第3章 追跡者たち ⑦

『北区の波止場で落ち合おう。水と食料は任せたよ』


 そのメモを握り潰す。内容はいい、内容は。先行する俺が先に物資を調達しておくってのはわかる。手持ちの現金はほとんどないが、北区のマーケットでならマックスかキャミィにツケるってことで入手できるだろう。


 だがメモの最後に――まるで署名のようにキスマークがあるのに腹が立つ。あの野郎――どういうつもりだ、魔女が。


 感情のままメモを握り潰して投げ捨てようとするが、万が一ラビィの手の者に拾われたらたまらない――そう考え直してポケットにしまう。ラビィも俺たちが北区の沿岸部からゲヘナシティを脱出する可能性を考えているだろうが、それを確定情報にしてやるのは面白くない。


 ――まあ、荊棘と合流して改めて別の場所から脱出するという手もあるが。


 ともあれラビィのバックアップを全て潰したとは限らない。通りから裏路地へ――既に捕捉・尾行されていることを懸念して一旦北区から西区へ。建物の屋上を伝ってしばらく進み、地上の路地をこそこそと進む――そんなことをしばらく繰り返して再び北区へ。そのまま人目を避けて進む。


 時間が時間だけに日が出ている時間より人は少ないが、この街は陽が沈んでから動き出す人間も多い。


 ――となるとこういう輩と出くわすわけだ。


「よう、《色メガネフォーアイズ》――いい晩だな? そんなに急いでどこ行くんだよ」


 待ち伏せされていたわけではない――もしそうなら気配でそれを知れたはずだ。ただ路地で偶然行き会ってしまっただけ――ツイてないとはこういうことか。


 口元を隠すように白いバンダナを巻いたアフリカンアメリカンが、俺を見た途端剣呑な空気を発して俺にそう言った。


「よう――バンダナ似合ってるぜ。その色は《グローツラング》だよな? ここは北区だぜ、珍しいところで会うじゃんよ」


「なぁに、ちょっと野暮用でな――確かにここは北区だが、北区以外の住人が出入りしちゃなんねえって決まりはねえだろ?」


 言いながら男は上着の内側に手を伸ばす。銃を抜くつもりか――《グローツラング》でスーツを着ているということはそこそこ上の人間だろう。さっきの件もある、侮っていい相手ではないだろう。


「やめておけよ。見たとこあんた一人だ――余所の地区の人間が北区で銃なんか抜いたらどうなるかわからないぜ」


 嫌な予感がする。俺もグロックをいつでも抜ける体勢を作って告げると――


「構いやしねえよ。どうせてめえを殺しにいく途中だったんだ」


 やっぱりか。滅多にないとまでは言わないが北区に堂々とギャングが乗り込んでくるのは珍しい。それもこのタイミングで、これ見よがしに一目で《グローツラング》の構成員とわかる恰好で、だ――ヴィンセントの野郎、さっきの今でもう刺客を送り込んで来やがったのか。


 普段なら暇潰しに丁度いいと相手をしてやるところだが、今は都合がよくない。


「今日は立て込んでるんだ。またにしてくれないか?」


「――ヘイ、ヘイヘイ《色メガネフォーアイズ》――俺は待機組だったから現場こそ見てないがよ、エディのアニキを殺してボスに恥かかせてくれたそうじゃねえの。そんでまたにしてくれってのは随分とテメエに都合がいい話だよな?」


「まったくな――でも考えてみてくれよ。あんたまで死体に変えちまうと《グローツラング》との和解金がつり上がっちまう」


「俺を殺すって――? やれるならやってみろよ!」


 男が叫んで銃を抜く。だが早撃ちなら俺もちょっと自信がある。ギャングの刺客ならそれなりの腕のはずだが、それなり程度の奴になら撃ち負けない。


 奴が俺に銃口を向ける前に、俺はグロックを抜いて照準を合わせる。しかし引き金は引けなかった。セーフティとかそんなオチじゃない――奴が言葉とは裏腹に俺に銃を向けず、明後日の方向へ向けて発砲したからだ。


「は? どこを撃って――」


 男が向けた銃口の先を視線で追う。その先にあるのは建って以来一度も外壁を洗ったことがないだろうと思われる落書きだらけのボロいビルだか、ガレージだか――一瞬シオリのような跳弾攻撃を予想したのだが、とても跳弾を計算できるような壁じゃない。


 しかし奴が発砲するのと同時に俺は強烈な殺気に射貫かれた。それにこっちも銃を抜いているのだ、そんな相手を前にして意味のない射撃をする理由がわからない。


 だとしたら意味がある射撃なのだ、これは――


 そう結論づけて回避に移る。これが意味を成すかはわからない――そう思ったのだが、


「――っ!」


 魔眼を開いていなかった。弾道を目で追えたわけではない――それでも躱せたのは奴の異常とも言える攻撃に違和感を覚え直ぐさま回避を行なったからだ。バックステップした俺の鼻先を何かが掠めていく――確認するまでもない、奴が放った弾丸だ。


 だが、どうやって――跳弾以前に着弾した音を聞いていない。明らかに着弾前――つまり弾道を曲げたということだ。


 それが異能によるものだということは明白だが――


「ホーリーシット――マジかよ信じらんねえ! 躱すのかよ!」


「躱せるだろ、俺たち能力者なら」


 半分は運だが、それでもハッタリを効かせて告げると、


「俺のスペシャルシュートだぞ!? てめえそのサングラスで未来でも見てるのか?」


「知り合いに跳弾で攻撃するのが得意な奴がいてな――明後日の方向に撃つからあんたもそうだと思ったんだ。まあ、あんたは跳弾よりちょっと工夫してるみたいだけど」


「跳弾で? クレイジーな奴だな、おい。だが面白え。撃ち合ってみてえもんだ」


「そいつは無理だ――まさか撃っておいて撃たれるのは嫌だと言わねえよな?」


 今度こそグロックを放つ。様子見で一発。トリガータイミングは隠したつもりだが、それでも男は能力者らしい身のこなしで俺の銃撃を躱してみせた。


 そして男は上空に向かって発砲――さらに続けてもう一発、今度は斜め前――くそ、馬鹿じゃないな、こいつ!


 先の射撃から確認出来たのは弾道を空中で曲げるという一点だ。だが、それだけでもヒントにはなる――正面から狙ってこないのであれば前後に動くだけで射線から逃れられる。


 さっき避けた俺に更にもう一度弾道を曲げて当てにこなかったのは、回避された後に弾道を曲げるという操作が弾速に追いつかないのか、能力の有効射程から弾丸が出て行ってしまったからなのか――それとも俺に二度目の弾道修正はできないと思わせておいて、奥の手としてとっておいてあるのか――


 どうであれ、単発射撃で弾道修正が一度だけなら前後に動けば回避はできるだろう。だが二発は面倒だ――前後への回避に合せて曲げられたら――一発目を避けた先に二発目を置かれていたら命中は自明の理ってやつだ。


 カラクリから攻略するべきか? 一体どうやって曲げてやがる――特殊能力ユニークスキルか? それとも念動能力サイコキネシスか、風流操作エアロキネシスでも強烈な奴なら可能か?


 ともかく、魔眼は奴の射撃と同時に開いている。だがさすがにバラバラに飛んでいった弾丸を見切ることは難しい――だとすれば次善策は射手に密着することだ。自分に当たる危険を考えれば俺の背後を狙うような弾道修正はできないだろう。


 一足で拳の間合に踏み込む。驚いた相手が銃口をこちらに向けて下がりながら迎撃の射撃を行なってくる――が、斉射ならともかく正面からの単発射撃なら魔眼を開いていなくったって躱せる。


 二発を躱し、三発目をバトルグローブ越しに受け止めたところで男の顔色が青くなった。なんだ――? まだ詰むような状況じゃないだろう。危険を顧みなければ躱された弾丸で俺の背中を狙うことだってできるはずだ。


 ――……しないんじゃなくてできないのか?


 足を止める。下がりながら迎撃してきていた男は間合が開いたことで左右への射撃に切り替えた。なるほど、そういうことか――


 一歩前出て左から空中で跳弾したようにこちらに向かってくる弾丸を躱し、その躱した先を狙ってくるであろう右からの弾丸を警戒するが――来ない。向かって右方に発射された弾丸はそのまま彼方に飛んでいった。やっぱりな。


「!」


 その二連射への俺の対応に、男はぎりっと奥歯を噛む。


「奇襲や乱戦じゃ強いんだろうけどな――どうやって曲げてるのかまではわかんないけど、弾道の修正は一度、それに角度も限定されるんじゃ前に出て戦えるタイプじゃないな」


「うるせえ――大抵の奴は一発目で殺せるんだよ!」


 俺の言葉に男が怒鳴り返してくる。図星、か――


 俺が間合を詰めたとき、例えば正面からの射撃に真横に撃って側面を狙ってくる射撃が混ざればこちらとしては厄介だ。それをしてこなかったのは、反射するような角度では弾道修正をできないからだと思った。


 現に足を止めてからは、弾道修正を使ったサイドからの迎撃をしてきている、背後を狙わないのも自分に当たる危険を考慮していたのではなく、単にできなかったんだろう。


 おそらく、何度か見た弾倉修正の角度から察するに直線的な弾道を曲げるのは九十度程度が限界だろうか。知らなければ脅威的なだが、知ってしまえば――……


「俺を狙うなら狙撃にするべきだったな。それともその異能、他に使い方があるのか?」


「てめえの寝床を襲うつもりだったんだよ! 行き会っちまったんだから仕方ねえだろ!」


「確かに――行き会っちまったのは仕方ない」


 寝込みを襲われたら危なかったかも知れないな。回避行動に制限がかかる屋内でこの射撃に狙われたら厄介だった。ツイてないと思ったが、そういう意味じゃここで行き会ったのは幸運だったかもしれない。


「悪いが立て込んでるのは本当でね――この互いに歓迎できそうにない偶然を終わらせようか」


「ちっ――大物ぶってんじゃねえよ!」


 男が叫んで発砲してくる。魔眼を開いた今なら容易く躱せる単純な攻撃だ。ボディワークで躱して間合を詰めると、突如見えない壁に阻まれるように前へ進めなくなる。だが体が潰されるような圧力ではない。


 ……念動能力サイコキネシスが正解か。地力が弱いから弾道を曲げるなんてことを思いついたんだろう。面白い使い方をする。日本に帰ったら同じ念動能力者サイコキネシストの兼定氏に話してやろう。


 だが策を弄して戦う程度の念動能力サイコキネシスだ。魔眼を開いた俺の敵じゃない――俺を押し止める奴の念動能力サイコキネシスを振り切って肉薄する。


「くそっ――」


「じゃあな。ヴィンセントにできることなら和解したいと伝えてくれ」


 殺すほどの相手じゃない。がむしゃらに銃床で殴ろうとするその腕を掻い潜り、脇に叩きつけるように肘を放つ――手応え十分、骨と肺に相当なダメージを与えたはず――だが、ヴィンセントなら死体じゃない限りどうにかするだろう。


 悶絶の声すら上げず、男はその場に崩れ落ちた。



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