即刻止めさせてもらったわ!」


「そんな……ん? いや、さっきから気になってたんだけど、僕の財産はムーンライトカンパニーって会社に差し押さえられたんだよね? なんで君が手に入れたかのように振る舞ってるの?」


「そんなの簡単よ! ムーンライトカンパニーがうちのパパの会社だからよ! 私はそこで独立部門を持っているの!」


月詠ツクヨミなのにムーンとライト……ライトって『write』の方なのっ!?」


「ふふふ、今更気付いたのね。そう、私はこの国最大のネット通販企業、ムーンライトカンパニーの社長令嬢なのよ!」


「自分で令嬢とか言ってる……恥ずかしくないのか……」


「うっさいわね! とにかく、もうあんたの財産は全て私のものなのよ! さあ、これでわかったでしょ? 返して欲しければ、私の下僕になるのよ!!」


「ぐっ……」


「いままで裕福な環境で、全てを使用人に任せていたんでしょ? そんなあんたにひとりで生きていくことなんてできないでしょう? 弁護士を呼ぶなんてもってのほかよ!」


「……うわああああああああんっ!」


 僕はその時、泣きながら着の身着のまま外に駆け出していた。


「……予想外だったわ。まあ、お腹が空いたら戻ってくるでしょ」


菜音ナオト様は犬か何かだとお考えですか? 珠彩シュイロ様」


「あら、あんたまだ居たの? それと、その喋り方止めなさいって言ってるでしょ」


「はい、かしこまりました、珠彩シュイロ様……じゃなくて、わかったよ、珠彩シュイロちゃん」


「それでいいのよ」


「でも、戻って来なかったらどうするの? 事を急ぐと元も子もなくしてしまうよ?」


「……その時はその時よ」


 僕は全力で走った――が、5分後には奪われた屋敷の門の前まで戻ってきていた。塀によじ登って恐る恐る中を覗くと、玄関の扉の前に月詠ツクヨミさんが腕組みをしている。僕も男だ。今更おめおめと戻れるものか――その時、屋敷の門が開く。


菜音ナオト様、何をなさっておられるのですか? それではただの不審者ですよ?」


「ああ、悠季ユウキさん、って……その服は?」


 彼女はメイド服から果音カノンと同じ学校の制服に着替えていた。


「私も追い出されてしまいまして……ちょっと思うところもあるので、しばらくお暇をいただくことにしました」


「おひま?」


「親戚に少々伝手がございまして、そちらの方にお世話になろうかと」


「そ、そうなんだ」


「それでは菜音ナオト様、失礼します」


 彼女はそう言って去って行った。そして、僕はと言えば、玄関の前に立っている月詠ツクヨミさんを見ていることしかできなかった。彼女は周りの大人たちに指示をして、僕の家を片付けているようだった。僕は彼女のような気の強い女性には苦手意識を持っている、いや、妹以外の女性はみんな苦手だ。そのため、こちらから歩み寄ることなどできるはずはなかった。


 その後、僕は着の身着のまま街をほっつき歩き、公園の水で喉を潤したりしながら、昼頃には外出ってのも悪くないもんだなと思い始めていた。しかし、日が暮れてくると肌寒くなってくる。コンビニに避難してはみたが、しばらく佇んでいると、外の寒さより店員の冷たい視線の方が僕にとっては耐え難いものになっていた。僕は仕方が無く、公園のベンチに座って一夜を明かすことにした。しかし、一日の疲れからか、瞼が重くなり、徐々に閉じて行く。気付いた時には僕はその目に昇ってくる朝日を映していた。そして、ベンチの下からはなにやらゴソゴソという音が聴こえていた。

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