第4章 体現者 ⑧

「夏姫ちゃん、こっち――」


 荊棘に向かってスクリットが地面を蹴る。それを見て俺は夏姫の手を引いて少し離れた路地の端へ移る。話し込んでいる時に奴らの戦闘に巻き込まれたらたまらない。


 大人しくついてくる夏姫――こういうところはかつてのままだが。


「ええと、なんで夏姫ちゃんがここに」


「はぁ? なんで? 今なんでって言った!? さっきも言ったけどあっくんがそれを聞くかなぁ! 言っとくけど私、会えて嬉しいのと同じくらい怒ってるんだからね!」


 頬を膨らまし、夏姫がまくし立てる。


「私とあっくんは家族でしょ! いなくなったら探すのは当たり前じゃん! まあね、私は『愛してる』なのにあっくんは私のこと『好き』程度だもんね! あっさり捨てられるのかも知れないけど! なによさっきのやり取り――私を捨てて荊棘蜜香とくっつくことにしたわけ? あいつがあっくんに日本で何したか忘れちゃった? それとも忘れたのは私のことかな!」


「待った、落ち着いて夏姫ちゃん――」


 興奮している夏姫に告げる。


「……あの時は時間がなかった。一方的に出て行ったのは悪かったし、後でちゃんと話を聞くよ。だけどあの時以上に今は状況が切迫してるんだ。だから話を聞かせてくれ」


「……じゃあ先に一つ聞かせて」


 情緒が不安定なのか――いや、俺も今はかなり参っているが――不意に不安げな表情を見せ夏姫が言う。


「なに?」


「……私がここに来たのは迷惑だった?」


 そう口にした夏姫は視線を落とし、その肩は震えていた。


 ある種の決意をして日本を出た日のことを思い出す。


「……あんなに一方的に出てきたからね、もう夏姫ちゃんに会うことは二度と叶わないと思ってた。また顔を見れて嬉しい。本当に」


「……良かった。これ、持っててくれたんだね。私もこれ、大事にしてるよ」


 夏姫はさっき拾ったリストチェーンを、俺が彼女にと置いてきたバトルグローブを嵌めた手に乗せて愛おしげに見つめる。


「じゃあ迷惑じゃない?」


「勿論――と言いたいけど、今は状況のせいでちょっと迷惑だ」


「あっくんらしいけど! ごめんね!」


 地団駄を踏むように夏姫が言う。そんな彼女を宥めつつ――


「で、俺を探しに来たのはわかった。でもどうやってここが? それに――……」


 先の動きだ。能力者としては非才、一般人に毛が生えたような運動能力しか有してなかった夏姫が、俺が手を焼くスクリットに一撃を入れ――あまつさえ退けたのが理解できない。


 それに、荊棘と先を争うように俺を探していたことも。もしかして、荊棘が持ってきたT市の県以外でも、日本で――たとえばスカム絡みで――なにかあったのか?


 いや、それは考えにくい。日本を出ることになった事件でスカムには置き土産を残してきた。警察絡みのトラブルはないだろうし、敵対組織にどうにかされる可能性はもっと低い。隻腕になった兼定氏も異能はともかく影響力は大きいし、カズマくんとシオリがいる。


 だとしたら夏姫の両親か? 夏姫はアメリカに移住した兼定氏の息子の娘で、生まれと育ちはこの国だ。その両親に何かあってこの国に訪れたことも有り得る。


「――落ち着いて、あっくん。目がぐるぐるしてる。私があっくんを探しに来たのは会いたかったらだよ。それだけ――でもそれだけじゃ同じことの繰り返しになると思ったの。あっくんは自分と一緒にいたら私が危ないからって言ってた。だから――」


 隣に立てるくらい強くなった。心配かけないくらい強くなったんだよ――夏姫はそう言った。


「一年足らずで、そこまで? あの夏姫ちゃんが?」


「その言い方は失礼だなー……って言いたいけど、まあ前の私じゃそう思われても仕方ないか――あのね、あっくんがいなくなって、シオリさんは不自由だった左肘を治したの。カズマくんは貫禄がついたよ。二人ともあっくんの代りができるようにって頑張ってた」


「……うん」


「私はあっくんの傍にいられるだけの力が欲しかった。だから二人にお願いしたんだ。私をあっくんの隣に立って、一緒に戦えるぐらい強くして欲しいって」


 そう言った夏姫は俺にVサインを見せる。


「異能なしなら、栞ちゃんの件でシオリさんと戦ったときのあっくんぐらいには戦えるってシオリさんから太鼓判をもらったよ。だから探しに来たの!」


 ――! あの頃の俺と同レベルに? あの夏姫ちゃんが? それも一年かそこらで――


 ……それは生半な努力では叶わないことはわかる。もしかしたら――いや、もしかしなくてもガキの頃の俺より過酷なトレーニングが必要だっただろう。


 この一年、夏姫がどんな時間を過ごしてきたのか――それを考えると胸が締め付けられる。


「あっくん、痛い――」


 思わず彼女の肩に置いていた手に力が入ってしまったらしい。夏姫にそう言われてぱっと手を放し、


「ご、ごめん――それで、荊棘とは?」


 尋ねると、夏姫の顔が険しくなる。


「――私があっくんを探しに日本を出たとき、最初にあっくんが行くって言ってたフィリピンに行ったの。そこで偶然会っちゃってね。向こうもあっくんを探してて――私、荊棘蜜香があっくんのこと何か知ってるなら吐かせてやろうと思って仕掛けたんだけど」


 ――仕掛けた? 荊棘に? なんて向こう見ずな……そういう事情で荊棘は夏姫の変化を知っていたのか――


 くそ、あいつ夏姫のことなんて一言も言わなかったぞ。確かに約束通り夏姫に手は出ししてないみたいだが――


 俺の顔色から言いたいことを察したのか、夏姫が言葉を続ける。


「――でも相手にされなかった。逃げられちゃって」


「……あいつは自分で口にした約束は必ず守る、らしい。荊棘は金輪際夏姫ちゃんに手を出さないって条件で俺とやり合ったんだ。あいつは夏姫ちゃんには手を出さないよ」


「なんでそんな条件を――」


「……俺とやり合えないなら《スカム》を潰して夏姫ちゃんを捕まえるって言うから」


「……私のせいであっくんは公安と――」


 顔を伏せる夏姫。俺は再び彼女の肩に触れる。


「そんなことはどうでもいい――そっちの状況は大体わかった。いいか、夏姫ちゃん。あんまり時間はないから簡単に説明するけど、俺は荊棘と取引をした。日本に帰る。でもそのためにFBIと対立してて、あの男はそのエージェントだ。他にもエージェントがいてそいつは荊棘がノシたらしいけど――ともかくあいつを振り切ってこの街――この国から出なきゃならない。俺と荊棘は不法出国だ――夏姫ちゃんはどうやってアメリカに?」


 尋ねると、夏姫は嬉しそうに頷いた。


「日本に? 良かった――大丈夫だよ、私もあっくんに迷惑かけないように偽造パスポートで入国してるから、一緒に不法出国で帰れるよ!」


 なんだよその理論は。なにも大丈夫じゃない――大丈夫じゃないが、OKだ。


 じゃあ、あいつを畳んでくるから待っててくれ――夏姫にそう告げようとしたとき、荊棘の声が響く。


「――話はまとまったかな、アタルくん――ちょっと想定外の事態でね、お姫様の前で他の女を助けるのは気が引けると思うけど――できたら助けてくれると有り難いな!」


 奴にしては珍しく声に焦燥が混じっている。その声に応えようと荊棘とスクリットの方に目を向けると――


「――!!」


 仁王立ちのスクリット――その前で腹を押えて蹲る荊棘。


 腹を撃たれたと言っていた。そのハンデもあるだろうが、スクリットは荊棘が俺に助けを求めるほどなのか?


「……お前がそんな姿を晒すなんてな」


 夏姫にジェスチャーでその場で待つように伝え、荊棘たちの方へ向かう。


「いやあ、恥ずかしいね、重ね重ね――もうしばらく目は覚まさないと思ったんだけどな」


 俺の言葉に荊棘はそんなことを言いながら通りの向こうを指し示す。


 そこには。


「――お前がしくじるなんてな」


「……確かに意識は飛ばしたんだよ? 彼女がタフだってことにしておいてくれないかな」


「それは間違いなさそうだけど」


 荊棘が示すその先には、全身血だらけで脚を引きずるラビィの姿があった。



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