第2章 魔女二人 ⑦

 俺と荊棘はメインストリートを北西に進み、西側から北区に入った。そのまま路地を右に左に、物資補給のため北区中央奥のマーケットを目指す。時間は真夜中を過ぎているが日が暮れてから開ける店もある。必要なものは調達できるだろう。


 道すがら俺たちが話したのは、派手な爆発の後、街を出たと思わせて北区の波止場で船を盗み、一旦外洋へ向かって出港――陸から見えないところで荊棘が持つスマホの衛星回線で運搬屋ポーターに渡りをつけ、落ち合う――そういう手順だ。そのため、場合によっては沖で数日間待機しなければならない。食料は最悪荊棘に海に潜らせて奴の《貪食グレイプニル》で魚を捕るってこともできなくはないだろう。しかし真水はそうは行かない。長い間水分を採らなければ深刻なダメージになる。三日も採らなければ脱水症状は確実だ。


 最低でも水を――できれば潤沢に、可能なら加えて食料も調達したい。


 そういう趣旨の元、俺たちはマーケットに向かったのだが――できることならこの選択、行動をなかったことにしたい。あのまま素直に街を出て違う街から日本に向かうべきだった。


「――アタルくん、もう少し揺らさないで走ってくれるかな!」


「道に言え、道に――舗装が悪いんだ、俺のせいじゃない!」


 側車から後ろへ発砲する荊棘が狙いを外したらしく不機嫌そうに喚く。いかにクレイジーな奴も不意に車上から銃の試し打ちを始めたというわけではない。北区に入った途端、急に現われた追っ手に向かって放ったのだ。


 どうやら、これがラビィの言うバックアップなのだろう。実にこの街の住人らしい柄の悪い――しかし見覚えのない連中が、何台かの車に乗り分けて追ってきている。


「おおっと、アタルくん――向こうの射手がマガジンの交換を終えたみたいだよ」


 荊棘の言葉にサイドミラーに目を向ける。荊棘の言う通り、追ってくる車列――その先頭の車から身を乗り出して銃を構える男の姿が見える。


「迎撃しろ」


「この揺れで? 撃っても当たらないよ」


 ぼやく――そして、銃声。ほとんど同時にウラルのサイドミラーの片方が弾け飛んだ。


「――向こうは当ててきてるぞ」


「そんなこと言われてもね――」


「側車に座って荷物になってるつもりか? ちゃんと働けよな」


 俺はそう言って側車の荊棘の襟首を掴む。一瞬荊棘はぎょっとして――しかし思っていたより冷静に、


「……や、本気かい?」


「お前ならできる」


「やれやれ――離してくれ。猫みたいに掴まれて投げられちゃ敵わない。自分で跳ぶよ」


「そのまま死んでくれても構わないぞ」


「ふっ、だったらなんで私を迎えに来てくれたのかな? 日本に入国するのも、その後のことも私が必要なんだろう? 素直に心配してくれてもいいじゃないか」


「――早くくたばってこい」


 口の減らない荊棘の襟首を掴み直し、追ってくる車に向かって放る。一瞬見えた荊棘の顔は驚愕――ではなく愉悦のものだった。罪悪感を覚えなくて済むのはいいが、相変わらず怖ろしい奴だ。


 残ったサイドミラーで確認すると、荊棘はさすがの運動神経だ――空中で身を捩り、追ってくる車のボンネットに着地した。サイドミラー越しでも運転手と助手席から身を乗り出した男が目を剥いているのがわかる――仲間の(やつらにとっては俺と荊棘は仲間だろう)女を走るバイクから追う車へと放り投げた俺と、投げられてもそのままボンネットに着地した荊棘、どちらに驚いたのかはわからないが。


「こんにちは」


 荊棘はそう言って立ち上がる。しかし車の連中はどうやら挨拶を返すという教育は受けていないらしい。


「――!?」


 助手席の男が半狂乱で荊棘に向かって何発も発砲するが、荊棘は最小限の動きで迫る銃弾を躱し、


「そしてさようなら」


 助手席の男に蹴りを見舞う。顎を蹴り抜かれた男は脱力してそのまま窓からずり落ちていった。


 続けてフロントガラスごと運転手の顔を踏み抜く。運転手が車はコントロールを失い、道路沿いの建物にノーブレーキで突っ込んでいった。


 荊棘の方は建物に激突する直前にボンネットを蹴って宙に飛び出し、そして投げたヨーヨーが返ってくるように、伸ばしたゴムが戻るように側車へと戻ってくる。俺に投げられる際、己の異能で髪をサイドカーに巻き付けておいたのだろう。これができるはずだと思って荊棘を投げたのだが。


 まるで何事もなかったかのように荊棘はふわりと着地。そして――


「――ただいま。投げられたときはスリリングでぞくっとしたよ。楽しかった」


 ……こいつが例の言葉以外で取り乱すことはあるのだろうか。


「もう三回もやってくれれば追っ手が片付く計算だな」


「次はアタルくんの番じゃないかい?」


 荊棘がそう言って笑う。突っぱねて荊棘にやらせてもいいが、そしてそう言えばそう言ったで荊棘は嬉々としてやるだろうが、こいつに精神的な借りを作るのも癪だ。


「……運転を代われ」


 体を起こしてタンデムシートに移動する。荊棘が運転席に移るのを見て、俺の方も側車に移り――


「そのままタンデムシートそこにいてくれて良かったのに」


「やかましい」


 後ろを確認すると、潰れた一台目の車に代わって先頭になった二台目から、助手席の男がこちらに向かって発砲したところだった。銃口、射線――荊棘に当たる。くそ、サイドミラーに当てたことと言い、連中の腕は確かなようだ。


 咄嗟に魔眼を開いて荊棘に直撃しそうな弾丸をつかみ取る。俺の気配を察したのか、荊棘がちらりと振り返って、


「やあ、守られる女っていうのはこんな気持ちか、悪くない。天龍寺夏姫君のお姫様は日常的にこんな気持ちを味わっていたのかな。いいな、うらやましいな」


「てめえはいちいち俺の感情をざらっとさせねえと気が済まないのか?」


 そう吐き捨てて――マックスも似たようなことをラビィに言っていたなと思いつつ――グロックを抜く。魔眼は開いたまま。発射――命中。《深淵を覗く瞳アイズ・オブ・ジ・アビス》の影響下にある状態なら、揺れるバイクの上からでも追ってくる車の前輪を撃ち抜くことは難しいことじゃない。


 パンクしたタイヤはあっという間に制御を失い、車は先のリプレイを見るかのように車道を飛び出して道路沿いの建物に突っ込んでいく。


 荊棘もそれをミラーで確認したらしい。ピュウと口笛を吹く。


「さすが――アタルくんは銃も上手いよね」


「いつか見せてやった手品に比べたら大したことじゃない」


 そう言ってやると、荊棘は今思い出したとばかりに、


「お土産に弾道ナイフを持ってくればよかったね?」


「いらねえよ。この状況でスペツナズナイフ渡されてどうしろってんだよ」


 言いながら続けて次の車に発砲。スピンして後続を巻き込んでくれればと思って左右共に撃ち抜いた。狙い通り車はその場でスピンしたが、続く最後の一台はそれを冷静に回避して追ってくる。


 その最後の一台を見て、俺は苦々しい思いで――


「――つまりこいつらは時間稼ぎで、てめえで追ってくるつもりだったってわけか」


 俺の言葉に荊棘も最後の一台を確認したらしい。やれやれと言った調子で、


「しつこい女は嫌われるって知らないのかな?」


「なるほど、自覚はあるんだな」


 通じないであろう皮肉を返して、最後の一台――その車上を睨む。


 スポーツセダン――その天井に、金髪を靡かせるラビィが身を低くして乗っていた。



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