第4章 体現者 ④

 集中してその瞬間に備える。落下速度が二百キロを越え、地面までおよそ十メートルといった所でアイディアを実行。


「《貪食グレイプニル》――!」


 私は自分の異能は支配・制御して初めて真価を発揮するものだと思っている。放射系の能力のように一か八かで全力で放つ様なものじゃない。具体的なイメージと緻密な計算で髪の毛の一本一本を完璧に制御してこその力だ――アタルくんとの戦いでそう思い知らされた。


 それまで通用していた運用では彼に勝てなかった。地力では負けていなかったと思う。能力、そして戦いそのものに対する意識の持ち方が明暗を分けた。


 あれ以来、私は異能の制御に時間を割いた。直接攻撃とせいぜいがトラップに使う程度だった私の髪は、今じゃ攻守ともに最大限に活用し、簡単な鍵を解錠できるほど繊細に制御できる。


 その私が、半ば祈るような気持ちで異能を展開する。


 狙いは電柱や建物の外壁にある突起物――落下する私に先行させ、幾重にも髪を巻き付けてネットを形成――落下点とネットの中心がずれている! もう一手間かけて中心に落ちるよう髪を手繰って落下の軌道を制御する。


 衝撃――慣性でぶちぶちと髪が切れるが、異能で伸ばした部位が衝撃に耐えきれず千切れるのは想定内だ、問題ない。


 そしてネットを貫通。しかし落下速度のほとんどは殺した。この高さからの自由落下ならなんの問題はない。そのままふわりと着地する。


 無事、生還――しかし想定外の出来事があった。私の落下死を見届けようとしていた彼女の姿がない!


「――お帰りなさい。空の旅はどうだった?」


 声は後から聞こえてきた。先にあったのは銃声と衝撃。腹に熱した鉄パイプを突っ込まれたような痛みを感じる。膝から力が抜け、思わず膝をついてしまう。


 背後から撃たれた――


「あなたならアレから逃れると思ってた――想像通りね。一発当てるのにこれだけ苦労したのは初めてよ」


 背後から囁き声。嬉しそうなその甘い声に遠のきかけた意識が覚醒する。


 落下攻撃さえ背後を取るための罠――詰めの一撃はこのバックアタックか。


「――……やるじゃないか」


 腹をまさぐる……弾は抜けているようだ。けれどこれはどうだ……? 心臓が動いている間に治療を受ければ私たち能力者はまず死なない。だがこの街でそんな高度な治療は望めないだろう。となれば不味い。撃たれたのは下腹部――位置からして腸が傷ついている可能性は高い。そして出血や汚物が腹腔にたまったまま長い間治療を受けなければ――


 多少手荒でも急いで応急処置をしなければならない。


 がつっと背中に衝撃が走る。後ろから蹴飛ばされたらしい。抗えずにアスファルトとキスする羽目になる。


「は――はははは! いい気味ね、どう? アスファルトの味は!」


「……なかなか魅力的だよ。血の味がセクシーだ」


「――強がりを!」


 今度は背中を踏みつけられる。銃創のあたりだ。


「がはっ……!」


 いいね――ここまで私を追い詰めたのはアタルくんを除けば初めてだ。惜しむべきは私の自由意志で彼女を殺せないこと――


 踏みつけられながら、遠のく意識で髪を操る。腹の銃創へ潜り込ませ、腸と思しき臓器の傷口を探る。


「……っ!」


 焼けるような痛み。ここか。傷口を覆うように髪を巻き付け、異能を解除。伸ばした髪は消えてなくなったりしない――これでしばらくは出血を抑えられるだろう。


「……はぁっ、はぁっ……」


 脂汗が出ているのがわかる。殴られる痛みは好物だが、こういう痛みは辛いものだな。


 応急手当を終えても一息つく暇さえ無い。今後は肩口を蹴られ、仰向けにされる。足元に立って銃を構え、私を見下ろす彼女の姿が目に入った。


「さて、よくもここまでやってくれたわね? 本当はじっくりやり返してあげたいんだけれど、私も彼を追わなきゃならないの。残念だけど楽にしてあげるわ」


「はは、アタルくんを慮って手加減してあげてるのに随分と辛くあたるじゃないか。そんないけずなことを言わないで存分にやり返してくれて良いんだよ。殴るほどじゃあないけれど、殴られるのも好きなんだ」


「――挑発には乗らないわ。あなたが怖い相手だというのは良くわかった。私たちの理想郷ユートピアには必要無い人間だということもね」


超能力至上主義者スペシャルレイシストに必要とされない――こんなに嬉しいことはないな」


「――!!」


 腹部を蹴られて銃創が痛む。


「っ……調子が出てきたじゃないか」


「そんなに苦しみたいなら付き合ってあげるわよ!」


 彼女が叫び、足を振り上げる。ストンピングが――この状況で一番の下策を!


 操った髪で軸足を掬う。同時に跳ね起きて驚愕の表情を浮かべる彼女に笑いかける。


「――その傷で、どうしてそんな動きが――」


「私も異常者だからね」


 重力に抗えず尻餅を着く彼女――その彼女の頭をサッカーボールのように蹴飛ばす。


「…………!」


 手応えは十分。今日イチかも知れない。彼女は意識を失ってそのまま大の字に倒れる。


 一応確認しておこうと首筋に手を添える――脈はある。やれやれ、タフな女だ。全ての超能力至上主義者スペシャルレイシストがこうだと思うとぞっとしないな。


 念のために彼女の手の銃を奪い、マガジンを確認――弾は残っていない。最後の一発を当てるために彼女も体を張ったというわけか。


 銃を遠くへ放り捨て、踵を返す。これでようやくアタルくんを追える。


 ――と、一つ忘れていた頃に気がついて振り返った。気絶したままの彼女に告げる。


「まだその気があるならアタルくんとの用が終わった頃に遊びにおいで――その時は必ず殺してあげるよ」



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