一七、始動

 俺は、その実体化した物を目の前に。遠く彼方に置いてきた記憶が蘇る。それは、祖母の笑顔。俺の姿とそれを見て、べんべ、べんべと頻りに連呼していたのを思い出す。はぁ? 三味線がどうかしたん? 祖母はそれを指して三味線の擬音を連呼した。俺は、流石満州帰りのハイカラなばあちゃんと思った。

 はぁ? 満州ってどこだっけ?…。誰かが俺を呼ぶ。呼んでいる。 



「ヒトロク様!」「「使徒殿!!」」「ヒトロク様!」と、皆が呼ぶ声。


 俺を呼ぶ声が現実に引き戻す。目の前にあるのは、巴威製九丁。そんな名前だったかぁ? と思いながら、単車に跨る。反射的に取っ手に両手を掛ける。聞いたこともないような高周波的な高音とともに左右に大きく振れる振動を感じる。思いがけず始動させる指を戻し、原動機を止める。



「「使徒殿!!」」「ヒトロク様!」の呼ぶ声に振り向く。

「スマン。思わず我を忘れたな」

「ヒトロク様、これはいったい。それよりまして、妖術でこのような物をお出しになさるとは…」と、キュハァスが驚きを表す。

「いや、これはヨウジュツ? そうでは無いと思う」

「さすがは使徒殿だけはある。驚かされましたぞ。これはいったい…」

「まぁ、俺の馬だな。移動の足の問題は、今解決した。なんだかようわからんが…」



 キュハァス、クゥィングォやルォゥミュ、他の鬼たちクル族やロム族が俺の周りに集まる。俺は胸が高鳴り心躍る愛馬から降りると、皆に告げる。


「時間の問題もおそらく解決だ。なら、決まりだな。二十騎の盗賊は今夜潰す。そのあとは陽が昇り次第、直ちに北至鉄路に向かう。まぁ、俺たちは予備戦力だな。北至鉄路上で待機だ。仮に人攫いが抜けてきても迎え撃てるだろう?」

「今夜、我らで二十騎の越境盗賊どもを襲うと申されるか」と、ルゥォミュ。

「使徒殿、少し待たれよ」と、クゥィングォが続く。

「夜襲になにか問題があるのかぁ?」

「これから向かえば陽はとうに落ちておる。棄て去られた誰も居らぬ街、夜は見通しが効かぬ。」

「なるほどね。夜戦装備なしかぁ。夜討ち朝駆け。なら、夜襲はオレに任せろ、考えがある。俺は先行して無人街に向かう」

「ヒトロク様、おひとりで向かわれるのですか?」

「問題ないだろう。開拓水道は棄て去られた街に向かてんだろぉ? クゥィングォ」

「そうであるが、我らはいかにすればよいと申される」

「できるだけ早く向かってくれ。着けばわかるだろぉ? また、ルォゥミュの配下が居るだろぉ? そいつらに訊けば状況を把握できんだろぉ? なぁ、ルォゥミュ」

「承知。なれど、早い馬のミュゥランを付け申す」と、ルォゥミュ。その後ろでミュゥランが小さくガッツポーズをとる。ミュゥラン、なんだその仕草。

「了解。ミュゥラン、ついてこられるかぁ?」

「おまかせあれ」と、ミュゥラン。その後ろで、キュハァスがわたしは?◉◉◉◉◉をアピールしているが無視する。

「それから、この後の暗闇での不意の遭遇に備えて合言葉を用意しよう。『山』と言えば『川』でいいか」と、俺は『稲妻』『雷鳴』とも考えたが、短い合言葉を選ぶ。

「『山』と言えば『川』とな、分かり申した。二十騎を追跡する配下の者たちへも伝え申す」

「あぁ、よろしく。ルォゥミュ。それから打ち漏らしがいるかも知れん。朝駆けは頼む。明け方なら闘えるのだろぉ? クゥィングォ」

「任されよ」「分り申した」



 皆が解散し、自分たちの馬に向かう。俺は愛馬に目を向け改めて細部を眺める。この後輪の片持ち、たまらん。と眺めていると、小さな声で話すミュゥランとキュハァスの声がする。が、何言っているか分からん。声の方を向いて声を掛ける。


「どうかしたかぁ? ふたりとも、何だ」

「使徒殿…」「ヒトロク様…」と、此方をむくミュゥランとキュハァス。


「ヒトロク様、わたくしも…」と、言いかけるキュハァスをミュゥランが遮る。

「西堺道の文官様。ここは我ら追捕衆にお任せを」

「セイカイドウ? ってさっきも聞いた単語。ブンカン? 何だそれ」

「使徒殿。キュハァス様は新堺大宰府、西堺道の文官様なのです」

「おいおい、また、耳馴染みあるが、知らない単語が並んでるな。なんだ、ミュゥラン」

「ですから、新堺大宰府の中でも上から数える方が早い高貴な方なのです」

「太宰府? オレの実家の方にもあんぞ、その地名」

「使徒殿、新堺大宰府は地名ではありません。…」と、言葉を詰まらせるミュゥラン。

「ヒトロク様。新堺大宰府はこの地新領域をまつりごとを掌るところですわ」

「あぁ、地方行政機関の大宰府の方か。で、高貴って事は公家なのか、キュハァスは」

「使徒殿、キュハァス様は確かに公家でございますが、ここは位階の事でございます」

「ほぉ、そんなお偉いさんが…」と俺が言いかけると、キュハァスが遮る。

「ヒトロク様、わたくしも…」とキュハァスが言いかけると、今度はミュゥランが続ける。


 ミュゥランの言葉はキュハァスに向けられ、俺には何を言っているのか分らない。次第に二人の口調が激しくなり、今にも取っ組み合いになりそうな雰囲気を醸し出す。途方に暮れ、辺りを見回すが皆自分たちの馬に向いて此方に向きもしない。なんとなくだが、皆敢えて此方を向かない空気が漂っている。

 なるほど、そういうことかぁ。そういうこと、なんだなっと、自分に言い聞かせ愛馬に跨る。俺は負い紐に首を潜らせ、小銃ブルパップを銃口を上に向け前に回す。そして、始動させる。甲高い音とともに左右に振れる鼓動が始まる。右手首を下に押し込むようにひねる。すると圧縮された排気が解放される。鼓動の間隔が狭まり、排気音が大きく拡がる。おぉ、この振幅。たまらん。

 俺は、二人に顔を向け告げる。


「キュハァス。ドゥルァ迎館ドゥランの館で待ってろ。

それからミュゥラン。遅れるなよ。

三味線ライダー、べむゔぇ。いきまぁ~す」



 俺は防盾眼鏡を取り出し、双眸を覆う。右手首を押し込むように少しひねる。圧縮された排気の解放間隔が短くなり、心地よい振動が躰に伝わる。一段踏み込み、制動を緩めて左手の指先から力を抜く。動力の伝達を知覚して徐に右手首を捻る。重低音の振動を体に受け止める。いざ、発進っ。


「「#$%&!?」」


 何やら、ミュゥランとキュハァスが声を上げるが、もう知らん。無視、ムシだぁ。俺は大気を躰で受け止める。

 加速。俺は風になる。さらに加速。おぉ、これぞ駆け抜ける喜び。クゥィングォを視界に捉える。肩の力を抜き、股を締めて膝で上半身を保持する。


「クゥィングォッ! 先に出る。無人街でっ」と、俺は声を張って右手を上げる。クゥィングォも手を上げて応える。視界の隅でクゥィングォが後ろに流れていく。


 上半身を少し傾け大きく左に回り込んで、土手を左手に迎える。土手に対して角度を浅くし、右手首を押し込む。これぞ、グレート・エスケープ! 土手を駆け上がる。あっ、女王息子はこけるんだっけ! 土手を登り、右手首を戻す。

 土手の頂上を進み、暫く地平線を堪能する。この開拓水道が地平線の彼方に続く。少し腰を浮かせる。何処までも続く平原。少し視点を上げたくらいでは、変わらない。無人街でも見えるかと思ったが…。

 土手を下り、嘗ての開拓水道の底を駆ける。水道の底は干上がって久しい。硬い路面が続く。しかも、なだらかに均されている。手首を戻して段を上げ、気持ち手首を押し込む。それを繰り返し、体に受ける風を強める。躰に受け止める大気を強めるとともに、伝わる振動が細かく刻まれる。



 暫くの間、水道の底を駆け抜ける。充分速度を堪能したが、如何せん景色が単調だ。そろそろ、追ってくるはずのミュゥランも気になる。再び土手を上がる。陽も大夫傾いてきている。また、暫く土手の上を駆け抜ける。土手の上も単調な景色で疲労が蓄積する。

 両膝を締め、手首を戻し惰性で進む。腰を浮かして背を伸ばす。両腕を広げ風を受け止める。

大気を受け止め後ろに引かれるように、進みが緩む。腰を落とし、上体を保持して制動を掛ける。


 俺は愛馬から降り、腰を伸ばす。陽の傾きは、沈むまでまだ暫くは時が掛かる。気になるミュゥランを目を凝らして探すが見当たらない。背嚢から回した管を口に運び、水を口に含む。口をゆすいで吐き出す。辺りを見回すが、周りの情景に動くものは無い。今度は背嚢から双眼鏡を取り出す。もう一度全周を双眼鏡を通して見渡す。まだ、動くものは見当たらない。

 周囲に動くものが無いのを確認して、胸の衣嚢ポッケから日の丸意匠の包みを取り出す。包みを指で弾いて、そこから一本摘まみだす。それを口に咥えて、胸の衣嚢を検める。冷たい金属の感触を探り当て取り出す。それを右手に持ち、手首を効かせせて乾いた金属音を響かせる。灯した炎を掌で覆い、口元に近づける。一息、口に含む。紫煙を徐に押し出す。今度は深く含んで、大気とともに肺に送る。


「至福の直撃」と、俺は紫煙を吐く。


 暫く、至福を味わいながら躰の筋肉を弛緩させる。再び背嚢からの管を口に運び、今度は喉を潤す。何度か喉を潤し、五臓六腑に行き渡らせる。辺りを見回すが、周りの情景に動くものは無い。今度は背嚢から双眼鏡を取り出す。もう一度全周を双眼鏡を通して見渡す。まだ、動くものは見当たらない。

 もう一本に火をともしたところで、土手に腰を下ろす。紫煙を吐きながら、周り、土手の前方、後方、水道の底の前方、後方を度々見渡すが、相も変わらず動きが無い。


 …


 四本目に指を掛けたところで、ようやく水道の後方に動きが見える。黒い点が勢いよく疾走している。手にする持ち物を胸の衣嚢に押し込み、首から下げた双眼鏡で検める。あの切りそろえた前髪は女青鬼ミュゥランだ。全周を双眼鏡を通して再び検める。ミュゥラン以外動きは無い。双眼鏡を背嚢へ直す。小銃ブルパップの被筒を掲げて、負い紐を頭越しに左から右肩に移す。銃把を掴んで右に移した負い紐を張る。右膝をつき、腰を落とす。暫く立膝の姿勢で土手の上から銃を構えて、近づく相手を待つ。

 干上がった開拓水道の底に馬蹄が響く。こっちに気づき速度を緩める騎馬。俺は安全装置を人差し指に感じ、小銃を近付く相手に指向する。


「山っ!」

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