第7話 門番
春になり、今日は宮廷の庭園でのお茶会に参加している。
気配を消すという特技をすっかり身に付けたあたしは早々に席を離れ、遠すぎず近すぎないベストポジションに腰を下ろす。持参した本に目線をやり盗み聞きを開始すると、隣にフィルが来た。
「キャロル何読んでるの?」
「歴史の本だよ」
読んでないけど。
ちなみに、下手に童話とかを読むと他の子にどんな話なのか聞かれたりして面倒なので、こういう場では子供が興味なさそうな本を選ぶ事にしたのだ。
「へ~」
フィルも興味がなかった様で何よりだ。
盗み聞きの邪魔をされるかと思いきや、フィルはおとなしく横に並んで座っている。見ると女の子達のドレス鑑賞に励んでいた。
さては、あたしといれば他の子に話し掛けられなくて済むから楽なんだな?
「カロリーヌ様と殿下は仲がよろしいのですね」
利害の一致によりお互い自由な時間を過ごしているだけだけですよ。
この声はフロロックス伯爵夫人だ。
盗み聞きの基本は相手の顔を見ない事。あたしは最近、声だけで相手が判別できる様になってきた。
「ええ。殿下は我が家へもよく遊びに来てくださっておりますの」
これはお母様だ。
「まあ、通りで自然体でいらっしゃる訳だわ」
王子ほったらかして読書しているのがそう見えるなら御の字です。
「カロリーヌが今日着ているドレスも殿下がプレゼントして下さったのですよ」
「とっても可愛らしいドレスですわね」
フィルが着るともっと可愛いんだけどね~。
「ええ、他にも可愛いドレスを頂きまして――」
帰りに馬車で城門を通過する時に何気なく外を見て、我が目を疑った。
「止めて!!」
あたしの大声で急停止した馬車を飛び降り、1人の衛兵に走り寄る。
日本猿とゴリラのハーフの様な顔立ちに、猫の様な目とおちょぼ口……間違いない。
「ママ!!」
「え?」
会いたかったよぉ~!
あたしは彼に抱き着いた。
涙が溢れて来る。
「うわーん! ゆうこママぁ~」
「あ……あの……」
ゆうこママはあたしの恩人。
自分のセクシュアリティに悩んでいたあたしは、大学受験の為に上京した際、ゲイの聖地に足を踏み入れた。けれどまだ夕方で開いている店はなくて、ただ街を歩いただけ。許されない自分の存在意義みたいなものが見付かるかも知れないと思っていたけど、現実はサラリーマンや女の子も歩いている、飲み屋の多い普通の街だった。
ドキドキも虚しく、がっかりしたあたしは、明日に控えた入試の為にホテルに帰ろうと思ったものの、開店前の店のドアの横に貼ってあった求人の張り紙に何となく惹かれて足を止めたところで……
「アンタうちで働きたいの? あら可愛い顔してるじゃない」
その時あたしに声を掛けた男性がゆうこママだ。
店のオーナーだというその人に招かれ中に入ると、そこは客が5人入ったら満員になる様な小さなバーだった。話を聞いてくれた後「受験なんてやめてうちで働けば?」と言ったゆうこママに「よろしくお願いします」と即答した。高校を出て普通に大学に入って就職するという流れに疑問を持っていたから、迷いはなかった。
反対する親を何とか説得して、上京。家はゆうこママがアパートを用意してくれて、寮として住まわせてくれた。
店は小さかったけど、ママのトークで連日満員で、すぐに大きいお店に移転する事になり、その時ゆうこママは何とあたしをチーママに抜擢してくれたの。
自分を偽る必要がないという解放感を始めて手にして、やり甲斐のある仕事にも恵まれて、今まで感じた事のないくらい楽しい毎日だった。
だいぶ経ってから、そういえばどうしてあの時雇ってくれたのかと聞いたら「随分思いつめた顔してたからね」って言ってたっけ。ゆうこママはあたしの居場所を作ってくれた人なのよ。
同棲していたホストの彼氏に、自分のお店を持つ為の資金を全部持ち逃げされた時だって、慰めてくれた。「あんな男さっさと別れなさい」ってずっと言われていたのに。
そして高級繁華街に新しく出す2号店のママを任せると言ってくれた。ずっと2人で準備して、もうすぐ開店って時に……たぶんあたしはいなくなった。
この世界に来て最初に考えたのはゆうこママの事だ。もし死んだのだとしたら絶対迷惑をかけたし、凄く悲しませたと思う。
そのゆうこママが! 今ここにいる!!
「キャロル! 何してるの!!」
「お嬢様!」
慌ててやってきたお母様に引き剥がされそうになり抵抗する。
困惑する大男、泣きながらママと叫んでしがみつく令嬢、おろおろする侍女と他の兵士。傍から見たら異様な光景だ。
「ユーゴ! 何をしている!」
ユーゴ!?
騒ぎを聞きつけて来た、兵士の上官がゆうこママを叱責した。
「違う! 違うの! 彼は悪くない!」
あたしは必至で弁解する。
「あなたうちで働かない!?」
突然のスカウトにお母様もびっくりだ。
「何を言っているのキャロル!」
「お願いですお母様! 彼をうちで雇って! 私の護衛に!」
「無理に決まっているでしょう!」
「いーゃー!」
抵抗も虚しく、大人達に引き剥がされたあたしは馬車に乗せられ帰路に就いた。
くそ~。お母様が駄目ならお父様だ。
邸に着いてすぐ、どんなに遅くても構わないから、お父様が帰ったら知らせて欲しいとスチュアートに言い含める。
さほど遅くない時間に帰って来たお父様は、あたしの部屋に来てくれた。
「話があると聞いたが?」
「はい。一生のお願いがあります! お城の兵士のユーゴを私の護衛に雇ってもらえないでしょうか?」
「どういう人間なんだ?」
「分かりません……」
見た目はゆうこママなんだけど、中身は違ったみたいだしね……
「分からないのになぜその兵士がいいんだ?」
「見た目が気に入って……」
嘘は言っていない。
「う~ん。城に勤める兵士と言っても身元や階級は様々だからな……うちに来いと命じたからと言って通るとは限らないぞ?」
「お給金を奮発してあげてください! 私が大きくなったら返します!」
「キャロルがそこまで言うなら調べてはみるが、本人が嫌だと言ったら諦めなさい。いいね?」
「はい。ありがとうございます! お父様大好き!」
あたしはお父様に抱き付いた。
数日後、朝食の席でお父様はユーゴについて教えてくれた。
「彼は平民の出だそうだが、ノーコギーの団体戦で最優秀者に選ばれた翌年、剣のトーナメントで優勝して騎士に叙任されたらしい」
ノーコギーとは兵士の技量を争う競技会の事だ。色々な種目があり、馬上槍試合や剣による1対1の試合、2つの陣営に分かれて行われる団体戦などがあるらしい。軍事演習の為の模擬戦闘とはいえ、死者が出る事も珍しくないと聞く。
「すごいですね」
ゆうこママがまさかの
「護衛としては申し分なさそうだ。彼に話してみたところ、今日からうちに来る事になったぞ」
「本当ですか!? さすがですねお父様!! ありがとうございます!」
お父様仕事が早い!
その日の午後、我が家へ来たユーゴを応接間に通した。
「座って」
「いえ、私はこのままで」
「いいからいいから」
立ったままでいいと言うユーゴを何とかソファに座らせる。
「改めまして、私はカロリーヌ・ピーコメック。よろしくね」
「ユーゴです。よろしくお願い致します」
「この度は無理を聞いてくれてありがとう。今更だけど……大丈夫だった? 私にはよく分からないのだけど、もしかして兵士にとって王城で働くのって名誉な事だったりするんじゃない?」
「そうですね……田舎の家族は喜んでいました。でも騎士という階級を頂きはしたものの、平民出の私はこの先出世することもありませんし……」
あぁ、騎士には貴族の次男とか三男が多いからね。
「ですから田舎の家族の為にもお給金がたくさんもらえる方が有難いのです。旦那様は今までの倍のお給金をくださると仰って下さいましたし、お嬢様には感謝しています」
「そう、それなら良かった」
お父様も何だかんだ言って娘に甘いわね……
「それにお嬢様は王太子殿下の婚約者でいらっしゃいますから、ゆくゆくは王城勤めに戻る事になるのでしょうし、気になさらないで下さい」
あ~ゴメン……王太子妃にはならないんだよね。
「ご家族はどちらに?」
「南の方で農民をしています。今は雇われなので、今後、農地を買ってあげられたらと思っております」
「じゃあ最低でも年に1回は里帰りできる様にするわね。もし土地にこだわりがないのならヘリオストロープ公領かジェイドバイン侯領の農地に越して貰うのはどう?」
その方が融通が利きそうだ。
「有難いです」
「あなた読み書きはできる?」
「いえ……全く」
「ではまず私の家庭教師のマダムから読み書きを教わってちょうだい。あと計算もできた方がいいわね。馬車は扱える?」
「いえ、騎馬しかできません」
「じゃあそれも教わってね。あ、大事なこと忘れてた! あなたお酒飲める?」
「はい……人並みには。あの……私の仕事はお嬢様の護衛と伺っていますが…?」
「そうよ」
肯定されたところで、どうにも腑に落ちない様子だ。
「なぜ私を雇って頂いたのでしょうか?」
……ゲイバーの事はまだ言わない方がいいわね。
「お世話になった人によく似ているのよ。でもちゃんと仕事もしてもらうわよ!」
「分かりました」
「最初のお給金が入ったら夜、ラプソンの街を飲み歩いてくれる? 出勤は午後からでいいわ」
「……はい?」
あたしはずっとうずうずしていた。そして耐えられなくなった。
「ちょっと待ってて!」
自室に行って目的の物を持ち、応接間に戻る。
「お願い! これ付けて!」
ユーゴに渡したのは赤い口紅だ。
ゆうこママはいつも赤い口紅を付けていた。なのに同じ顔のユーゴが口紅を付けていない事に違和感しかなかったのだ。
……普通は逆だけど。
「いいんですか……?」
おや?
嫌がるかと思ったのに意外な反応が返って来た。しかもお嬢様の持ち物を使っていいんですかというより、男の自分がそんな事して許されるんですかという感じだ。
これはもしや……
「付けてあげる!」
ユーゴに口紅を塗って手鏡を渡す。
ユーゴは鏡の中の自分の顔を凝視している。やっぱり気に入った様だ。
「ねぇユーゴ、恋をしたことはある?」
「はい……」
「その相手は男性?」
「!?」
明らかに動揺している。直球過ぎた。
「いいの! 私そういうのに偏見ないから! むしろ大歓迎だから! 本当に!」
あたしは両方の掌を前に着き出してブンブン振る。
「そう……ですか」
ユーゴはほっとした様子だ。
「黙っていて欲しかったら誰にも言わないから安心して!」
「できれば……内密に……」
「了解よ! その口紅はあげるから良かったら使って!」
「ありがとうございます……」
ユーゴはこの日一番嬉しそうな顔をした。
後の事をスチュアートに頼み、自室へ戻る。
見た目だけかと思ったらユーゴはメンタルもゆうこママだった……。ゆうこママって女装はしていなかったし、口紅以外のメイクもしていなかったから、最初、口紅を付けているのはオカマ演出というかギャグかと思っていたんだけど、30歳を過ぎてエステに通い出した時に初めて本気だったと知ったのよね。何で口紅だけなんだろうという疑問はずっと残っていたけど、結局聞きそびれちゃった。
……今度ユーゴに聞いてみよう。
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