第29話 ご対面

 あいつの電話は素っ気なかった。当たり前だろうけど…。あいつの母親と結婚し、連れ後だった男の子は最初から俺のことが気に喰わなかったのだろう。

杏子いや俺のアンが生まれた頃は、妹が出来たお陰で俺にも懐いた風だったけど…。

結局、俺の身勝手で離婚となり、養育費だって入れていたのに対面は拒否され…。俺は逃げるようにアメリカに渡ったのだから…。


でも今日こそは俺は俺のアンに会いに行くんだ…。



◇◇◇



二人っきりのデートもないまま、急に市井さんのご両親に会うことになり、私は慌てていた。何を着ていこう…。手土産は…。

今日の猫ちゃん達は、私のソワソワに合わせたように、いつも以上に追いかけっこをやっている。

あれ?珍しい…。花ママがハッピーパパを追いかけている。



「パパ!いつまで拗ねてるのよ!今日はあんこさんの大事な日なのよ!」(by花ママ)

「だって、今日市井の家に行ったら、あんこは結婚しちゃうんだろう?

俺、もうやだー!あんこは俺だけのものなのにー!」(byハッピー)



アルバイトの森さんも中々に猫ちゃん達の扱いも慣れてきたし、コーヒーの淹れ方も上手くなってきたし…。有難いなぁ。お店を任せてお出かけできるって今までは考えられなったし…。


猫カフェエリアに降りると、猫達もぞろぞろと降りてきた。何だかお見送りをしてくれているみたいだ。


市井さんが、にこにこ顔で迎えてくれた。今日は早めに来てくれていたらしい。

いそいそと出掛けようとしたその時、お店のドアが開いた。


「ごめん下さい…。あ!アン!元気だったか?」


紛れもなく、小学校の時に離ればなれになってしまった父。

少し年老いて、日に焼けた顔だったけど、笑顔は変わらない…。

私が声を出す前に、市井さんが声を掛けた。


「わぁーお久しぶりです!立川のおじさん!覚えていますか?市井です。市井の坊主です!」


「えー?市井さんとこの息子さんがどうしてここに?久し振りだなー…。男前になって…。

え?アンと知り合いかい?」

「え?杏子さんは立川さんのお嬢さんだったんですか…。奇遇ですね…。

そうだ。良かったら一緒に僕の実家に行きませんか?

杏子さんと僕の両親との顔合わせをする予定だったんです。

両親も立川さんに会いたいって言ってたし…。」


事態がよく吞み込めないまま、私は市井さんの車に乗せられてしまった。

父と市井さんが知り合いだったなんて…。

それよりも、父が急に会いに来るなんて…。

今日まで何の連絡もなかったのに…。


朝までのウキウキ気分が沈み、車の中で黙り込む私を尻目に二人の男性は、楽しそうに笑っている。


「こんな偶然ってあるんですね。立川さんが自分の娘を『赤毛のアン』みたいな子だって言ってたのは覚えているけど…。」

「本当にお茶目でいたずら好きで、頭のいい子だったんだよ…。

何でだかね…。今アンに会いに行かないと後悔しちゃうんじゃないかって…

気ばかりが走って…。居ても経っても居られなくて、こうして日本に戻って来たんだんよ。

これが親の勘ってやつかな…?

アンは本当に可愛いだろう?俺の自慢の娘なんだよ…。」


会話を聞いていて恥ずかしくなってしまった。親ばか丸出しだ…。

私は寝たふりをすることにした。…そう思っていたら、いつの間にか眠ってしまったようだった。


◇◇◇


横浜にある市井さんの実家は、レンガ造りのお洒落な洋館で映画に出てくるような豪邸だった。

目を見張る私の手を引いて、玄関まで案内してくれた市井さんは少し照れるように笑うとこう言った。

「俺のおじい様がちょっと裕福でね…。三男坊の俺の親父は、コーヒー豆の輸入の仕事をしているんだ。立川さん、杏子さんのお父さんは、親父の会社で働いててさ…。海外での買い付けをやってくれているバイヤーなんだよ。もしかして知らなかった?」


初耳だった。海外に居たのさえも知らなかった。


「アン。父さんと市井君のお父様とは大学が同期でね。職を無くした俺に仕事をくれた恩人なんだよ。海外に行く前には、この家にお世話になったんだ。あの頃はお姉さんもご健在だったね。素敵な女性だった…。」


呼び鈴を押すと、市井さんのご両親が笑顔で迎えて下さった。

優しそうなお二人と屈託なく笑いながら仲良く話す自分の父親を見ていたら、何をそんなに怒っていたのかも忘れてしまった。


「俺はね、アンと離れること…嫌だったんだ。

アメリカに連れて行こうとしたら、猛反対されてね…。

特に達也はさ、重度のシスコンだったから…。泣く泣く離れることになったんだけど、養育費だけは送りたくてさ…。そりゃあもう必死で働いたよ。そんなこと理由にもならないだろうけど…。会いに帰って来れなくてごめん。」


「そうだ、もう一つ驚かすことがあるんだ。」

目を輝かして市井さんは話してくれた。


「杏子さんのお店で扱っている1&1(ワンエンドワン)っていう珈琲豆はな、親父の会社が輸入しているんだよ。そう、立川さんがバイヤーなんだ。豆を見た時に言おうと思っていたんだけど、実家に連れてきてから驚かそうって思っていてさ…。

でもってバイヤーがお父さんだもんね?すっごい偶然だね。」


「偶然じゃないよ。運命っていうか必然って言うんだよ。こんな時は…。」

市井さんのお父様が笑いながら仰った。


私は、心に温かいものが落ちてきたような気がした。

幸せって何もかもいっぺんに訪れるものなんだ…。

父に対するモヤモヤした感情も温かい雰囲気の団欒の中で溶けていく…。

眼がしらが熱くなってきたのを隠したくて、市井さんのお母様が席を立つときに、連れだって立ち上がった。


「お手伝いします。」


◇◇◇


「私はね、杏子さん、本当に嬉しいのよ。今日、守が貴方を連れて来てくれて、皆が笑い合っていることが…。

立川さんが娘さんと悲しい別れをしたあとに、私達も自分の娘と悲しい別れをしてしまったの。

家の中は、暗く沈んで…。

守が何となく上手に女性とお付き合いが出来ていないことも分かっていたけど、どうしてやることも出来なくて…。

ふふふ。今日のデレデレの守の顔を娘にも見せたかったわ。」

「今度、お墓参りにご一緒させてください。」

「そうね。きっと喜ぶわ。」


◇◇◇


仕事関係のお話もあるようで、父はそのまま市井さんの実家に残ることになった。

帰国前には、もう一度顔を見に行くよ話す父の表情は穏やかで、晴れやかだった。

私達の結婚式は是非ともアメリカでして欲しいと市井さんご両親に頼み込んでいたようだけど、それもありかなぁ…って思っている自分もいる。

父が20年間暮らした世界を見てみたいとも思う。


隣で笑う市井さんの顔を見ながら、少しだけ親に対して余裕をもっていられる自分に驚いた。

永い間凝り固まっていた父親への憎しみにも似た気持ちが、ぽろぽろと落ちていく…。人は変われるんだなって思ったんだ。

ありがとう。市井さん。



◇◇◇


「あら、あら、あら…。どこ行くの?

待って、待って、お外はだめよ…」


アルバイトをしてくれている森さんの大きな声が響いている。

猫カフェのゲージは破られた…。

たまたまお店に入ろうとした聖子さんには、足元を何かがすり抜けていくのが分かったけど、止められなかった。

あんなに大きな身体の猫なのに、なんてすばしっこいのだろう…。







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