第22話 勧誘
結果から言うと、アダミはヒゲに敗れた。
速さもパワーもあるヒゲに一歩及ばなかったものの、アダミの善戦に場内は大盛り上がりだ。やまない拍手と歓声は、小柄な身体でここまで勝ち上がって来たアダミに対する称賛だろう。
アダミは悔しそうな表情を滲ませてアリーナを去った。
しゃー! スカウトだー!
「しばらく休憩です」
シャルトエリューズ伯に声を掛けられて頷く。
「馬上槍試合の前にお花を摘みに行ってきますね」
「場所は分かりますか?」
答える前に斜め後ろに控えているユーゴの顔をちらりと見ると、ユーゴが答えた。
「あ、分かります」
そうしてユーゴと2人でボックス席を出た。
「アダミ、小さいのにすごいね~」
「速かったですね。パンチも良い所に入っていましたし」
「へ、パンチ?」
「2回戦で顎に入ってました」
え、マッチョとの試合? そんなの見えなかったんですけど……
種目の合間に済ませようと考えるのは皆同じらしく、お手洗い付近は非常に混んでいた。
「ここで待っています」
「うん」
女性の観覧者が少ないおかげで中は割と空いていて、すぐに用を足し終える事ができた。
う~ん、落ち着かない……
連れて来てもらっている身で勝手な行動をするのは良くないと分かってはいるけど、全部の試合が終わるまで待っていたら他の貴族に先を越されてしまうかも知れないと思うと落ち着いていられないわ。やっぱりこのままアダミの勧誘へ行こう。
そんな事を考えながらお手洗いを出ようとすると、後ろから声を掛けられた。
「あの」
振り返ると、貴族の夫人に付き添って来た侍女といった雰囲気の女性と目が合った。
「大事な指輪を落としてしまったんですが、見かけませんでしたか?」
「いえ、見ませんでした」
答えて立ち去ろうとすると、なぜかその女性は食い下がる。
「でもあの」
何だ?
不審に思っていると、さらに不審な事を言い出した。
「一緒に探して頂けませんか?」
「無理です」
「え」
「え?」
断わった事に驚かれ、こっちが驚いた。
「じゃ」
ぽかんとしている女性に一声掛けお手洗いを出て、すぐ近くで待っていたユーゴの所へ戻る。
「お待たせ。選手の控室へ行こう」
「控室……ですか?」
「うん、アダミをスカウトする! どうやって行くの?」
「選手用の出入口は……ここからだと一旦外に出て回り込んだ方が早いですね」
「じゃそうしよう」
「むさ苦しい所ですが大丈夫ですか?」
「平気平気」
あたし達は朝入ってきた出入口とは反対側にある裏口から外に出て、建物の外周を歩く。
闘技場の地下の高さにある選手用の出入口は開け放たれていて、選手や馬が出入りしている。中へ入ると、カビと砂埃と汗と若干の血の臭いが漂うそこは、高い天井の上部にしか窓がなくて薄暗く、殺伐とした雰囲気だ。
女性は1人もおらず明らかに場違いなあたしは、選手達に好奇の目を向けられている気がする。それでも気にせずユーゴの横できょろきょろしていると、大会関係者と思われる男性から声を掛けられた。
「お嬢様、どなたかお探しですか?」
「はい。決勝に出たアダミに会いたいんですけど」
「では呼んで参りましょう」
「ありがとうございます」
しばらく待つと、推し君アダミが現れた。
おお、瞳はワインレッドなのね。近くで見てもやっぱり綺麗な顔だし可愛いわ。
でもアダミはあたしに目もくれず、隣のユーゴを見て驚いている。
「ユーゴさん……?」
「そうだけど」
ユーゴの顔には『どこかで会ったっけ?』と書いてある。
「少しお話しませんか」
あたしは2人の会話に割って入った。
「はい」
不思議そうに了承したアダミを連れて外へ出る。
「私はジェイドバイン侯爵家のカロリーヌ・ピーコメックです。こちらは私の護衛のユーゴ。あなたはユーゴをご存じなの?」
「俺が初めて見たノーコギーで優勝したのがユーゴさんだったんです。すげぇ強くて格好良くて、俺も絶対出場して優勝するぞって決めました」
アダミは嬉しそうにそう言う。
ほう。滑り出しは好調だわ。
「じゃああなた、ユーゴと一緒にうちで働かない?」
「ユーゴさんは宮殿で働いてるんじゃないんですか?」
「元はそうだったんだけど、王城からうちに来てもらったの」
「俺は……いいです」
「え!」
ここまでの流れで、OK以外の返事が返って来るとは思わなかったので驚きの声が出た。
「王城より働きやすいしお給料も多いよ?」
「俺、来年も出るんで」
「じゃあうちで働きながら来年も出場させてあげるよ」
「でも俺、騎士として宮殿で働きたいんで」
「そうなんだ……」
うちで働く場合お金の面での問題はないけど、目的がそれじゃどうしようもないわ。優勝したら出て行ってしまうんじゃ意味がないし。
ユーゴの顔を見ると、困っている様だ。
「平民が王城で働いても苦労するし、こんな良い話なかなかないぞ」
一緒に説得してくれるらしい。
でも彼の意志は固かった。
「すんません……」
「あなた今おいくつ?」
「15歳です」
ノーコギーの参加資格は15歳以上だから、初挑戦だったのね。それなら諦めきれないのも仕方ない。何年もやってみて駄目だったという事であれば諦めも付くだろうけど、ここで止めたら未練が残りそう。
「ところで、何で騎士になりたいの?」
「え? ……格好良いから」
アダミは気恥ずかしげにぼそっと答えた。
「女の子にモテたかったりする?」
「そりゃもちろん」
はいアウトー!
「分かったわ。頑張ってね」
「はい」
アダミと別れ、来た道をとぼとぼ戻る。
うちの子にする気満々だったのに……
「振られちゃった」
平民はみんなお金に困っているだろうと考えていた傲慢な自分に気付かされたわ。
「王城の兵士なんて外から見て思う程良いものではないんですけどね……」
「まぁどっちにしても女性にモテたくて騎士を目指してるなら無理だったね」
「そうですね。そういう意味ではアダミの2回戦の相手が良いんじゃないですか?」
「あ、やっぱそう思う?」
「声を掛けてみますか?」
「う~ん……」
あたしはあの瞳の色が気になっていた。
オスカーに会った時はこの人しかいないと思ったものだけど、もしかしたらヒロインを暗殺するのってアダミなんじゃないだろうか。
アダミがノーコギーで優勝すれば王城勤めになり、同じく王城勤めのマダムと接点ができる。聖職者のオスカーよりも騎士になったアダミの方が適役だ。
ゲームのフィリベールルートで厄介なのは高い確率で殺されるという事で、フィリベールの好感度が上がるにつれ、ヒロインが命を狙われる頻度が増していく。そして、ちょっと選択をミスっただけで死ぬ。さらに、フィリベールが実力重視となった後の近衛師団に護衛と捜索をさせたにも関わらず、最後まで実行犯が捕まる事はなかったのだ。
小柄で素早いアダミであれば、近衛師団を出し抜いたり逃げ切ったりするのも難しくはないだろう。
でも、アダミがマダムに協力する動機が分からない。
お金より栄誉を重んじるタイプみたいだし、大金を積まれたところで犯罪を引き受けたりするだろうか。ただ、今現在は困っていないというだけで、これからお金が必要になる事はあり得る。
他に考えられるのは、何か弱みを握られて脅される……とか?
いや、よく考えたら、マダムの旦那さんの家系にはオスカー以外にも赤い瞳を持つ人がいるだろうし、オスカーでもアダミでもないという可能性はある。珍しい色ではあるけど、他にいない訳ではないのだ。
それに、ゲームの中の犯人がオスカーだったとしても、既にあたしと接触したこの世界のオスカーはマダムからヒロインの暗殺を頼まれても断るだろう。もう既に未来を変える行動を取っているのだから、今後マダムが他の人間に依頼するという用心もしておかないとならない。
つまるところ、現状は実行犯の予測が不可能だ。
くそー。やっぱり首謀するマダムを止めないと駄目か……でもどうやったらあたしが婚約を解消するのは自分の意思だと理解してもらえるんだろう。いっそ、マダムに本当の事を話してしまうべき?
『マダムの殺人計画が失敗すると私が修道院に幽閉される事になります』
……説得力が無さ過ぎる。まだ殺人を企てる気なんて全くないであろうマダムにこんな事を言ったら、頭のおかしい子だと心配されてしまう。
結局は、学園に入学後フィルがヒロインに恋するより先に、あたしが恋人を作って幸せになるしかないという所に落ちつくのか。
でもそもそも、あたしは恋ができるんだろうか。キスどきゅで一押しだったアルマンはあんなだし。なのにあたしが学園で恋をできるか否かにヒロインの命が掛かっているなんて、荷が重すぎる。
それにヒロインの命が助かったとしても、あたしが冤罪を受け入れなければ捜査が終わらず、瞳の色から足が付いていずれ実行犯が捕まる。そうなれば芋づる式にマダムも捕まってしまうかも知れない。
恋ができなければ、修道院に入るかマダムが捕まるかの2択……何だこの、勝手に爆発する時限爆弾を持たされた感じは。
どうしよう、すごく不安になってきた。何もせずにはいられない。
「アダミの事を調べてくれない?」
「彼の何をですか?」
「家とか仕事とか家族とか、恋人がいるのかどうかも」
「え……」
言葉に詰まったユーゴの顔には『惚れちゃったの?』と書いてあって、あたしは慌てて否定する。
「違う! そういうんじゃないから! 訳は言えないけど大事な事なの!」
「……分かりました」
「1人で戻れるから、早速行って来て」
「はい」
今のところ実行犯の手掛かりがゼロとはいえ、可能性がある以上調べておくに越したことはないだろう。
「あ、いや待って。1度席まで一緒に戻ってくれる?」
「分かりました」
危ない危ない。この流れ、誘拐されるやつじゃん。どこの世界においても危機管理意識の低いヒロインは、こうやってうかうかと1人になるのよね。
そうして元いた席に着き、ユーゴは調査に向かった。
でも……ユーゴに諜報なんてできるかな。
「混んでいましたか?」
シャルトエリューズ伯に声を掛けられ、首を振る。
あたしとシャルトエリューズ伯の間の席は空いていて、ここにいるはずのアルマンはどこかへ行っている様だ。
「女性用はそうでもなかったです。アルマンもお手水ですか?」
「ええ。途中で会わなかったんですね」
真っすぐ戻らず外に出ていたとは言えない……
「はい」
あたしのごまかしの笑顔によって会話がひと区切りついたタイミングで、馬上槍試合の開始を知らせるラッパの音が鳴り響く。
馬に乗った選手が2人入場し、一騎討ちの戦いなのだと分かった。
選手は全身が甲冑で覆われていて、兜も顔面を完全に覆うタイプの物だ。
……イケメンかどうかが分からない。
離れた場所で向かい合った選手は、審判の旗の合図と共に相手に向かって馬を走らせた。馬の足音が響き砂埃が舞う。
加速し狙いを定める両者は、攻撃可能な範囲に入るとほぼ同時に槍を突き出した。片方の選手は盾で槍を受け流したものの、もう片方の選手は受け流された勢いと相手の槍を避けた後の体勢の悪さでバランスを崩して落馬した。
1回戦目はあっという間に決着がついた。
これ……馬に当たったらどうすんのよー!
人間はいいわよ。自分の意思で出場しているんだから怪我をするのだって自己責任よ。でも、連れて来られた馬はいい迷惑じゃない!? しかも人間は鉄の鎧を着ているくせに、馬に掛かってるのは薄っぺらい布1枚ってどういう事よ。あんなの防具じゃなくて装飾品じゃないの!
そうしてあたしは、馬の無事を祈るという事だけに集中した。
2回戦目が終わり、馬が無傷でほっとしていると、シャルトエリューズ伯が周りを見渡している。席を立って歩いて行くその背中を目で追うと、戻って来ていたらしいユーゴが出入り口付近にいて、シャルトエリューズ伯が何か話し掛けた。
あたしも席を立ち、ユーゴの所へ向かう。
「――でした」
「そうか」
「一緒にお探ししましょうか?」
「いや、君はカロリーヌ嬢についていてくれ」
「分かりました」
シャルトエリューズ伯はボックス席を出て行った。
「おかえり。伯爵何だって?」
「アルマン様が戻って来ないそうです」
「そっか」
迷子になって戻れないのかしら。でもその辺で馬でも見て「すげー!」とか言ってそう。
「というか早かったね。アダミの方はどうだった?」
「家はラプソンで商家の長男だそうです。戻ったら飲みに行く約束をしました」
「おお! でかしたね!」
「ありがとうございます」
この様子だと本人に直接聞いたらしい。思ってたのと違うけど、よく考えたら悪い事をしている訳じゃないし、こそこそ調べる必要はなかった。結果オーライね。
「恋人はいないそうですよ」
ユーゴの顔には『よかったね』と書いてあり、眼差しは優しいオスゴリラだ。
「だから違うって!」
すると複数の足音が聞こえて来て、見れば大股の急ぎ足でシャルトエリューズ伯がこちらに向かって来る。後ろには数人の兵士を連れていて、ただならぬ雰囲気だ。
「カロリーヌ嬢、別荘へお戻りください」
「どうしたんですか?」
「アルマンの靴が落ちていました。何か事件に巻き込まれた可能性があります」
「え」
シャルトエリューズ伯の手に視線をやると、男の子の靴を1つ持っている。
「君に何かあったらご両親に申し訳が立ちませんからすぐに。この者に馬車を手配させます」
険しい表情のシャルトエリューズ伯はそれだけを伝えに来たのか、踵を返す。
「あの!」
あたしは慌ててシャルトエリューズ伯を呼び止めた。
「手掛かりになるか分かりませんが、怪しい人はいました」
「どんな男ですか!?」
「いえ女です。お手洗いで声を掛けられました」
「女……? 怪しいというのはどういったところが?」
「指輪を探して欲しいと言われたんです。でもその人、流行遅れの部屋着を着てたんです」
伯爵は意味がよく分からないといった顔つきだ。
貴族の女性が着る服は大きく分けて4種類ある。寝巻き、昼のお出掛け用、夜会用、家の中用の部屋着だ。
家の中用のドレスは素材が麻で、刺繍や装飾がなく地味なのだ。そして、しばらく着ると、お下がりとして侍女に与えられる。
侍女も貴族女性ではあるけれど、女主人より良い服を着てはいけないという暗黙のルールがあるので、ちょっとしたお出掛けであれば家の中用ドレスで帯同する事が多い。
でもあの女の着ていたドレスは時代遅れで、お母様の侍女のドミニクや、あたしの侍女のアメリーが何年も前に着ていた様なデザインだったのだ。女主人としては自分の侍女が流行遅れのドレスを着ているのはみっともない事なので、高位の貴族ほど頻繁にお下がりのドレスを与える。だから彼女の雇い主は高位貴族ではない事が分かる。
相手を知る上で、まずは着ているもので判断するのが貴族の世界だ。今日は動きやすい様にシンプルなデザインを選んだけど、それでもフィルの作ったドレスは素材が良いし高級感がある。だから他に人がいるにも関わらず、呼び止めてまで下位貴族の侍女があたしに物探しを手伝わせるなんて普通はあり得ない。
あたしだって時間があって相手が変な人でなければ一緒に探してあげるくらいの良心は持ち合わせている。でもあの時、漠然とだけど関わってはいけない様な妙な不快感があって、逆に時間がなくて良かったと感じた。相手に対してというより、自分自身の良心に対して、断る口実と手伝えない事情がある事にほっとしていたのだ。
今になって振り返ると、あの女の狙った獲物に食い下がって来る様な態度と目は……ぼったくりバーの客引きによく似ている。
「他にも人がいたのに、王太子殿下から頂いた素材の良いドレスを着ている私に、侍女が探し物を頼むなんておかしいなと思ったんです。だからたぶん、貴族ではない人が貴族の振りをしているんじゃないかと思います。アルマンも物探しを手伝って欲しいと声を掛けられて連れて行かれたかも知れません」
虚を衝かれた様子だったシャルトエリューズ伯は、納得した様に数度頷く。
「なるほど……犯人が女性というのは盲点だ。すぐに手配します。特徴は?」
「ドレスのベースは水色の麻で、襟と袖と裾だけ濃いベージュになっていました。髪型はオールアップのお団子で、色は栗毛、宝飾品は付けていません」
「ありがとう。では急ぎ別荘へ」
「はい」
シャルトエリューズ伯は兵士達に指示を出し、来た道を急いで戻って行った。
「参りましょう」
残った兵士の1人に先導されて歩きながら、あたしはユーゴの顔を見上げる。
「大変な事になったね……」
「ですね……」
しかしアルマンよ……お前はヒロインか!
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