第3章 追跡者たち ②
荊棘が運転席から大きく飛び上がる――そして反転し、タンデムシートの上に立った。俺は慌ててサイドカーから運転席へ移る。
そして荊棘は追ってくる車――その天井にしがみつくようにしてこちらに銃を向けるラビィに叫んだ。
「いい加減にして欲しいな! 私とアタルくんの間にあなたが這入り込む余地なんてないってことがわからないのかい?」
「――彼にとってあなたも迷惑な存在みたいだけど?」
「仮にそうだとしても、彼は私が日本に連れて行く――こう考えたまえよ、制御不能な異能犯罪者を国外に追い出せるってね!」
「認めない。アキラが
「やれやれ、これじゃ平行線だね――となればもう、無理矢理にでも納得してもらうしかないかな?」
「気が合うわね、私もそう思っていた」
その言葉を最後に、ラビィの姿がバックミラーから消える。後ろの荊棘も警戒したのが気配でわかる。
そしてラビィが現われたのは、俺が運転し、荊棘がタンデムシートに立つそのウラルのサイドカーだった。荊棘に向けた銃を発砲。残る手で俺の腕を掴もうと伸ばす。
だが――
「掠め盗ろうって? 私の目が
銃弾を受け止めた荊棘がそう言って、俺の腕を掴もうとするラビィの腕を掴む。銃弾を止めた手のひらに黒い影が見えた。やはり袖を通して髪を防弾布のようにしているのだろう。
ラビィが続けて発砲するが、荊棘は銃を持つ彼女の腕をいなして射撃を逸らす。
「ちぃっ――」
舌打ちするラビィに、荊棘はにたぁっと笑いかける。
「さっきは銃身掴みにいって銃床で殴られたからね。学習してるんだぁ」
「気持ち悪い笑い方――男が寄りつかないでしょうね」
「精神攻撃かい? 浅いなぁ。私は私より強い男にしか興味持てないからね、大抵の男性は対象外だから気にならないよ」
荊棘が言う――もっと低俗な、それこそ小学生レベルの悪口で逆上するのはどこのどいつか聞いてみたいが、わざわざラビィにヒントをやる義理は微塵もない。
サイドカーにいるラビィの気配から荊棘が反撃に転じようとしているのが伝わってくる。しかし俺はそれを確認できなかった。前方十数メートルのアスファルトに大きな窪みを発見――ウラルのメーターは時速百キロ(この車両はマイルとキロ表記、どちらもあるのだ)を越えた辺りを指している。このまま突っ込めばフロントタイヤを取られて大転倒は必死だ。かと言って左右に避けられる距離と速度じゃない。
「――荊棘!」
細かい指示を出す余裕はない――短く叫んでギアを落とし、アクセルを全開。タンデムシートに荊棘がいることで重心が後ろにある――それも手伝って、咆哮を上げるエンジンは嘶く馬のごとくフロントタイヤをリフトアップさせた。
そのまま窪みに突撃――リアタイヤが地面から離れた瞬間は肝が冷えたが、窪みを越えて何とか接地、大きく揺れたものの転倒は免れた。
「――アタルくんはどっちの味方なのかな!」
荊棘の言葉にぎょっとする――彼女の声が遠い。今ので振り落としてしまったか!
対して視界の端に映るのは、側車に捕まって振り落とされずに済んだラビィだ。
「――これはつまり、
「ラビィ、あんたの味方をするつもりはないんだが」
俺と向き合って試すように言うラビィ。俺はさも進行方向に何かあるようにそちらに視線を向けながら、
「右側、気をつけた方がいいぞ」
「右?」
ウラルのサイドカーは車体の右側にある。ラビィの方を向いてそう言うと、彼女は自分の右側――つまり進行方向、俺から見て左側に視線を送る。
その瞬間、ラビィの後頭部に跳び蹴りが炸裂した。確認するまでもない――荊棘だ。
「がっ――」
「そっちは俺から見て左だよ。逆だ」
「ただいま、ダーリン。私がいない間に浮気なんてしてないよね?」
咄嗟に《
「おや? 私の足の下にあるのは一体なんだろう。泥棒猫かな?」
「あんたな……」
戯けたように言う荊棘。思わず呆れてしまうが、さすがに今の不意を突いた一撃は必勝打だ。完全に油断したところに、後頭部――加えてそれを放ったのは荊棘。並の相手なら即死でもおかしくないが――後頭部を踏みつけているあたり、荊棘的に殺った手応えではなかったのだろう。それにしても首は痛めただろうし、気も失っているはずだ。
荊棘もそう思ってふざけたことを言ったのだろうが――
ラビィの頭を踏みつける荊棘の足首を、ラビィの細い手ががしっと掴む。
「
「……薬漬けにしてスラムの真ん中にぶん投げてやる! 死ぬまで犯されろ、クソ女!」
「おお、ゾクゾクしちゃうね」
ぶち切れて荊棘を口汚く罵るラビィと、流す荊棘。しかし荊棘の方は言葉ほど余裕がなさそうだ。顔に苦悶の色が浮かぶ。
……あの荊棘が? 足首を掴まれてるだけで?
そう言えばさっき、荊棘は銃床で殴られたあと肘をもらって目眩がしたなんてことを言っていた。肋骨を砕いてしこたま殴っても俺に馬乗りになって殴りかかってきた荊棘が、だ。
ラヴィはパワーじゃ俺や荊棘の上をいくのか?
「おい――」
大丈夫か、と尋ねようとして荊棘を見るが、俺は言葉を呑み込んだ。荊棘の目が爛々と輝いている――そうだ、こいつの真骨頂はこれだ。俺に二度と対峙させたくないと思わせるねじ曲がった精神性。殴っても殴られてもメンタルにブーストをかける被虐癖と加虐癖。そんな禍々しいものに服を着せて女の形にしたのが荊棘蜜香という悪魔だ。
「いいね――これはなかなか愉しめそうだ」
自分の頭の上から彼女の足をどかそうと足首を絞めるラビィ。荊棘はそんな彼女を見下ろして唇を舐めた。
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