第2話 好きな人と嫌いな人
あれから、多分二、三日経った。もう嫌いなものが見えないというのにも慣れてきたし、それに特に不便はなかった。だって嫌いなものとは関わらないようにしてるし、それが見えなくったって全然困らない。
……たった一人を除いて。
加賀栞。彼女はやっぱり毎日話しかけてくる。私はこの間、一度だけ彼女に反応してしまったことなどさっぱり無かったことになったみたいに、クラスの皆は無関心だったけど、それが逆に気味が悪い気もした。
でも、顔が見えなくなっただけで、私の加賀に対する態度は何も変わらない。無視。シカト。スルー。素通り。私の世界に加賀はいない。
そう自分に言い聞かせ、そして、そうした。
今日も今日とて、加賀は昼休みに私に声を掛けてきた。私はそれを無視して、いつものメンバーで学食へと出かけた。
「ねえ」
廊下を歩いていると、突然声を掛けられた。誰かと思って振り返ると、声の主は真奈美と付き合っている、倉橋先輩だった。
「倉橋先輩? あー、えっと、真奈美なら先、行っちゃいましたけど」
私は学食の方向を振り返りながら、そう言った。振り返った時に、私が声を掛けられたことに気付かず先へ行ってしまったミカ達の姿がチラリと見えた。
「いやその、違うんだよ。今はその、戸波に用があって。あー、いや、戸波じゃなくてもいいんだけど。あ、ごめん。そういう意味じゃなくて」
「? 何ですか?」
頭を掻きながら言う倉橋先輩は、なんだか少し可愛かった。
「真奈美のことで相談したいことがあって……ほら、真奈美とよく一緒にいる、戸波達なら何か良いアドバイスとかくれるかな……と」
「あー、そういうことですか! 全然いいですよ。何ですか?」
「えっと、真奈美、来月誕生日だろ? プレゼント、何がいいかなって。あー、長くなっちゃうから、LINE、教えてくんない? 後でゆっくり相談させて」
なんてやり取りをして、私と倉橋先輩はLINEを交換することになった。
その夜。私はお風呂から上がり、その日にやることを全て終えてくつろいでいると、倉橋先輩からLINEのメッセージが届いていることに気が付いた。
倉橋先輩:LINE交換してくれてありがとう。それで、昼間言ってた相談なんだけど……今大丈夫?
二分前。これは今すぐ返せばスムーズに会話できるな。と、考えて私はすぐにレスポンスした。
凛:大丈夫ですよ~笑 で、何でしたっけ?
倉橋先輩:さんきゅ笑 えっと、真奈美の誕生日プレゼントのことなんだけど、俺、実はあんま女の子にプレゼントとかしたことなくて、何あげればいいのかわかんなくて……笑
凛:あー、そういうことですか笑 先輩も意外とウブなところあるんですね笑
倉橋先輩:うるせぇ笑 で、戸波ならあいつが欲しそうなもんとか分かるかなー、と
凛:うーん、そうですねぇ……「何が欲しい!」とかは最近聞いてないですけど、真奈美なら、アクセサリー系だったら喜ぶと思いますよ! あの子そういうの好きなんで!
倉橋先輩:アクセサリーかぁ。いいな。あ、でもそういうの売ってる店とか全然知らね……
凛:私いいお店知ってますよ! 駅前に女子向けの可愛いアクセサリーショップができたんです! そことかどうです?
倉橋先輩:へぇ。流石、情報が早いんだな。んでも、男一人でそういうところに入るのはちょっとなぁ……
倉橋先輩:そうだ
倉橋先輩:戸波、一緒に買い物付き合ってくんね?
心臓が飛び跳ねた。いや、そりゃ男の人と出かけたことが無いわけじゃないけど、倉橋先輩みたいなイケメンに誘われるなんて初めてだし、何より友達の彼氏と一緒に買い物なんてしていいのか、正直迷った。
……どうしよう。でも倉橋先輩困ってるし……。うん、まぁ、彼女へのプレゼントを選んであげるだけだし……いいのかな。
私は少々考えて、返事を送った。
凛:いいですよ~ 週末にでも行きます?
倉橋先輩:分かった。じゃあ土曜日の午前九時に駅前な!
凛:え、朝からですか?
倉橋先輩:いや、プレゼント選ぶの時間かかっちゃいそうな気がして笑 もっと遅い方が良かった?
凛:いえ、全然大丈夫です! それじゃあその日時間で!
時間かかっちゃいそう、だなんて可愛いなぁもう! まぁ彼女への初めてのプレゼントならそうなのかな。甘酸っぱいよお!
なんて悶えながら、私はその日、眠りに就いた。
週末になるまで、やはり嫌いなものは見えないままで、加賀栞は毎日私に話しかけてきて、つまり特に変わり映えのない日々だった。一週間近くも経てば嫌いなものが見えないという状況にもほぼ完全に慣れてきて、私はそれに疑問を覚えなくなった。
そして、土曜日。
その日はまぁ滞りなく、先輩と無事合流して、真奈美へのプレゼント選びを真剣に、それはそれは真剣に行なった。途中、二人で昼食をファミレスで食べて、午後も先輩はプレゼント候補を悩み続けた。
結局、一日ではプレゼントを決める事ができなかった。夕焼けの下、私と倉橋先輩は駅前のベンチでスタバのコーヒーを飲みながら帰りの電車を待った。
「先輩、こだわりが凄いんですね」
「そりゃ、彼女への初めてのプレゼントだぞ? 真剣に選ばなきゃ」
「……真面目ですね。流石、モテる男は違うなぁ」
私は笑いながら先輩の顔を見た。そこには先輩の真面目な顔があった。
「先輩?」
「やっぱ、来週もプレゼント選び手伝ってくれないか? 今度は他の店にも行ってみてさ。戸波がいる方が心強いし」
そんなこと、言われたら。
調子に乗ってしまう。
「いいですよ! 任せてください! あ~、真奈美きっと喜ぶだろうな~。こんなに真剣に選んでくれたプレゼントなんて」
「俺がプレゼント選ぶのにこんな時間かかってるなんて、あいつには言うなよ?」
「えー、どうしよっかな~」
私たちは吹き出して笑い合い、程なくして別れた。
結局それから、真奈美の誕生日の直前の週末まで、ほぼ毎週、私と倉橋先輩はプレゼント選びに出かけた。流石に長いとは思ったが、それだけ真面目な人なんだと思って、別におかしいとも思わなかった。
それと最近、私のこの目について一つ、気付いたことがあった。
それは、一回嫌いになって見えなくなったものは、その後嫌いじゃなくなっても見えることはないということだった。
ある日、嫌いだったブロッコリーを友達に無理やり食べさせられたことがあった。ブロッコリーは小さい頃に一度食べたきり嫌いで、今もインクで真っ黒く塗りつぶされていた。しかし、いざ食べてみると、特に不味いとは感じなかったのだ。
あ、私、ブロッコリー別に嫌いじゃないんだな。と思って、再びブロッコリーを見た。そして、黒く塗りつぶされたままのそれを見て、私は驚いた。だって、嫌いじゃなくなったら見えるようになるんだとばかり思っていたのだから。
でもまぁ、一度嫌いになったものを再び好きになることなんて、そうそうないだろうし、いいか。
私は、楽観的だった。楽観的すぎていた、かもしれない。
事件は突然起こった。いや、これは事件なのか。分からないけど、とにかくそれは突然起こったのだ。
真奈美の誕生日の次の日だった。
「凛。あんた……自分が何したか分かってる?」
私が朝、クラスの教室に入ってきてまず、ミカに言われた言葉だ。
「え、何?」
そのままだ。え、何? 私は何が何だか分からなかった。ミカが鬼の形相で私を睨む。そして、ユウとモモもその後ろで同じような顔でこっちを見ていた。その間で、真奈美が泣いている。そして、私は背筋が凍った。もしかして……。
「真奈美、誕生日に倉橋先輩にフラれたんだって」
……。
…………まさか、そんな。
「理由が、『他に好きな人ができた』って。そんで真奈美が泣きながら問いただしたら」
……やめて。私はそんなんじゃなくて……ただ、真奈美と倉橋先輩の為に……。
「凛。あんたの名前が出てきたって」
ミカがそう言った瞬間、真奈美の泣く声が大きくなった。
私にそんな気はない。好かれようとしたんじゃない。ただ、純粋に人助けをしようと……。
「え、何? どうしたの?」
クラスの騒がしい男子が、ミカ達に問う。
「凛が真奈美から倉橋先輩を奪ったの」
そんな言い方しないでよ……。
私は自分の主張を訴えたかったが、咄嗟に声が出なかった。
「マジかよ! あ、そういや俺、何回か駅前で戸波と倉橋先輩が一緒にいたの見たな。珍しい組み合わせだと思ったけど、そういうことかぁ~」
男子はそう言うと、男子同士の内輪へと戻って行った。
「何それ。最低じゃん」
ユウが吐き捨て、モモが「ね」と同調する。
沈黙が流れた。私の反論を待っているのか。それとも別の何かの間なのか。
「……おはよう……っ」
なんてタイミングだ。
加賀栞。沈黙の中、何も知らない加賀は私たちに小さい声でいつも通りの挨拶をした。もちろん皆スルー。でも、私は少しだけ、助かった。と思った。
間が持った。そして少しだけ冷静になれたような気もした。これで少しは弁解が……。
「なんで! なんであんたなの!」
真奈美が、私の弁解の隙をここぞとばかりに奪うみたいに、泣き果てたガラガラの声で叫んだ。
「せめて、どこの馬の骨かも分からないような泥棒猫の方がまだよかった! なんでよりによって、友達だったあんたなの……」
私は「だった」と言ったのを聞き逃さなかった。もうこの子の中では私は友達じゃないんだな。と思った。……それだって、私に弁解をさせて欲しい。
「違うの! 私はそんなつもりじゃなくてただ、先輩に相談を受けて」
私はやっとの思いで叫んだ。
「言い訳なんてどうでもいい! 後からならどうとでも言えるじゃん! 結果私から先輩を奪ったことに変わりない!」
真奈美は私の二倍の声を張り上げ、叫んだ。
私は目の奥に込み上げてくる熱いものを抑えながら、周りを見渡した。
私を軽蔑する目が、そこら中に見えた。
こんな、こんな場所にはいられない。耐えられない。
私は勢いよく教室から飛び出した。その際、加賀栞を目で捉えたが、顔が真っ黒く塗りつぶされているので、どんな表情をしていたかは分からなかった。
私はトイレの洗面台の前で泣いた。目から大粒の涙が止まらなくて、延々嗚咽した。
嫌いだ。あんな奴ら。人の話もろくに聞かないで悪者扱いして。私の善意なんか知らないで。嫌いだ。嫌い。嫌い。嫌い嫌い嫌い。
「皆嫌いだ」
涙に濡れた両手を私は強く握りしめた。
その日、私は教室に戻ることなく、そのまま家に帰った。
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