第4章 体現者 ③


   ◆ ◆ ◆


「がふっ……」


 腹筋を貫き、胃にダメージを通した手応え。血反吐を吐きながら彼女は体をくの字に折り、そのまま崩れ落ちるように膝を折る。


 ――だが、倒れ込んだりはしない。親の敵を見る様な目で私を睨みつけ、吠える。


「――あんたはこの世界に必要無い!」


 そして銃をこちらに向けるが――血だるまと化した彼女の射撃など怖くない。銃を握るその手を《貪食グレイプニル》で操った髪でねじり上げる。


 ――……しかし。


「アメリカには《破壊王》と呼ばれるエージェントがいるんだろう? 狙った犯人は必ず検挙するけれど、街も犯人もメタメタに壊すらしいね?」


「……いるわね、それが?」


「私も人を壊すことにはそれなりに矜持があったのだけれど――いや、自信をなくしてしまいそうだよ。や、さすが異常者と言うべきなのかな? 並の異能犯罪者なら二、三度は心が折れてると思うんだけどな」


 銃を持つ手をねじり上げたことで吊されたような形になった彼女に言う。全身打撲は必至だろう。肋骨は何本か折った手応えがあったし、顔の半分は酷く腫れている。吐血から胃に甚大なダメージがあるのは確かだし、それ以外にも鼻血や擦り傷で先の通り血だるまだ。


 しかし彼女は心が折れるどころかますます私に対する敵愾心を燃やしている。なるほど異常者とは怖ろしい――かつての私もアタルくんにこう見えていたのかな?


 いっそ殺せるのならその方が楽なのだけれど、それはアタルくんの私に対する心象が悪くなる。最後の手段として検討はしているがなるべく越えたくない一線だ。


 状況が状況なら頑丈な人間サンドバッグは大歓迎なのだけれど。


「やれやれ――さすが世界の異端・超能力至上主義者スペシャルレイシストってところかな。でもねぇ、私も暇じゃないし、そろそろ決着をつけたいんだ」


「――殺せ! 今殺しておかないと、必ずあなたを殺しに行くわ」


「それは嬉しいねぇ。健全ぶった異常者なんて気味が悪いもんね。アタルくんに忖度しなくて良くなった頃なら大歓迎だよ」


 そう告げて、逆の手も吊り上げる。蹲っている者を両手で吊って無理矢理上体を起こした形だ。殺すだけならもう何度か本気で腹を蹴り上げてやれば胃なり腸なり破裂させて死に至らしめることができるだろう。肺でもいい。その上で下水にでも落としてやればまず助からない。


 だが、それができない以上どうするべきか――


「……そうだな。目を片方もらっておこうかな。ねえ、目玉に指を突っ込まれたことはあるかい? 私はあるんだ。アタルくんにね――なかなかセンセーショナルな体験だよ。あなたにも体験して欲しいな」


 私がそう言うと、彼女は憎々しげにこちらを睨み――


「――異常者め!」


超能力至上主義者スペシャルレイシストに言われたくないなぁ」


 そう返して《貪食グレイプニル》で彼女の顔を上に向けさせる。それを押さえつけるように彼女の顔を掴み、


「さて、どちらがいい?」


「離せ!」


「――うん、左眼を潰して私とお揃いにしようか」


 顔を掴んでいた手をずらして彼女の左目に中指をかける。能力者と言えども眼球は鍛えようがない。これで少し力を込めれば彼女の目は潰れる。


 彼女に対する罪悪感など微塵もない。あてがった指に力を込める。


 しかし望んだ結果は得られなかった。力を込めた瞬間、彼女の姿がかき消える。


 ――瞬間移動テレポート! まだ使えるの!?


「タフだねぇ! 頭が下がるよ――《パンドラあの店》でもう打ち止めだと思うくらい使わせたはずなのに、追跡中にも使って、ここまで痛めつけられて――」


 アタルくんを見送ってから、彼女は瞬間移動テレポートを使わなかった。ようやく打ち止めかと思っていたのに、まさかここまで痛めつけられてもなお温存してたなんて――


 ともかく、この場に留まるのはまずい。《貪食グレイプニル》で自分の周囲に髪の結界を展開してその場から跳び退る。髪を展開しておけば死角をとられてもその範囲内は次の瞬間移動テレポートの座標に指定できないし、髪の結界に触れれば視認せずとも彼女の位置が知れる。


 着地の瞬間、背面に展開した髪が彼女に触れた。三メートル後ろ――体調が万全なら素手の攻撃範囲だけれど、彼女の今の負傷では一足で詰められる間合じゃない。だとしたら銃撃か。肩越しに振り返って銃口を確認、弾道を計算――体捌きで射線から逃れるのは難しそうだ。


 ならば、防ぐ。展開した髪はそのまま。更に髪を操って背面に防弾網を張る。


 けれど、その予想は外れだった。銃撃に備えた直後、視界がぱっと切り替わる。そして落下感――


「ようやく捕まえた。この手は警戒しなかった? 当然できるわよ」


 嘲るような声――私のほうもようやく状況が把握できた。結界として展開した髪に触れた彼女が、髪を掴んで――つまり私を連れて上空に瞬間移動テレポートしたのだ。


 距離は二百メートルくらいだろうか。眼下にゲヘナシティの街並みと迫る地面が見える。抗えない落下の最中、彼女の囁く声が聞こえる。


「空のアクティビティはお好きかしら?」


「どうかな、経験がない――勿論パラシュートなしでスカイダイビングするのも初めてだよ」


「そうなの? どう、楽しんでる?」


 自由落下で速度がどんどん上がっている。高さが二百メートルなら、地面には大体時速二百二十五キロで激突することになる。三十メートルのビルから飛び降りたことがあるけれど、さすがにこの高さは未体験だ。楽観的に考えてもタダじゃ済まないだろう。


「実にスリリングだよ。シビレるね」


「気に入ってもらえて良かったわ。地上で待ってるから楽しんでね? じゃあ、良い旅を」


 その言葉を最後に、彼女の気配が消える。地面に目を凝らすと彼女が現われてこちらを凄惨な笑顔で見上げている。


 いい笑顔だ――勝利を確信した黒い笑み。この手で何人も殺めているのだろう。


 実際いい手だ。まんまと嵌められた。これをしようと私の油断を誘うため、あそこまで痛めつけられても瞬間移動テレポートを使わずに我慢していたのか――実にいじらしいね、当事者じゃなければ拍手を送りたいくらいだ。


 アタルくんがこれを仕掛けられたらどうだろうか。私は彼の異能の仔細を知らない。わかっているのは身体能力強化(エンハンス)の亜種だと推測できるってことだけ。もしかしたらさすがの彼もこれには抗う術はないかもしれない。


 いや、彼だけじゃない――ほとんどの能力者はこの落下攻撃に抗う術はないように思える。仕掛けた彼女と同じ瞬間移動能力者テレポーターと、せいぜい風流操作能力者エアロキネシストぐらいか。


 そう考えたらアタルくんに彼女の相手を申し出たのは正解だったな。


 ――私なら対応できるから。



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