第1章 婚約 ⑥

「――というわけで、夏姫ちゃんと半ば婚約? したんだけど」


 翌日、日の高いうちから天龍寺邸を訪れた俺と夏姫は、二人並んで兼定氏にテーブル越しに相対、昨夜の顛末を話した。


 天龍寺兼定の私室――備え付けられた応接セット。柔らかい皮のソファに腰掛けた兼定氏は、俺と夏姫の言葉に頭を抱えた。


 気持ちはわからなくない。


「――やっぱ爺さん的にはなしか? まあ、夏姫ちゃんのプランだと大学行って、卒業してからってことだから、俺が何度も入試落ちたり、じゃなければ在学中に他の男に目が行ったりで気が変わ」


「らないよ! どうしてそういうこと言うかなぁ!」


 夏姫が俺の肩を叩く。痛い。パワフルになったなぁ……


「なしとは思わんが」


 兼定氏が眉間を押えながら低い声で俺に言う。


「どうしてお前はそう極端なんだ」


「いや、夏姫ちゃんが心配そうだったからさ、T市の件が片付いたらちゃんと戻ってくるってことを俺なりに誠実に語ったら、なんか気がついたら話がそういうことに」


 俺も別に、結婚を前提とした交際なんてものを意識してたわけじゃないんだけどな。


「……まあ、先日言ったとおりこれ・・もお前を追ってゲヘナシティまで行くぐらいだ。二人の好きなようにしたらいい。しかし高卒認定に大学か――つまり、足を洗うわけだな?」


「そういうことになるのかな? T市の件が片付けたらまっさらな戸籍が手に入るらしいんでな」


 兼定氏の言葉に答える。


「シオリには感謝してる。お陰で飯を食うのに困ったことがない――ゲヘナシティで仲間に言われたよ。人生の師マスター・オブ・ライフだってな。だけど、危ない橋を渡らなくても働けるならそれもいいかと思ってる」


 俺は親代わりのシオリの名を挙げて話す。本心だ――シオリに基礎を仕込まれていなかったら俺はとっくにどこかで野垂れ死んでいただろう。でなければ、俺を攫った犯罪組織に洗脳されて生きた殺人人形キリングドールにでもなっていただろう。シオリのお陰で自分で考え、行動できるようになり――そして、夏姫と出会った。


 その夏姫が、改まって兼定氏に言う。


「あのね、お祖父ちゃん――日本に行きたいって言った私の為にアメリカまで迎えに来てくれて、日本では今まで面倒見てくれて、すごく感謝してる」


「あれ、夏姫ちゃんって一人でアメリカから出てきたんじゃないの?」


「実質的にはそうだが、当時の年齢じゃ一人で飛行機――国際線には乗れなかったからな。まあ、儂は向こうの空港まで迎えに行っただけだが」


「ちょっとあっくん、話の腰折らないでよ――私、日本に来て本当に良かったと思う。お祖父ちゃんも、《スカム》の人たちもすごく良くしてくれた」


 異能犯罪組織だけどな――とは言わないでおいた。また怒られたらたまらない。


「今まで私の面倒をみてくれて、本当にありがとう。今すぐ嫁ぐわけじゃないけど――《スカム》、継げなくてごめんなさい。私、あっくんと普通の暮らしを目指していきたい」


 夏姫が居住まいを直し、深々と兼定氏に頭をさげた。目頭を押える兼定氏――その瞼の間からすうっと一粒、涙が溢れる。


「きっと私、幸せになれると思う」


 そう言う夏姫に、兼定氏はもういいとばかりに手を挙げる。まあ、威厳ある祖父として孫娘の前で泣きたくはないわな。これ以上は耐えられないか。


 ――と、兼定氏の私室、その扉が無遠慮にがちゃりと空いた。俺と夏姫、兼定氏が揃って目をそちらに向けると、そこには涙を流すカズマくんがいた。その後ろにはシオリの姿も見える。


 カズマくんはめちゃめちゃ泣きながらその場で土下座した。本人は座礼のつもりなんだろうが、額を床につけたらそれは土下座だ。


「この度は……ご婚約、おめでとうございますっ……」


 そして嗚咽を漏らしながらそんなことを言う。


「や、なんでカズマくんがそんなに泣いてんの……」


 引きながら尋ねると、カズマくんはばっと顔を上げた。鼻が垂れてる。汚えな。


「だって、だって初代の孫娘である姉さんと、先代――兄さんの婚約ですよ? こんなにめでてえことはねえっす……!」


「つうかなんで知ってんだよ。聞き耳立ててやがったな?」


「だって二人とも昼間から真剣な顔で初代に話があるって――そりゃあ気になるじゃないっすかぁ」


 目から大量の涙を溢れさせてカズマくんが泣き叫ぶ。お前は平成初期のコミックのキャラか。


「だからってそんなに泣かなくても」


 俺とは違って優しい夏姫がカズマくんにそう声をかける。そう言えば、いつだったかカズマくんは夏姫が日本に来たときから見てたって言ってたな。呼び方こそアレだが、カズマくんにとって夏姫は妹みたいなもんで、夏姫にとってのカズマくんは兄貴みたいなもんか。心なしか、カズマくんにそう告げる夏姫の声も涙声だ。


「おめでとうございます、姉さん。俺、姉さんの気持ち知ってたっすから、兄さんとの婚約、自分のことみてえに嬉しいっす」


「カズマくん……」


 カズマくんの言葉に、夏姫の方もうるうるとしている。


「――そんで、おめでたいと思ってるのと同じくらい寂しいっす――兄さん、せっかく日本に帰ってきたのに、もうつるめないんすね」


 今度は俺に向けて、カズマくん。


「ああ? 別に一緒に遊んだりするのは構わないんじゃない?」


「駄目すよ、姉さんと二人でカタギになるんでしょ? 《スカム》と繋がりがあっちゃ――」


「や、まあ本当に大学行くようになればこの街から出てくかもしれないけど、ここにいる間は構わないんじゃねえの? もちろんT市の件が片付いてカタギになったら犯罪には関わらないけど」


 足を洗うと言ったって、別に今の知人と縁を切らなくてはということもないと思うんだけど。


 夏姫に目を向けて尋ねてみる。視線で意図をくみ取ってくれたようだ。


「うん、あっくんは戸籍を手に入れるんだから、表向き《魔眼デビルアイズ》山田アタルとは別人になるわけだし。私たちが直接犯罪に関与することがなければ――時々ご飯行くとか、そういうのは平気だと思うな。カズマくん、あっくんにはあんまり友達がいないから、これからもいいお友達でいてあげてね? 私も頼りにしてるから」


「兄さん、姉さん――」


 カズマくんは俺と夏姫の顔を見ると、感極まったのか一層涙を流す。


「……邪魔だよカズマ、いい加減泣くの止めな」


 そう言って床に蹲って泣きじゃくる名目上スカムの最高権力者をまたいで(酷いな)部屋に入ってきたのはシオリだ。犯罪組織に攫われた赤ん坊同然の俺を救出し、実の両親が殺されたためそのまま俺を育ててくれた親代わり――そして、裏家業を仕込んでくれた師でもある。


 今は主に兼定氏――そして時々カズマくんのSPだ。その割にはカズマくんの扱いが雑なんだが……


 俺とシオリの間には、それなりに複雑な事情がある。俺はシオリに向けてどう言うか一瞬迷い、そして端的に告げた。


「よう。聞いてたんだろ。そういうことになった」


「聞いてた。おめでとうでいい?」


「ああ」


 頷く俺に、シオリは目を細め――そして、その目を夏姫に向けた。


「おめでとう、お嬢。良かったね。あんたすごいよ、さすが旦那の孫娘だ。アタシにはできなかったことをやり遂げた」


「ありがとう、シオリさん――シオリさんとカズマくんが私を鍛えてくれたから」


「アタルに高卒認定取らせるって? 一応アタシも読み書きや計算は教えたつもりだけど、アタシ自身学校なんて碌に行ってないからね――苦労かけると思う」


「大丈夫です、あっくん地頭いいから」


 夏姫とシオリがそんな話をしている向こうで、部屋の外がなにやら騒がしくなってくる。そして聞こえてくる足音。


 俺は少し嫌な予感がして、その原因であろう人物に声をかける。


「――カズマくん?」


「や、先代の婚約なんてめでたいこと、組織を挙げて祝わなきゃじゃないすか。なんで一応幹部に連絡を――」


「馬鹿野郎。んな話回したら――」


 組織には上下関係というものがある。一晩限りとは言え、俺は《スカム》の会長だった男だ――それが初代会長の孫娘と婚約したなんて話を聞いたら、《スカム》に所属する以上礼を尽くさねば面子を欠く。


 兼定氏に報告しにきただけのつもりだったのに、俺と夏姫は代わる代わる兼定氏の私室を訪れる高級スーツに身を包んだ《スカム》の幹部たちに「おめでとうございます」と頭を下げられる羽目になった。



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