第4章 体現者 ⑦

 キャスケットを被った亜麻色の髪を巻いた少女。記憶より少しすらりとしている――痩せたんじゃない、引き締まった――そんな印象。印象が違うのは出で立ちのせいもあるかも知れない。ブラウスやミニスカ、ワンピース――ガーリーな恰好が多かった彼女だが、上はパーカー、下はミニスカートに七分丈のボトムスを合せている。


 ファッションに合わせて様々なシューズを持っていた彼女だが、今は見覚えがない無骨なアンクルブーツだ。体に密着させるように身につけた大きめなボディバッグもかつての夏姫なら選ばないような機能性を重視したもの。以前はショルダーバッグやハンドバッグを好んで使っていた――そう記憶している。


 しかしそんな恰好でも、俺を見る目、その声――目の前にいる少女は間違いなく天龍寺夏姫その人だ。一瞬特殊な変身能力を持った能力者かとも思ったが、その手に嵌めているグローブが否と告げている。あれは俺が日本を出るとき、夏姫に置いてきたグローブそのものだ。


「夏姫ちゃん……」


 その名を呼ぶと、彼女はかつてのようににこりと笑った。


「どうしてここに――……」


「それ聞く? もちろんあっくんを探しに、だよ。随分時間がかかっちゃったけど、こうして会えたからまあ一安心、かな」


 そう言うと、夏姫はきゅっと口元を引き締め、


「でもあっくん、私あの別れ方は納得してないし許してないからね。ちゃんとお話ししたいんだけど――」


 そして、俺の向こう――スクリットに目を向ける。


「今はちょっとそんな状況じゃないみたいだね」


「察するに――」


 今度はスクリットが口を開く。


チェーンこれは日本に置いてきたはずのその彼女のもの、ってことでいいのかな、アキラさん」


「――……アキラ?」


ここアメリカじゃそう名乗ってるんだ」


 尋ねてくる夏姫に答えつつ、俺は背中に夏姫を隠し、


「だったらどうだってんだ」


「もちろん――こうするよ」


 言ってスクリットは更に前に出て、千切れたリストチェーンを踏みにじった。


 ……混乱している――というのが多分今の俺を表す言葉として一番近い表現だろう。


 ゲヘナシティの各地区を牛耳る三つの組織の抗争に首を突っ込むことになり、なんとか仕事をやり遂げたと思ったら日本から出るきっかけとなったかつての敵、荊棘蜜香が登場。奴が現われた理由に納得はしたものの、その荊棘と一時的な協力体制を結ぶことにしたら今度は友人だと思っていたラビィがFBIのエージェントだと言いだし、FBIは俺がアメリカ国外に出ることを許さないと言う。おまけに俺をFBIの一員として迎え入れるって?


 その上日本でつつがなく暮らしていたはずの夏姫がどうしてゲヘナシティに現われるんだ? 俺を探しに来たようだが――俺は日本を出て以来、夏姫はおろかシオリやカズマくんとさえ連絡を取っていない。日本を出るときにまずはフィリピンに向かうと言い残してきたが、まさかフィリピンを皮切りに世界中の犯罪都市を巡って俺を探していたのか? 能力者とは言え能力強度は貧弱で、身体能力も一般人とそう変わらない夏姫が?


 理解不能なことばかりだが、わかっていることもある。そんな状況でも俺は意外と冷静で、同時にあのリストチェーンを踏みつけたスクリットに怒りを覚えているということだ。


 それも、激しいやつを。


 嘲るような態度のスクリットにわからせてやろうと踏み出しかけたとき、俺より一瞬早く疾駆する影があった。


 夏姫だ。夏姫が俺の背中から飛び出し、スクリットに迫る。


「夏姫ちゃん、待って――」


 声をかけるが、間に合わない――夏姫はスクリットに手が届くところまで踏み込み、平手を振りかぶる。


 そんなものが通用する相手じゃない。スクリットは受けるなり躱すなりして夏姫に反撃するだろう。


 だがそれは俺がさせない――夏姫を止めるのが間に合わなくとも、反撃に割って入る。そう思って踏み出した俺の目ににわかには信じがたい光景が目に入った。


 どんっ――と重い衝撃音と共に、肩から下がブレて見えるほどの勢いで放たれた平手がスクリットの顔面を捉えた。打たれたスクリットは衝撃でたたらを踏み、夏姫はそれがわかっていたように屈んで踏みつけられていたチェーンを拾い上げる。


「……夏姫ちゃん」


 声をかけると、夏姫は振り返って――


「ごめん、あっくん。でもいくら壊れちゃったからって言っても、やっぱりあっくんにもらったものを踏みつけられた許せないよ」


「……そんなことより」


 今の動きはなんだ――? いや、思えば俺の背中から飛び出す動きもそうだ。俺が止める間もなく飛び出していった――


 以前の夏姫にあんな動きはできなかったはずだ。


「そんなこと? これより大事なことなんて、私にはそんなにないよ」


「少しはあるんだ。いや、そうじゃなくて――」


「――まあ、見たまんまだよ、アタルくん。君のお姫様はもう君が知ってるお姫様じゃないってことさ」


 またしても知覚外から口を挟まれる。しかし今回はその声、口調に憶えがある。


 そして――俺より早く夏姫が反応した。


「――荊棘蜜香!!」


「やれやれ――君とアタルくんが出会う前に街から出てしまいたかったんだけどね。この国は好きになれそうにないな。上手く行かないことばかりだ」


 荊棘を睨む夏姫に、その視線を軽く受け止める荊棘――この雰囲気は夏姫も荊棘も、互いがこの街で俺に近づこうとしていたことを知っていたってことか。


「――荊棘、お前――」


「ここは私が弁明するより、君が信じるお姫様から話を聞いた方がいいんじゃないかな。彼はあの女の仲間だね? 私がしばらく引き受けるよ。君はその間にお姫様から話を聞くといい」


 一方的にそう言った荊棘はスクリットに向かって歩く。そして俺の脇を通り過ぎる時、俺にだけ聞こえるように小声で囁いた。


「――あの女はノシてきたけど、私も腹を撃たれてる。長くは保たないから、なるはやで状況を理解して交代して欲しい」


「殺したのか?」


 問うと、荊棘は首を横に振る。


「それは君が嫌がると思って」


「――そうか。あいつは俺が畳むから、死なない程度に時間を稼げ。それと――」


 スクリットの異能を伝えようとするが、荊棘は口元に人差し指を当てて片目を閉じる。


「それは無粋ってもんさ」


「……頼むぞ」


「任されたよ」


 そう応える荊棘。そして――


「いいなぁ、アキラさんは。窮地にこんなに女の子が助けに来てくれるなんて。羨ましいなぁ」


 スクリットがあざ笑う。女に助けられて平気なのかと。


 しかし、こんな舌戦が得意なのも荊棘の癖の強さだ。


「おや、私は君より随分お姉さんだと思うけど、女の子なんて言ってくれるのかい? 嬉しいじゃないか、お礼に少し可愛がってあげるよ」


「へえ、そうなんだ? 日本人は若く見えるからね――でもお姉さん、僕はそっちの子がいいな。まさか平手で押し退けられるとは思わなかった。驚かせてくれたお礼をしたいんだ」


「やめておきたまえよ。彼女に手を出すと彼の制御が効かなくなる。お姉さんで我慢しておくんだね。きっと満足させてあげるからさ」


 剣呑な空気を纏うスクリットと、楽しそうな荊棘。背中を向けているので見えないが、荊棘が凄惨な笑みを浮かべているのが見えるようだ。



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