第3章 追跡者たち ③
「あーあ、こんなに髪を伸ばしちゃって――」
足首を掴まれたまま、荊棘は屈んでラビィの髪をむんずと掴む。
そして、それを思い切りひっぱった。
「ぐっ――」
「まあ、気持ちはわかるけどね。私も昔は長く伸ばしていたものさ。けれど接近戦において長い髪が相手に与えてしまうアドバンテージってやつを嫌って言うほどわからされてね」
言いながらも、荊棘はラビィの髪をぐいぐいと引っ張り続ける。それこそ髪が抜けるか千切れるんじゃないかと言うほどに。
「痛いかい? 能力者でも頭皮や毛根まで鍛えられるわけじゃないからね。
「……髪を操る異能を持つあなたが言うと含蓄があるわね」
「あれ? あなたにははっきり見せていないはずなんだけどな」
「……給油機を壊すのを見た市警から報告を受けてるわ」
「まあ、そうか。でもだったらもう出し惜しみしなくてもいいかな」
運転しながらなのでじっくりとは観察できない。しかしチラリと横目でみると、荊棘の足首を掴むラビィの手がじわじわと黒く染まっていく――いや、荊棘の《
「くっ――」
「やあ、すごい力だね。パワーだけならアタルくんより上かも」
自由になった足でラビィの頭を踏みにじる荊棘。
「……降参するなら痛くしないであげるわよ」
「降参? 今にも降参しそうなのはあなたの方に見えるけ――ど」
荊棘はにやついてそう言うが、言い終える前にラビィの姿がふっとかき消えた。荊棘の足が側車のカウルをがんっと踏む。
「往生際の悪い――」
死角を取られまいと振り返って背後を警戒する荊棘だが、ラビィが現われたのはカウルの上――振り返ってしまった荊棘の背後だ。
「な――」
荊棘が気配で察するが、遅い。ラビィは早業で荊棘の手を掴むと、あっという間に側車の荷台に組み伏せて彼女の両手を後ろ手に手錠で拘束する。
百キロで走るバイク――その狭い側車の上で、姿勢だけ変えて瞬間移動だと――一体どういう空間把握能力してやがる!
「パワーだけだったかしら?」
「並の
先とは変わって荊棘の頭を踏みつけるラビィに、荊棘は下からそんなことを言う。
何より怖ろしいのは、
つまりラビィは、百キロで走る側車の上で衣服よりも密着した荊棘の髪――つまり荊棘本人を転移対象から除外した上で一度荊棘と俺の完全な死角に
空間把握能力だけではなく、判断力に能力強度。走る側車の上で荊棘を相手にそれをやりきる精神力――
荊棘も彼女の空間把握能力を指して
「減らず口を――ともあれ、形成は逆転したわね。もっとも、私はあなたに降参を促したりしないけれど」
そう告げてラビィが銃口を荊棘に向ける。
「あれあれ? クスリ漬けにしてくれるんじゃなかったのかい?」
荊棘の言葉に銃声で応えるラビィ。まさかと思って確認すると、銃痕は荷台に押しつけられた荊棘の顔――その目と鼻の先にあった。荊棘は赤い右目で、嬉しそうにラビィを見上げる。
「――忠告しておくけれど。次に挑発したら本当に殺すわよ」
「じゃあ私も忠告しておくよ。私を本当に殺すのはやめた方がいいね。私は正直自分の命はあんまり惜しくないけれど――日米戦争の危惧をしてるんじゃないよ、そんなものをしたいならしたい奴らが好きにやらかせばいい――でも、私を殺したら彼の制御は不可能になる」
「……かもね。彼を観察してきてそう思うわ。あなたは彼の仲間ではないのでしょうけれど、彼の為に命を落としたら、彼はそれを気にかける」
「――……いや、荊棘が死んでも別にどうとも思わないが」
「この状況でその反応。私の喜ばせ方を知ってるね」
思わず口を挟むと荊棘が楽しそうに言った。本当に気持ち悪い奴だ……
「――とまあ、アタルくん。このままやり合って彼女を無力化するのは難しそうだ。ここは私が足止めするから、君は先に行ってくれたまえよ。後で落ち合おう」
「――はっ、何を言うかと思えば。この状況でまだ負けてないと思ってるわけ?」
荊棘の言葉にラビィが激昂する。
「負けてないよ。証明しようか?」
「それが強がりじゃないといいけれどね」
ラビィの返事――それとともに荊棘は拘束されていたはずの手で自分を踏みつけるラビィの足を払った。体重をかけていた足が支えを失い、一瞬ラビィの体勢が崩れる。
その隙に荊棘は荷台に押しつけられていた姿勢から反転――荷台を背にラビィの体を両足で締める。
「な、手錠――」
「そんなもの、私の《
にいっと笑って荊棘が下からラビィに殴りかかる。たまらず仰け反って躱すラビィ――上体が仰け反ったところに、その細い首に荊棘がパンツの裾から伸ばした毛束が巻き付いた。髪は一瞬で収縮し、ラビィの気道、血管を同時に締める。
一連の流れに驚愕していると、俺に気付いた荊棘が目を細めて――
「器用になったでしょ? 君にズタボロにされてから色々考えを改めたんだ。殴り合うだけが戦いじゃないってね」
引き出しが増えたどころの話じゃないな――次にこいつと本気の殺し合いをすれば、俺は生き残れないかもしれない。
「さて、
その問いの答えはノーらしい。ラビィは
「残念、それはさせないよ」
引き金は絞れなかった。銃を見ると、セーフティのある辺りに荊棘の髪が巻き付いている。
「――というわけで拮抗状態なわけだ。胴締めを緩めればさすがに反撃されそうだから、私はここでしばらく足止めしてく。アタルくんは先に行っててね」
「ここでって、お前――」
荊棘がラビィを締めているのは側車の上だ。足止めも何もない。このままじゃラビィをマーケットに連行する形になるが――
「じゃあまた後で。詳しいことは側車の足元に」
そう言い残して荊棘は、ラビィを締め上げたままなんとその場でごろりと横に転がった。つまり、側車の上からアスファルトへ――
二人は百キロで走るサイドカーからアスファルトに転落、二人まとめて地面を転がる。なんて破滅的なことを考える奴なんだ――互いに能力者、死にはしないはずだがどちらもタダじゃ済まないだろう。
ミラーを見ると予想通り二人とも地面をいくらか転がった後直ぐさま立ち上がる。そして二人を避けて俺を追ってくるラビィが乗っていたセダン――
ちらりと見ると、荊棘が言っていたように側車の足元――その隅にマットに挟むようにして紙片が残されてあるのが確認できた。さすがと言うべきか、戦くべきか――荊棘が隙をついて残したものだろう。
つまり
ラビィがいなくなったことで巻き込む心配がなくなったのか。追ってくる車がスピードを上げる。どうやらぶつけて止めようってつもりらしい。
俺はその車から逃げるべく、アクセルを全開にした。
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