第25話 台風がやってきた
3日に1回はやってくる市井って奴は、店に来ると何時も鞄から千切れるノートを取り出しては、何か字を書いている。弟猫の小夏君は「レポート用紙って言うんだよ。」って教えてくれたけど、そんな名前はどうでもいいと思ってるんだ、僕は…。
そんな事よりも、書き損じたらしい紙をくしゃくしゃに丸めて、ポイって投げてくれるのが、結構楽しみなんだ。コロコロって転がる紙ボールを手でちょいちょいと触るとカサカサって音がしてさ…。ちょっとつつくとどんどん転がっていってさ…ぜぇったいハマるよ、猫ならばね。
これを弟妹猫達と取り合うのも楽しいんだ。キャッチボールみたいに転がし合うのもいいし、咥えてキャットタワーの上まで持っていって、そこから落とすのも面白い。最後はハッピーパパが持って行っちゃうっていうのが落ちなんだけど…。
僕は長男のシャーアズナブル。薄い赤茶色の毛並みと大きな体形は、赤い彗星のシャーというよりも、専用のモビルスーツ『ザク』っぽいって言われる。ひどいよね?
あ!ほら、噂をすれば影だね。今日も彼奴はやってきた。早く紙ボールくれないかな…。
「いらっしゃいませ!」
「こんにちは。今日もいつものお願いします。」
つい頬が緩んでしまう自分がいる。先日の聖子さんご夫婦の件では、簡単なお礼しか言えない私にそれ以上の問いかけもなく、変わらずここに通って下さり、他愛もない話しを熱心に聞いて下さる。そんな穏やかな日々が、今は物凄く有難い。
交際の申し込みについて、お返事をしたいという気持ちもあるけど、まだもう少し心の整理をしたいと思っている自分もいる。市井さんにどう説明すれば上手く伝わるのか分からないからだ。全てを話してしまえば、嫌な気持ちにもなるだろう。隠したいわけではないけど、嫌われたくない…なんて臆病なんだろう、事実は変わらないのに自分の浅ましい心が疎ましい…。
そう、今はまだ、お店の事とかをちょっと相談できるこんな関係でいたい。
「市井さん。昨日こんな方からご連絡があったんですよ。タウン誌にこのお店を紹介してみませんか?って感じだったんですけど…。
ホームページも出来て、お客様も少しずつ増えてきたので、広告っていう形での宣伝も必要かなって考えていて…。」
渡したタウン誌を熱心に読んでいらした市井さんは、私が話すと顔を上げて、目を見て頷いてくれた。最近は、このお顔を見るとドキドキしちゃうんだけど…。
「宣伝ですかー。よい機会かもしれませんね。営業の人に詳しく話しを聞いてみてもいいかも…。あ!この営業の人が来る日は俺もこの店に居てもいいですか?
ま、近くに座ってるだけって感じになると思うけど…。このタウン誌、ちょっとお借りしますね?」
「はい、数冊頂いたので、どうぞ。…私って頼りないですか?」
「いやいや…。単に俺が心配症というか…ごにょごにょ…。」
少し赤い顔をして俯く市井さんが、可愛らしく見えて笑ってしまった。
「ふふふ。冗談ですよ。近くに居て頂けると力強いです。」
あんこが席から離れると、市井はいつも通り紙に何か書いていた。でも、今日は丸めることもなく、四角に折りたたんで自分のポケットにしまってしまった。
おい、さてはお前も紙ボールにハマったか?つい意地悪をしたくなって、市井が差し出した右手の人差し指を甘噛みしてやった。いつもよりちょっときつめにな…。
◇◇◇
広告を出すことへの相談をしたあと、市井さんが2週間の出張があると仰ったため、タウン誌の取材は先延ばしにしてもらい、今日の夕方から行うことになっていた。
本当は自分一人で対応するのがいいのだけど、やっぱり不安の方が強い。人見知りなんて言う言葉を使えるのは、高校生ぐらいまでなのだろうし、接客業をやっていく以上慣れないといけないんだけど…。
知らない人との交渉はお店の利益と直結することも考えると、今後も必要なことだけど、まだ私には簡単には出来ないとも思う。
半分は鬱々した気分だけど、もう半分はウキウキでもある。だって今日は2週間ぶりに市井さんにお会い出来るんだもの。鬱々気分がどんどん消えていき、なんだか嬉しくてお昼すぎにはソワソワに変わってしまっていた…。でも、あいにくの雨。台風が近づいていると天気予報は伝えている。
猫達も今日は念入り顔を拭いているようだし…。きっと大雨になるだろう。
◇◇◇
夕方からの大雨のせいか、お店の客足がぱったりと止まってしまい、店内には聖子さんとまこくんと市井さんだけが居た。聖子さんとまこくんは、いつもは大声で話しているのに、今日はコソコソと小声で何か喋っている。何となく内緒話のようで、二人のテーブルには近づかないようにした。ちょっと横目で見ると聖子さんがウィンクを私にしたので、ドキッとしてしまった。大人の色香が漏れてますよ!
猫達も大雨のせいか、ひどく大人しい。何匹かは重なる様にくっついて眠っている。キャットタワーのかごで寝ている猫を見ると、『ニャンモナイト』という今はやりの造語が頭に浮かんだ。うん、言い得て妙だわ。
階段を登ってくる足音が近づいて来たあとに、お店のドアが開き、その女性は入って来た。紺色の傘を閉じて、傘立てに入れ、その人は顔をあげた。
年齢は20代半ば位だろうか。短めの茶色の髪に軽いウェーブをかけ、化粧は濃いめだけど、意志の強そうな顔に似合っている。お洒落なロングブーツにタウン誌のロゴが入ったジャケット、肩から掛けたショルダーバックはいかにも機能的で良く使い込まれている様子だった。
「遅くなってすみません。私、○○タウン誌の営業をやっております鈴木理恵と申します。本日はよろしくお願いいたします。」
「はい、私がオーナーの平澤杏子です。本日は足元がお悪い中お越し下さり、ありがとうございます。」
席にご案内してから、注文を伺う。ブレンドコーヒーをブラックで…ということで準備をして席についた。
「まずは、弊社の説明を…。」
広告の料金など一通りの説明が終わると、店内をゆっくりと見学をされた。
お客が3人ということもあり、静かな店内で彼女の声はよく響いていた。
「ここのコーヒーは、本当に美味しいですね。豆は何を使っていらしているんですか?」
「1&1(ワンエンドワン)の豆なんですよ。あまり流通はしていないんですけど、美味しいって評判で、私自身もとっても好きなんです。」
「へぇー。結構お高い豆なんじゃないですか?」
「いいえ、それ程でもないんですよ。」
「でも、いろいろこだわりを持ってますよね?
それにこの立地とか内装も…すごいですよね?失礼ですけど、平澤さんのご年齢でここまでのお店を持つって大変だったんじゃないですか?」
執拗に店内を見回っている。そう、ジロジロと舐めるように見ているようだった。
まるで、何かの粗を探すかのように…。
段々、言葉が馴れ馴れしくなっているような気がする。
それに、言葉に刺を感じる。胸の奥にズキンと何かが響く…。
嫌な予感がした。
「私、知ってるんですよ。このお店の出資者…。」
ゴロゴロゴロ…ピカッ…。
窓の外で稲妻が走った。そう、雷がなっているらしい…。
その音で猫達は目を覚ましたようだ。
欠伸をしながら、すっとこちらを見るハッピーパパと目が合った気がした。
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