第1章 婚約 ④
「ところで、さ」
T市を仕切っていた巨悪を葬った(と言って差し支えないだろう)謎の少女探偵について一通り話を終えたところで、夏姫はパソコンデスクからソファへと戻り――そして、そんな風に切り出した。
「T市の件はどう?」
「あ? どうもこうも――あのド変態が準備を済ませたらT市に乗り込んで好き放題してる一部の馬鹿どもをわからせてくる」
「あー……聞き方が悪かったかー」
と言って夏姫は苦笑いし、
「因縁の相手なんでしょ? 勝てそう?」
「さっきは『なんのことかなぁ』ってとぼけたくせに」
「そりゃあ――あんまり心配されたら面倒、でしょ? でも」
心配は心配だし――そう言葉を濁す夏姫。
俺は少し迷って――……
「T市で暗躍してる連中に、フィリピンで敵対した連中がいるってことは話したよね?」
「うん」
「一度現地でわからせてやったつもりなんだけどな――どうやら懲りてないらしい」
「勝ったことがあるってこと?」
「ああ――だからそんなに心配しなくて大丈夫」
実際、夏姫の心配を面倒だとは思わない。むしろかけさせたくないと思う。
だから相手についての明言は避けた。嘘は言っていない――勝ったことがあるのは本当だ。というか、殺したはずだ。
額に銃創がある男――かつて俺が用心棒をしていた組織……ターニャを殺した組織の幹部。腹に鉛弾を何発もくれてやって、その上で首をへし折ってやった。生きているはずがない。
……ゲヘナシティにはヴィンセントと名乗る男がいた。西区最大のギャング《グローツラング》のボスで、《
しかし、額に銃創がある男は《
わざわざそれを夏姫に伝えて怯えさせるような必要はない。大丈夫だ、何も心配はない――死の淵から舞い戻ってきたのなら、改めて奴を地獄にたたき落としてやればいい。それだけだ。
「――それでさ」
「うん?」
「T市の件が終わったら
……なるほど、一番心配なのはそれか。T市の馬鹿どもをわからせた後、俺がここへ戻らずまた日本を出て行方知れずになってしまわないかと。
「ゲヘナシティを出て日本に戻ってくる前に寄ったイギリスで話したと思うけど」
そう前置きをする。確か最初に夏姫に詳しく説明したのは、主に重傷を負った
「八代宗麟が捕まったことでT市の治安が瓦解して――特にここ一月強で公安が何人か殺されている。その主犯とみられる組織のトップが俺の敵、なんだけど」
「うん」
夏姫が俺の言葉の続きを促すように頷く。
「さすがの公安も手を焼いて――
「あっくんがちゃんと帰ってきてくれるのは嬉しい。だけど、信じて良いの?」
俺の言葉を――ではない。警察庁の指令を受けた
「……公安には異能犯罪者の評価基準として、危険度と脅威度ってのを定めているらしい。前者は文字通りその異能犯罪者がどれだけ危ないか――そして後者は、一般人に対する脅威度を示すってことらしいんだけど……俺は危険度が最高で脅威度は最低なんだって。どちらかと言えば放っておくべき犯罪者ってのが公安の評価らしい」
放っておけば勝手に異能犯罪者を間引きして、一般人には被害を出さない――そんなタイプであると。そういう見方をすれば、治安維持装置として泳がせておく価値がある、と。
……そう自覚すると使われているようで面白くないが。
「……わからなくはないかな。あっくんは自分から一般人に手を出さないもんね」
「まあ、俺は俺のルールに従っているだけなんだけどね――ってことで、警察庁的に俺は取引をする価値がある相手だってことらしいよ。それに」
それに、だ。奴を評価――良い意味で評価するのは業腹だが。
「
「そっか」
俺の言葉に夏姫は頷いた。嬉しそうに――そしてどこか寂しそうに。
「……でも、それなら
「なんでさ」
「だって――あっくんが戸籍を手に入れたら、自分で部屋を借りられる。普通に仕事もできる。私はね、あっくんを探して――日本に二人で帰って、また前みたいに何でも屋でもしながら二人で生きていけたらいいなーって思ってたんだけど」
そこまで話す頃には夏姫の表情から嬉しそうな色は抜け落ちていた。ただひたすら寂しそうに――
「あっくんがまっとうに幸せになる道を邪魔したくはないかな。私はほら、こう見えて結構道踏み外しちゃってるしさ。一緒にいたらいずれあっくんに迷惑かけるかも。公安に身元割られちゃってるわけだし」
夏姫は異能犯罪者らしい犯罪――異能を使った殺人やそれに準ずることだ――こそ犯していないものの、一般的な犯罪は割と手広くやっている。不正アクセス、銃刀法違反、殺人幇助、公文書偽造――他にも挙げたらキリがない。殺人とクスリ関係以外は大抵やっているんじゃないかと思う。
それは夏姫の出自のせいか、それとも長く俺と過ごしたせいか――しかし。
「その夏姫ちゃんの身元を割った公安が言うには」
かつて
「夏姫ちゃんの罪は公安が躍起になって捕まえなきゃならないほどのもんじゃないってことらしいよ。少なくとも
そして単純な戦闘力を身につけても、夏姫ちゃんの能力強度は貧弱なままだ。夏姫ちゃんが公安に追われるような事態になる可能性は極めて低い。
「――だから仕事は選ぼうぜ。法に触れない何でも屋になろう。時間で人材レンタルみたいな感じで仕事とってるとこもあるだろ? そんな感じにさ」
俺の言葉に、夏姫はただ目を丸くして――
「夏姫ちゃん?」
まさか意識を失っているわけじゃないだろう。その証拠に瞬きもしている。
「……夏姫ちゃん?」
再度問いかける。夏姫はようやく俺の言葉に反応を示した。
「あっくん、何を言ってるか自分でちゃんとわかってる?」
夏姫は目を丸くしたまま不思議そうに俺に問うた。
「まあ、そのつもりだけど」
「これからも一緒に――私と一緒に暮らしてくれるってこと? もう仕事だって自分に好きに選んで、自分の力で部屋だって借りられるようになるのに?」
そんな風に言う夏姫。俺は俺なりに順序立てて説明しようと言葉を探し――
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