第10話 訪問者
猫カフェにはお客がいた。一人は、最近になってから夕方に来る客だ。自称元社長らしいけど、奥さんに逃げられて会社も上手くいかず、小学生の男の子を二人養っている苦労人だそうだ。ここ2か月位に5回はやってきていると思う。夜の7時前後にふらっと来ては、やたらと疲れた風でコーヒーを頼むんだ。閉店近くまで粘って、あんこが声を掛けると、その日あったことや自分の境遇をぼそぼそ話して、あんこが応えると特上の笑顔に変え…かっこいい風に見せてから帰っていく。
この特上の笑顔が味噌さ…。え?誰だって女の子はさ、自分の言った言葉で相手を笑顔に出来たら嬉しいだろう?何て言うのかなぁ。自己肯定感が上がるって感じ?
僕は、どうやってもあんこが大好きだし、幸せになってもらいたい。僕は猫だから人としての幸せにしてくれる男性がいるなら、喜んであんこを応援したいって本当に思っている。でも、この男はだめだ。
長男のシャーアズナブル君は心の中で考えていた。気をつけないとな…。
あー。でももう一人男がいる。こいつは、フリーライターの小倉蒼一朗って面も割れてて、あんこに少しだけ気があるのに行動に移せない気弱な奴だ。
フリーライターってだけでも生活面の保障は低いし、僕としてはお勧めできない男だけど、あんこに危害はくわえないだろうって感じがあるから、安心できる。ま、男はいつ豹変するか分かんないもんだけどね。
自称元社長が猫ブースに入って来た。カフェエリアに居る小倉蒼一朗から離れたいんだろうか…。嫌な予感がする。僕はすぐにハッピーおやじに救援信号を送った。しっぽでバンバンバンバンって4回床を叩くんだよ。そうするとね…。
『バンバンバンバン』
救援信号が響いた。これは、かなりの一大事だ。送ったのは、シャー君だ。この図太い音は、太っていなきゃ出せないからな。俺はすぐに五男のロイヤルミルクティーを呼んだ。こいつは、態度もでかいが図体もでかい。あ?反対か?図体もでかいが態度もでかい。まぁ、この際どっちでもいいけど…。
ロイミ君は、呼ばれるとすぐに駆け付けた。
「なぁに?もうWebの人が来たの?俺は今日は担当じゃないよね?」
「あんこの一大事らしい。シャー君の救援信号が入った!」
ロイミ君の目つきが変わった。瞳の瞳孔が鋭く縦に伸びていく。毛が逆立ち、しっぽが太くなった。
「初めての人だから、穏便にするって言ってたのに、もうそいつはやらかしたの?」
「いや、違う。あの例の元社長の方だ。猫ブースのあんこを狙っているらしい…」
俺の言葉が終わらないうちに、ロイミ君はあんこの足元に走って言った。声が出てしまっている。
「あん、あん、にゃにゃわーん」(注:あんこ大丈夫か?)
◇◇◇
今日は省吾さんの奥様が紹介してくださるWebデザインの方たちが来られる日…。何だか緊張してしまう。私大丈夫かしら。頭の中でいろいろ考えが回っている。このお店を始めてから3年経つけど、売り上げはそこそこ…。本当はもっと売り上げを出したいのだけど、どうすればいいかの案もなく悩んでいたから奥様のご提案は、正直有難い…。でも、そこまで甘えていいのかという思いもあって…。
考え事をしながら、猫カフェでお客様の対応をしていたからか、猫ブースにいた山本様からお声を掛けて頂いたときは、いつもの警戒心をなくしてしまっていた。この方は、事業にも失敗され、奥様が居ない中お子様の育児に大変な人なんだけど、ちょっと変なんだよね。だから、出来るだけ近づきたくないって感じがするんだけど…。呼ばれて、つい、物理的な距離を縮めてしまった。こうなると、ちょっとやっかいだ。
「僕はね、ずっと君を見ていて感心していたんだ。若いのに、お客様の話を熱心に親身になって聞いてくれて…。僕は、いつも君に救われていたんだ。でもね…。」
男はそこで長い間を作ってからまた話し出した。
「いよいよ、もうダメかもしれないんだ。何とか今まで会社を元に戻そうとしていたんだけど、どうにも資金がね…。」
「資金がどうしたんだよ!お前、はっきり言えよ!お金貸してくれってことだろう?」太った身体に鞭を打って走り込んで来たロイミ君は、ぜぃぜぃ喉を鳴らしながら、猫語で話した。多分、人間には単に鳴いているとしか聞こえないんだろうけど…。
「ロイミ君、どうしたの?うん?焼きもちなのかなぁ?」
私は少しホッとして、ロイミ君を抱き上げた。この手の会話は必ず借金の申し込みに続くからだ。こういった商売をしていると、お金を貸して欲しいという輩が時にいる。最初は戸惑ったけど、大分慣れてもきた。世の中、お金を欲しがる人が多く、出来れば苦労せずに手にしたいと思う人が多いって事も理解している。これまでも危うくこの手の話に引き込まれそうになり、兄から特上の言い訳方法を伝授してもらって回避してきたから、きっと大丈夫だ。
「山本様、それは本当にお困りでしょう。もし宜しければ、私の兄は弁護士をしておりますから、会社資金運用についてはご相談してみてはいかがでしょう。」
私は舌を噛まないように気をつけながら、何とか話を誤魔化そうと頑張った…。
それなのに、山本様は私の手首をいきなり掴んでこう言い放った。
「こんな情けない話を聞いてくださるなんて、君は本当に素敵な人ですね。こんな年になって、ここまで惹かれる女性は君が初めてだ…」
「あの、この手を離してくださいませんか…」
「シャーシャー…」俺が威嚇しても、この男は動じない。どうすればいい?
その時だった。どこからともなく見知らぬ男が、自称元社長の手首を握った。
「穏やかな雰囲気じゃあないですね?」(でっかい図体の男)
「お前、女性が嫌がってんだろう!」(ちょっと痩せ型の男)
「あの…大丈夫ですか?」(気弱な小倉君)
俺が興奮していたせいか、不覚にも男たち3人があんこと自称元社長の間に割り込むように入って来たことに気づけなかった。猫エリアの扉は開きっぱなしだ。きっと急いで駆け付けてくれたのだろう。
そこには、でっかい図体の男とちょっと痩せ型の男、そして気弱な小倉君が居た。
3人の男たちに囲まれて、自称元社長は顔色を青くして、席を立って店から出ていこうとした。猫ブースは、会計が先に済ませるタイプで良かったな、きっとかなり恥ずかしかろう・・・。俺はニンマリと笑ってやった。
「おい!もうここには顔を出すなよ。今度何かあったら警察に訴えるからな!」
痩せ型の男は、最後に思いっきりダメだしをし、追い打ちをかけた。
「ちっ!二度と来るかよ!そんなブスに用はねえよ!」
「この野郎…」(瘦せ型の男)
「もうやめときな。彼女が可哀想だよ…」(でっかい図体の男)
あんこは寂しそうに微笑んだ。
「私は大丈夫です。皆さん、ありがとうございました。
宜しければお茶をごちそうさせてください。お飲み物は、何がいいですか?」
3人をカフェエリアに誘導すると、あんこは言った。
あんこが傷ついた姿を見るのは嫌だな。猫でしかない自分が嫌になる…。
あんこ、俺が守ってあげられなくてごめん…。
俺は泣きそうになって、何度も自分の顔を拭いた。ちょっとだけ、しょっぱい味がした。
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