Day 2「吐息」 吐く息は桃色の

「いってきまーす」


振り返って家族に声を残しながら、家を出る。

大学に行く前の時間を有効活用したいという理由を付けて、早朝からバイトを入れている。

早朝の朝。まだ太陽も上らない頃。

秋の風、というよりも、もう冬将軍のご到着を思わせるような、突き刺すような寒さを孕んだ澄んだ空気が肺に染みる。


(最低気温何度だって言ってたっけ)


氷点下にはまだなっていないはずだが、吐いた息が白く漂うのを見ると、昨日よりも確実に冷え込んでいる事を自覚する。

首筋を冷気から守るために、マフラーを巻き直した。


「ありがとうございましたー」


バイトに向かう途中の道にあるコンビニで、温かい缶コーヒーと誘惑に負けて肉まんを買った。

道すがら、白い湯気をほこほこたてる肉まんを頬張る。手袋越しにも分かる肉まんの温かさ。口の中にねっとり絡むような肉まんの皮の食感。

コートのポケットに入れた缶コーヒーは丁度お腹の辺りで温かい。


歩くたびに落ち葉がかさかさ言う道を歩く。起き抜けの太陽がじりじり昇ってきて、東の空をオレンジ色に滲ませている。

コートのポケットの中、手袋越しに缶コーヒーに触れる。買った時より随分ぬるい。


(もうちょっと近ければ良いんだけどな)


バイト先のカフェから一番近いコンビニではあるけれども。


「おはようございまーす」


バイト先の裏口をノックして入る。コートを脱いでいると、おはようのこだまが帰ってきた。手袋を脱いで、制服に着替えて、コートから缶コーヒーを取り出す。


「いやー、今日も寒いねー」


厨房に入ると、カフェの店主がカップケーキの仕込みをしていた。ボウルの中にデコレーション用のチョコを割り入れている。


「寒いですね、これどうぞ。どうせ今日も朝から何もお腹に入れてないんでしょ?」


自分よりも身長も年齢も上のその人へ、すっかりぬるくなってしまった缶コーヒーを差し出した。

時間が無くて朝何も食べてないんだよねー、と先々週聞いてから、缶コーヒーを貢いでいる。


「わぁ、毎回ごめんねー。領収書切るからレシートちょうだい」

「いえ、要らないんで」

「いやー、それは困るよ」

「冷める前に飲んじゃって下さい」


店主からチョコレートとボウルを奪い、缶コーヒーを押しつける。湯煎してチョコクリームを作る工程は先週からしっかり出来るようになった。


「じゃあ、いただきまーす」

「はいどうぞ」


すっかりぬるくなっているだろう缶コーヒーのプルタブが開けられる瞬間のかすかな空気もれのような音が、静かな厨房に響いた。


「うん、このくらいのぬるさが好きだなあ。ありがとうね」


猫舌だという店主は、へらへら嬉しそうに笑って、指先で缶コーヒーを包むように持っている。生クリームを冷蔵庫から出そうとした時、ふと横にある見慣れない段ボールに気づいた。昨日の夕方に来た時は無かった気がする。


「こーひーめーかー?」

「あ、ばれちゃった」


段ボールに書かれている文字をそのまま読むと、店主は秘密だったのに、といたずらがバレた子供のように楽しそうに笑う。


「何回言ってもレシートもくれないし、お代も受け取ってくれないからさぁ、ここで飲めるように買っちゃった」

「え、それって」


自分の下心がバレていたのか。さっと頭から血が引く感触。


「うん、だから、もう買ってくれないで良いからね」


店主は缶コーヒーを包むように持ちながら、最後まで飲み干した。


(どうしようどうしよう)


指先が冷えてくる。


「今度から一緒にここで温かいの飲もう」

「えっ」


思っていない言葉に、大きな声を出してしまった。

店主が思っていなかった反応だったのだろう、逆に驚かれる。


「えっ、もしかして嫌だった?」

「そういうんじゃないです、けど」

「これからもっと寒くなるしさ、いいでしょ?そうしよう。お店で使ってるお茶とかコーヒーも良いけどさ、朝の時間くらいのんびり過ごしたいじゃない」


それね、コーヒーだけじゃなくてココアとか色んなの飲めるらしいよ。

コーヒーメーカーの性能を鼻歌を歌うように語りながら、キッシュの下ごしらえを始める店主。


気づくと指先はすっかり普段通りに戻っていた。


明日から、一緒に寒いと言いながら白い息を吐いて一緒に温かな飲み物を飲むのかと思うと、頬まで熱くなっていた。


「あれ、ほっぺた赤いけどもしかして風邪引いてる?」

「至って元気です。なんですかね、乾燥かもですね」


優しくも鈍感な店主に桃色吐息を吐いています、とは口が裂けても言えない。


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