〇四、天蓋

 覚醒する感触。左半身に温もりを感じる。左腿にはまとわりつく柔らかな重み。胸から首にかけて巻きつく暖かな感触。

 覚醒する感覚。左腕の痺れを知覚する。全身へ意識を向ける。爪先の感覚。右手の感覚。左腕は痺れて半ば感覚がない。

 覚醒する聴覚、耳元で寝息が聞こえる。

 覚醒する意識。右手の指先に意思を伝える。その意思に反応して、指先が動く。

 覚醒する嗅覚。気だるい甘い香りが鼻孔を擽る。瞼を意思を持って開く。

 覚醒する視覚。視界に広がる薄暗い天井。暫く、薄暗い天井を眺めながら黙考する。直に感じる人肌の温もりに目を向ける。黒髪の人物が寄り添っている。



 左腕の痺れを思い出し、左に半身を切って左腕を抜き出す。そこで、その人物がオンナであることを認知する。

 続いて、彼我ともに躰に何も纏っていない事を視覚に捉える。辺りを見回し、体を起こす。

 すると天井から柔らかの明かりが灯りだす。天蓋のある寝台の上にいる。辺りを見回すうちに、オンナが目を覚ます。



「お目覚めになられましたか」と、当たり前の様に訊いてくる。

 その声は何処か不思議と吸い込まれるような澄んだ柔らかい声。その声に意識が向かう。



「お目覚めですか」と、改めてオンナが問う。

首肯してそのオンナの表情を見つめる。



 このオンナも何処か雰囲気が普通じゃない。そんな考えが頭をよぎる。オンナが躰を起こして、此方に身を寄せる。耳元で囁く。


「湯あみになさいますか。それとも私ともう一度手合わせ致しますか」

「湯あみにする」と、応えて後半の問いは聞かなかったことにする。

「あら残念。湯殿は右手の奥に御座います」


 俺は立ち上がり、寝台の脇机にある肌着を手にして湯あみに向かう。


 随分と大きな湯舟に一人でつかり、瞼を閉じる。湯の温もりが全身に染み渡る。久しく、湯につかっていなかったと思い出す。そこで、我に返った。何気に会話が成立している・・・・・・・・・ことに。改めて俺は「ここは何処だ・・・・・・」と、心で呟き、これまでの出来事を思い起こす。



 目の前に広がる喧騒。異様な大男達。逃げまどう子供達。棍棒から放たれる火の玉。此方に向かって棍棒を振り上げる大男。引き金を絞る指先の感触。空を舞う血しぶき。排除した大男達。ネコの様な子供の顔。ぬるいお茶。未来的な質感の半球の建物。『ニャァマ、アァニャ』と口にする子供達。大男の虚ろな瞳。馬蹄の響き。右頬に三つ編みを垂らす騎乗の男。近づく妖艶な女の顔。

 そこで傍らに気配を感じて、気配に向かって目を開く。そこには身を寄せてくるオンナの顔があった。



「湯加減は如何ですか。ヒトロク様」と、オンナが俺の脇に腕を回しながら耳元で囁く。

 俺は、その手を優しく掴んで脇から剥がす。そして、オンナの躰から離れて背を向ける。



「つれないですわ。ヒトロク様」と、オンナが俺の背に向かって零す。

「オレは、ヒトロク・・・・なんて呼ばれた記憶はないが」

「ホント、何も憶えていらっしゃらないのですね」

「いいや、その呼び名に抵抗を感じるだけだ。キミの名は?」

「わたくしは、キュハァスと申します」

「その響きは愛おしいと感じるが、どこか意味深だな」

「お褒め頂光栄です」

「いや、別に褒めてない」

「あらそうですの。昨夜はあれ程に心が通じ合ったというのに」

「昨夜?、何の話だ」

「あら、お惚けになって。ヒトロク様はお人が悪いですわ」

「しかし、随分と流暢な日本語だな。何処で覚えた」

「ニホンゴ?、何をおっしゃっていらっしゃるのやら」

「オレの耳に日本語にしか聞こえないが」と、思わず振り向いて立ち上がる。


 彼女も俺の形相に驚いた様子で立ち上がる。その立ち上がる艶めかしい姿を目にして視線を逸らす。やばい、トランスフォームする。彼女に背を向け、慌てて腰から湯に浸かる。顔が熱い。寸でのところで回避した、できたと思う。

 すると彼女は、背後から俺の背中に体重を預けて胸に両手を回す。充血が止まらない。トランスフォームが始まる。続いて彼女が耳元で囁く。



「ヒトロク様ぁ」と、彼女の甘い声が心に響く。


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