第2章 少年と少女 ①

「ほんと気の利かない男だよ、カズマくんは。マジで」


「そんなに言わないでくださいよ、何度も謝ったじゃないすか」


「謝って済むなら警察も公安もいらねえんだよ」


 文句を言う俺に、カズマくんが涙目で謝る。


「まあまあ、あっくん――私、みんなにお祝いされて嬉しかったからさ」


「姉さん……!」


 夏姫の言葉にまた涙を流すカズマくん。規模が小さくなったとはいえ、U市を取り仕切る犯罪組織の頭としてそんなに泣いてばかりなのはどうなのか。


 急遽天龍寺家で開催されることになってしまった『天龍寺夏姫さん婚約おめでとう』の会が終わる頃には日が暮れて、俺と夏姫――ついでに勝手に着いてきたカズマくんの三人は、「今日はパスタがいい」という夏姫の希望で郊外のレストランを訪れていた。《スカム》系列の店じゃない、普通の飲食店。どうやら評判の店らしく、市外からも客が来るとは夏姫が言っていた。


 その席で、俺たちは注文した料理が出てくるまで雑談で時間を潰していたのだが。


「つーかカズマくん、着いて来るなとは言わないけど組織のトップが毎晩出歩いてて平気なの?」


 少なくとも兼定氏はいつも忙しそうにしていた気がする。それを尋ねると、カズマくんは秒も置かずに――


「いやあ、今は兄さんと姉さんの警護が一番の仕事すよ。それに俺、組織の運営とかよくわかんないですしね。大体幹部の兄さんらがバシッとやってくれるんで」


「……いい神輿っぷりだ。カズマくんの代で《スカム》潰すなよ」


「任せてくださいっす! 兄さんらに心配かけないように頑張るっすよ!」


 笑顔で言うカズマくん。


「わかってんのか? 《スカム》がこの街の治安維持に貢献できなくなったら公安が出張ってくるんだぞ?」


 他の客に気を遣い、小声で言う。兼定氏が健在のうちは《スカム》の心配はいらないだろう。しかし兼定氏が引退してカズマくんが本格的に仕切るようになったら大丈夫なのだろうか。そのころ、計画通りならきっと俺と夏姫は手伝ってやれない。


 おかしいな、夏姫の話じゃカズマくんも貫禄がついてきたって話だったんだけど。


「や、そこは幹部の兄さんらがしっかりやってくれてますんで。俺は荒事専門っつうか」


「……ま、強さで言えば今の《スカム》じゃシオリとカズマくんがトップツーだろうし、そこで頼りになるってのはこの手の組織じゃ重要だけど」


 異能犯罪の最たるものは能力者である証である異能を使った暴力だ。シオリやカズマくんのようにそこが最大の強みであるのは頼りになると言えばそうだが。


「飲食系のお店地道にやって、バトルアリーナ維持して、あとは余所者が好き勝手しないように縄張り管理してれば平気だと思うけどね」


 と、夏姫。


「例の件で《スカム》にはもうお祖父ちゃんの理念に賛成する人しかいないはずだから、カズマくんがしっかりしてればきっと大丈夫」


「マジすか」


 嬉しそうに言うカズマくん。つまりしっかりしろと言われてるのだが、本当にわかっているのだろうか……


 ――と、頼んだ料理が運ばれてくる。


「すごい、美味しそう!」


 目を輝かせるのは夏姫。一度聞いただけでは憶えられそうにない名前のものを頼んでいた。なんかきしめんみたいなやつにトマトだのバジルだのが乗っていて、色鮮やかでSNS映えしそうなものだ。カズマくんはシーフードのスープパスタ(生意気にお洒落なやつだ)、俺はベーコンがたっぷり入った腹に溜まりそうなペペロンチーノ。


 それぞれが感想を言いながら(俺は「美味い」しか言わなかったが)舌鼓を打ち、完食、退店――カズマくんの車で送ってもらおう、という段になって異変は起きた。


 異変、というか。


 店を出て三人で駐車場へ向かう途中、先頭を歩いていたカズマくんが急に剣呑な空気を纏う。無理もない――向かう先、カズマくんの車のボンネットに、足を乗せて座る人影が見えた。外灯の明かりが届かず、顔は覗えない。


「おい、カズマくん――」


 ここは裏通りじゃないし、《スカム》の系列店じゃない――つまり事件なんかを起してしまえばもみ消すこともできない。


「わかってます」


 静かな――しかし怒気を孕んだ声でカズマくんは俺に答え、そしてその人影に声をかけた。


「誰の車に座ってんだコラ」


「ちょっと、カズマくん――」


 声量こそ小さいもののそれなりにドスの効いた声を発するカズマくんに、夏姫が慌てて待ったをかける。


 ――すると、意外なことにその人影が俺たちに向かって口を開いた。


「やっぱり金髪の人が《スカム》会長のカズマさんなんだ」


 ――その声は、《スカム》の会長をそうと知って待ち伏せる豪胆さとは裏腹に、若々しいものだった。男なのは間違いない――俺と同年代の少年か。


「わかっててその態度か。車からそのケツどけろ。死にてえのか」


「自殺願望はないよ。今日は《スカム》会長の顔を見に来ただけ」


 そう言うと、そいつは存外素直に車から離れ――さらに外灯の明りから遠ざかる。しかし俺も夜闇に目が慣れた。そいつの顔を確認しようと視線で追う。


 ――結論から言うと、そいつの顔を確認することはできなかった。大きめのサングラスに、マスク――顔を見られたくないということか。


「舐めたこと言ってんじゃねえぞ、ガキが! 顔を見に来ただけだと――このまま帰すと思ってんのか?」


 メイチで脅しを入れるカズマくん。だがそいつはカズマくんの圧力からすっと逃れる。


「いやいや、今日のところは顔を見に来ただけだから、本当に――《魔眼デビルアイズ》なんて邪魔者もいるしね」


「なに――」


 こいつ――俺のことも知っているのか。


「おっと、その反応――《スカム》とずぶずぶだもんね、《スカム》会長が下手にでるからまさかと思ったけど――へえ、あんたが《魔眼デビルアイズ》か。そんなナリしてんだ。裏社会きっての仕事屋には見えないね。街を歩いてたら普通の高校生にしか見えないよ。で、そっちが天龍寺兼定の孫娘ね」


 口調とは裏腹に、そいつは何の感情もないような声音で俺と夏姫を確認する。やられた、カマをかけられたのか。


 こいつは何者だ? ――顔を見に来ただけと言う言葉に嘘はないように思う。実際奴から殺気を感じない。奴に俺たちに対する敵意があれば、カズマくんより早く俺がその気配で待ち伏せを察知できたはずだ。


「……あんた、何者だ?」


 一歩踏み出して尋ねる。そいつは俺が踏み出した分だけ下がり、


「あんたと構える気はないよ、用もない――見逃してあげる」


「てめえ誰に口きいてんだコラァ!」


 声を荒げるカズマくん――しかし男はカズマくんの恫喝を微塵も意に介さず、


「あんたじゃないよ、会長――《魔眼デビルアイズ》、邪魔はするなよ。するならあんたも殺すからな」


「殺す? 殺すだと――てめえ誰を殺るってんだ?」


「さてね」


 いきり立つカズマくんに、涼しげな男。その態度にカズマくんは更に怒りを募らせ、ついに大声で怒鳴る。


「ぶっ殺――」


「……やめとけ、カズマくん。場所が悪い」


 カズマくんが詰め寄ろうとするのを先んじて止める。そして俺は男に、


「邪魔をするまでもなく、あんたがカズマくんに勝てるとは思えないけどな。この状況でてめえの顔も見せられない奴にどうこうできる男じゃない」


「言うじゃん、《魔眼デビルアイズ》――まあ今日は会長の顔を見に来ただけだからね、こっちの顔を見せに来たわけじゃないから」


 言って、男は一歩、二歩と後退り――


「じゃあ今日はこの辺で。近いうちに殺しに行くよ、会長――《魔眼デビルアイズ》、邪魔はするなよ」


 そう言って――


「――!!」


 その場から姿を消した。比喩じゃない――まるでカズマくんの《忍び隠れるハイド・アンド・シーク》のようにその姿が見えなくなった。



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