最終話 戸波凛と加賀栞

 見たことのない真っ白い天井。

 点滴を打たれていることに気付いた。


「……ここは?」


 疑問が口から零れ出た。それに答えるように、横から声が聞こえる。


「病院。戸波さん、大丈夫?」


 その声に反応して、私はそっちの方に顔を向けた。

 そこには、一か月半ぶりに見る加賀の顔があった。


「あ、れ?」


 見える。加賀の顔が。見えるのだ。黒いインクも無い。はっきりと、彼女の顔がそこにある。


「私? 私は、戸波さんが心配で、毎日お見舞いに来てるの。戸波さん、トイレで突然倒れて、それから五日間も眠りっぱなしだったんだよ?」


 私の反応を、自分がなぜここにいるのか、という疑問だと勘違いした加賀は、私にそう教えてくれた。


「……五日も……」


 私は言葉を失った。様々なことに。倒れてしまったこと。五日も眠っていたこと。加賀の顔が見えること。

 そして、急に気になりだした。


「鏡、ある?」


 私の突拍子もないその問いに、加賀は不思議そうな表情を浮かべながら、手鏡を渡してくれた。

 その二つ折りの手鏡を、私は恐る恐る開く。

 そこには。

 そこには、私の顔が映っていた。黒く塗りつぶされていることなどない、やつれた顔の私が。

 目から大粒の涙が零れた。何かがプツっと切れてしまったみたいに溢れ出し、止まらなかった。


「ど、どうしたの戸波さん」


 加賀が大袈裟に心配するものだから、私は泣きながら笑った。

 それにつられて、加賀も笑ったのだった。



 数日後。私は無事、退院することができた。

 あの日。目を覚ましたあの日から、もう嫌いなものが見えなくなる、という摩訶不思議な現象はなくなった。

 数日ぶりに家に帰るとき、嫌いだった政治家のポスターや、イカつい犬を見かけた。改めてみると、何だかこいつらも悪くないな、なんて思った。

 学校では相変わらず無視され続けていた。

 一週間以上の休みも、メンタルが病んで不登校になった、なんて噂が流れていたらしい。でも、噂は噂。友達はほぼいなくなったが、そんな噂に惑わされない人と仲良くできれば、それでいい。

私は加賀と、友達になった。



 朝、私はいつも通り食卓でパンを食べていた。少し遅れて、お父さんが食卓に着く。


「あれ? お前ピーナッツバター、嫌いじゃなかったか?」


 お父さんは私が食べているパンに乗っているものを見て、意外そうな顔をして言った。

 私はそれに笑顔で返した。


「食わず嫌いは、もうやめたの」


                          ――終

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食わず嫌いの治し方 水村ヨクト @zzz_0522

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