第3話
「えー、被害者は藤咲あかり、20歳。自宅の二階にある自室で死亡。まだ鑑定途中ではあるものの、死因はナイフなどの鋭利なものによる腹部の損傷で、出血多量によるものとされる。死亡推定時刻は昨晩25日の21時から、通報のあった明け方4時の間と考えられる。またナイフの刺された位置、角度から何者かによって刺された可能性が高い。なお、凶器はまだ見つかっていない。部屋の窓は全て閉まっており、玄関の鍵も第一発見者の兄が開けるまでは閉まっていて密室だったと思われる」
スーツの男が集まる会議室で一人の男が立ち上がり、言った。細身で手足の長い男が話し終わり腰掛けると、今度は隣の机にいる違う男が立ち上がり話し出す。前の男とは正反対で少し膨よかな見た目、右手のハンカチで額を拭い、左手には黒いメモ帳を持っていた。しつこいぐらいにかかっている暖房のせいだろうか。男の頭にはエアコンの風がしっかりと当たっていた。冬だというのに額に流れる汗がその暑さを晒しめる。さっきまで話していた男の所にはそこまで風が当たらないのか、涼しそうにしながら話を聞いている。その対比が、男を余計に惨めにさせる。
「被害者は12月25日の朝、家族と顔を合わせていました。父親は藤咲雄一49歳で貿易の会社を経営、妻の典子は46歳で専業主婦。陰で夫を支えるという典型的な夫婦です。両親は会社のパーティーで朝に被害者と朝食を食べたあと外出しており、今日の昼頃に帰る予定でした。両親のアリバイはパーティーの関係者、ホテルの受付等で証明されています」
「つぎに被害者の兄である藤咲あきら22歳、東都大学経済学部の4年生。彼も同じく朝は家族で食事をしています。その後アルバイト先でである大学近くのカフェに向かい、17時頃までバイトをしていました。カフェの店長が証言しています。またその後は兄の通っている大学のサークルの仲間と合流し、居酒屋で飲んでいました。店の防犯カメラの映像にも映っています」
「飲み会が終わった後、あきらはタクシーで家に向かっています。店を出たのは深夜の3時で、その店の閉店までいたと店員が証言しており、一人でタクシーに乗る様子も目撃されています。その後4時頃に自宅に着き、被害者を発見。通報があったのは4時8分なので自宅に着いてすぐ発見し、通報したと思われます。また兄の乗っていたタクシーについては調査中です」
男が話し終えると会議室はざわついた。
「家族全員のアリバイがあるってことは、この事件は別の犯人による殺しってことですよね。鍵も閉まっていたし、完全密室じゃないですか」
五十嵐は口元に手を置きながら隣に座る相澤に耳打ちした。
「勝手に決めつけるんじゃない。そういう思考が捜査の幅を狭めるんだ」
腕を組み、じろっと睨みつける。
「別に決めつけてはないじゃないですか」
ぼそっと呟きながら五十嵐は目線を下げ、前に視線を戻した。前にはスーツ姿の男達がずらっと並んでいた。そして通路を空けて、一番前の列はこちら側を向いて座っている。
その一列だけは見るからに雰囲気が違った。貫禄があり、胸元にはバッチや勲章のようなものが見える。先程から進行役を務める中央の男は真剣に話を聞いているが、その両サイドにいる男達はいささか退屈そうに見えた。手元の資料を何度もペラペラとめくり、ぼうっと眺めている。
「本事件は殺人事件として捜査する。家族のアリバイ調査はもっと詳しく、被害者の交友関係も洗ってくれ。分かっていると思うが、マスコミはすでにこの事件に食いついている。下手に情報などを漏らすことのないよう注意してくれ。」
中央に座っていた刑事の声が、会議室に響き渡る。よく通る声がそれぞれの耳にすんなりと届いた。
「以上、解散」
その号令と共に、みな一斉に立ち上がる。しかし、相澤だけは立ち上がらなかった。腕を組んだまま、顔を顰めている。
「相澤さん、相澤さんってば」
相澤は肩を揺さぶられ、はっと顔を上げた。五十嵐は肩から手を退かして席を立った。
「もう、大丈夫ですか。急に黙って動かなくなっちゃうから焦りましたよ」
「悪い。ちょっと考えごとをしてた」
相澤も立ち上がった。そのまま会議室を出る。その後ろを追いかけるように、五十嵐も続いた。
「すごい顔してましたよ。眉間に皺なんか寄せちゃって」
両手の人差し指で眉毛の根本を押し中央に寄せる。その眉間には皺が寄り、先程までの相澤の風貌そのものだった。
後ろで話し続ける五十嵐だが、相澤の耳にはほとんど入ってきていない。相澤の頭は事件のことでいっぱいだった。五十嵐には決めつけるなと言ったが、あれは他殺で間違いない。捜査本部もそのつもりで動いている。
そもそもナイフで腹部を刺すなんて、自殺ではないはずだ。手首を切ったり、首吊り、飛び降りならまだしも、自殺をするのに痛々しい方法を選ぶ人は少ないと見て間違いない。それこそ女性が自らの手で自分の腹部を刺すなんてことするわけがない。
それなのにどこか引っかかる。相澤は針の穴に上手く糸が通っていないような気分だった。地に足がつかないような、なんとも言い難い違和感が付き纏う。
泣きたい僕は空を睨んだ 小鞠 @bbc1207
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