第2話 黒き獣

 エリーを背に負ぶったまま、落ちてきた縦穴を見上げるどこまで続くか、分からないくらい深い。


「ねぇ、ファルコ。ここを見ていても無理じゃない?」

「問題ない」

「え? う、嘘よね!?」


 僕には良く分からないけど行ける自信があった。

 はっきりと分からないのに出来ると自分の中に確固たる自信が存在するのだ。


「しっかり、掴まってて」


 地を踏みしめる両足に力を入れ、登る。


「う、うそぉ? ひゃっ」


 そのまま、壁を伝う? いや、駆け抜ける。

 壁を走っていると言った方が早いかもしれない。

 走る場がなくなれば、反対側に跳び、また、駆ける。

 最初のうちは背中から、『ひっ』『きゃっ』という声が聞こえてきたが暫くすると静かになった。

 気を失っていたら、危ないがエリーの手と足は僕に絡みつくようにしっかりと力が入っている。

 もう声も出ないくらい怖いというだけ、なんだろう。


「よっと。着いた。もう大丈夫」

「うっ、吐きそう」


 エリーを降ろすと彼女はそう言いながら、慌てて自分に回復の魔法をかけている。

 静かだったのは気持ちが悪かったのか。

 そうなら、そうと言ってくれればいいのに。


「何か、おかしい。静かすぎる」

「うぅ……そうね。こんなに静かなのは変よね」


 落とされた場所である十階層の崩落した部屋に戻れた。

 戻れたのはいいんだが、どうにも様子がおかしい。

 僕たちが落ちてから、時間が経過しているとはいえ、人の気配はおろか、魔物の気配すら感じられないなんて、ありえるのか?

 十階層といえば、危険な魔物が徘徊しているのは間違いないし、スタンピードに対処すべく、冒険者のパーティーがたくさん、待機していたのではなかったか。


「ファルコ、どうするの? おかしいよ、この空気……」

「分かってる。でも、もう遅いかもしれない」


 『ぐるるるる』という低い唸り声とともに姿を現した魔物は闇そのものを体現するような漆黒の毛並みに覆われた大きな獣だった。

 ネコ科の肉食獣に良く似た体型と頭部をしているが、その体躯は獅子や虎なんて可愛い物じゃない。

 小型の竜くらいはあろうかという大きさに加え、太く、逞しい四肢からは強靭さが窺い知れる。

 だが、それ以上に不気味なのはその獣の前足の付け根だ。

 人間だったら、肩の辺りだろうか?

 そこから、二本の長い触手のようなものが伸びていて、うねうねと探るように宙を漂っているからだ。

 やつの口許からは鮮血が滴っているし、何より、うねる触手に人だったモノの部品が掴まれたままだ。

 こいつのせいに違いない。

 気配がない原因はこの獣が全てを屠って、喰らい尽くしたんだろう。


義姉ねえさん、結界は張れる?」

「え? うん、私とファルコだけなら、何とか守り切れると思う」

「いや、義姉ねえさんだけでいい。僕はあれを倒す」


 僕がそう言うとエリーはそれでなくても大きな目を見開き、不安に苛まれるような苦い表情をする。

 そんな顔、あなたには似合わない。


「駄目だよ、あんな化け物相手に。魔力が持つ限り、大丈夫だから。ね? ファルコ、お願いだから」

「大丈夫。義姉ねえさんは自分の身を守ることだけを考えて」


 あなたにはずっと笑っていて欲しい。

 だから、僕はその為に戦う。

 エリーが光の粒子で構成された結界を張るのを確認し、僕が床を思い切り蹴りだすのと黒い獣が四肢に力を込め、突進してくるのはほぼ同じだった。

 蹴った力でトップスピードに乗った僕は勢いをそのままにもう一度、床を蹴って、高く跳ぶ。

 跳んだ僕の真下を獣が過ぎていくが風を切るようなビュッという音に咄嗟に身を捻り、回転するように着地する。

 さっきまで僕が身を捻らないでいたら、触手の餌食になっていただろう。

 あの触手はどうやら、鞭のようにも使えるようだから、用心しないといけない。


「さて、ああは言ったけどどうしようか」


 正直、この身体は少しくらい無茶をしたところで何ともないだろう。

 だけど、どうやって戦えばいいのかという経験値が圧倒的に足りない。

 獣もさっきの攻撃で仕留められると踏んでいたのか、僕を値踏みするようにこちらを睨んでくるだけでどちらも動けない。

 対峙したまま、微動だに出来ない。


「そうだ。さっきのを応用したら、どうだろう」


 身を捻って回転させることで着地したあの動きを避ける為ではなく、攻撃するのに使うのはどうだろう?

 両手を手刀で構え、水平の位置に持っていくのと同時に右足を軸として、駒のように回転させる。


「目が回らないようにしないといけないか」


 回転速度を徐々に上げていくと小型の竜巻のように周囲の物を若干、巻き上げ始めたので獣の方へと向け、ゆっくりと進む。

 ビュッという風切り音とともに再び、触手が鞭のようにしなりながら、僕に襲い掛かってくるが回転によって、発生した鎌鼬によって、僕の身体に到達する前にずたずたに裂かれていく。

 それまで何ら、感情の類が感じ取れなかった獣に初めて、戸惑いと怯えのようなものが見て取れた。

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