第2章 魔女二人 ⑥

 そう時間をかけずにメインストリート――《パンドラ》に戻る。さすがにいきなり乗り付けるほど肝は据わっていない。少し離れたところで様子を見ようとウラルを停車させる。


 エンジンがアイドリングに戻ると遠くでサイレンが鳴っているのが聞こえた。くそ、市警はこのメインストリートにある。すぐにパトカーが押し寄せてくるだろう。


 さすがに市警に追われながらこの街を脱出するのはしんどい。もう様子見などとは言っていられない――《パンドラ》を強襲偵察――荊棘がもう撤退済みなら即座にこの場を離れよう。


 そう決めて、危険を承知でアクセルを開ける――店のすぐ前でウラルを停めて飛び降りようとしたその時、勢いよく店の扉が開いた。タイミングの悪い――出てくるのがラビィなら応戦し難い体勢だ。


 咄嗟に降りるのを止めてバックサイドホルスターに手を伸ばす。《ロス・ファブリカ》、そして《グローツラング》とやり合ってから武器の補充はしていないのでポーチの中身――はほとんど空だ、閃光手榴弾(フラッシュバン)は残っていない。しかしグロックと予備の弾倉はある。


 ――しかし、扉の向こうから出てきたのは幸いにも――と言っていいのかわからないが――ラビィではなく荊棘だった。


「――! アタルくん――やあ、随分といいタイミングじゃないか。それにいい、とてもいいよ――乗り物に乗ってくるなんてね。これが高級車だったら恋に落ちているところだよ」


 そんなことを言いながら荊棘は側車に飛び乗った。


「――安心したよ。車でこなくて良かった」


「言ってる場合じゃないよ、アタルくん――奴が追ってくる。出してくれ」


 そう言った荊棘は頭から血を流しているようだった。そしてその向こう――扉からラビィが出てくるのが見える。


「ちっ――」


 乱暴にクラッチを繋いでアクセルを開ける。後輪が空回りし、アスファルトにブラックマークをつけながら急発進。《パンドラ》の前から離脱する。


 やれやれ――しかし荊棘と合流することができた。背中にパトカーのサイレンが聞こえるが、連中は一旦パンドラで停まるだろう。その間に振り切れる。あとはラビィさえ振り切れれば――


 そう思った矢先、進行方向の十メートル先にこちらに銃を向けたラビィが出現する。


「何――!」


 追ってくるとは思ったが、正面!? 瞬間移動能力者テレポーターなら瞬間移動テレポートで追走するのが定石だろ、正面に立ち塞がるとは――轢かれてえのか!


 咄嗟にハンドルを切りかけて、気付く――こいつは俺がラビィを直接手にかけたくないという心理を突いた揺さぶりだ。俺が運転を誤ったところで奴は瞬間移動テレポートで逃げるつもりなのだろう――してやられた。


「ダメだよ、アタルくん――チキンレースさ、これは」


 しかし、俺はハンドルを切ることはできなかった。車体を傾けることも。側車の荊棘が咄嗟に左手を伸ばし、上から押さえつけるようにして俺の右手を固定――ハンドル操作もアクセルを緩めることもできないようがっちり押さえる。そして右手に握った銃を発砲。


 ラビィは一瞬顔を歪めてふっと消えた。バイクは引きつけて避けるつもりだったのかも知れないが、さすがに銃弾でそんな賭けをするつもりはないらしい。


 一瞬前まで奴がいた空間を、俺と荊棘を乗せたウラルが疾駆する。


「――無茶な駆け引きをしやがる」


「君の動揺を誘ったのさ。私もちょっと驚いた――あの店で散々瞬間移動テレポートを使わせたから、そろそろ打ち止めだと思って店から出てきたんだけど――でもこれでしばらくは追って来られないんじゃないかな。追跡する余力があるなら、あんな体を張ったチキンレースは挑んでこないだろう?」


 荊棘はそう言って側車のシートに体を預ける。個人差もあるが瞬間移動テレポート――に限らず異能の連続使用には限界がある。加えて瞬間移動テレポートには副作用も。まさか使用者本人が二度三度で瞬間移動テレポート酔いはしないだろうが、それでも絶対に酔わないわけじゃない。荊棘がこう言うからには、俺がキャミィたちと共に店を出てからラビィの奴に瞬間移動テレポートを強いるような戦いをしていたはずだ。


 ウラルのギアを上げ、荊棘に尋ねる。


「あんたにしては派手にやられたな?」


「いやあ、ただの瞬間移動能力者テレポーターだと思って侮っていたよ。強い強い――瞬間移動能力者テレポーターじゃ世界最高基準なんじゃないかな。その場で反転するわ逆さになるわ、空間把握能力どうなってるのって感じ。頭を銃床で殴られてさ、くらっと来たところに肘を振り抜かれちゃってね。ああ、痛い」


「好きだろ、痛いの。良かったな」


「まぁね」


 皮肉を言ってやると荊棘は凄惨な笑顔を見せる。相変わらず気味が悪い女だ――


「……あんたにそこまで言わせるとは、相当のやり手ってことか」


「殺さないように勝つのは難しいね。できればこのまま振り切りたい、かな」


「――あんたにしては消極的だな」


「私だってね、私の行動きっかけで日米戦争やWW世界大戦なんて事態は避けたいんだよ。いくら私が日本の公安警察だからって、アメリカ国内でFBI殺しはちょっと洒落にならない――そんなことより、アタルくん」


 荊棘がちらと背後を確認して言う。


「君が連れてきたのかな?」


 そう――荊棘が言うように、バックミラーでパトランプが瞬いている。くそ、通報で《パンドラ》に来たんじゃなかったのか?


 夜も遅い時間のせいで車通りは少ないが、それは追ってくるパトカーも同じ。その上連中はサイレンを鳴らしている。


 このマックスの愛車、ウラルはパートタイムの2WDで悪路の走破性とスピードはなかなかのモノだが、側車があるためコーナーはバイクと考えてはならないほど、遅い。というか減速しないとひっくり返るので、曲がるときはスピードを落とさなければならない。このままでは追いつかれるのは時間の問題だ。


 だが、俺は前方の施設を見てぴんときた。


「やあ、困ったね――追いつかれたらことだよ。もう少しスピードは出せないのかい?」


「出せないこたないが――それよりもせっかくこの街を離れるんだ、派手な花火でも上げて連中を撒こう」


「へえ、そいつは景気がいいね。でもこの殺伐とした街にそんなものがあるのかい?」


「あるだろ、そこに」


 俺はそう言って荊棘に示してやる。俺の意図に気付いた荊棘が酷薄な笑みを浮かべた。


「なるほど、実にいい置き土産だ」


「さすがに停まって細工するのはリスクが高い――あんたの異能で壊せるか?」


「任せてくれよ、そのくらいのパワーはあるさ」


 段取りを済ませると、背後のサイレンが大きくなった。数台のパトカーが俺たちを追ってきているのがわかる。


「よし、頼む」


「頼まれたよ」


 荊棘の返事を聞き、俺は少し減速して歩道に乗り上げる――荊棘は体を起こし、目標――ガソリンスタンド、その給油機に髪束を伸ばす。闇色の蛇――そんな形容が似合うそれは給油機に絡みつくと力技で機械をコンクリートの床から引っこ抜いた。


 給油機に繋がっていた地下のタンクから、ガソリンが噴水の様に吹き上がる。


「――オッケー、見て見てアタルくん、噴水みたいだよ」


 能力――髪を戻して、荊棘。声の調子が楽しそうだ。提案したのは俺だけどなにがそんなに楽しいんだか――


 ストリートに大量のガソリンが流れ込んでいる。それだけで追ってくるパトカー――その車内の連中は驚いて急ブレーキ。よし、あの位置なら爆発に直接巻き込まれないだろう。ミラーで確認し、アクセルを開ける。


「よし、打ち上げろ」


「ああ、外国でこんなことをするなんて気が引けるなぁ。これじゃあテロリストみたいだよ」


 荊棘は棒読みでそう言って振り返る。手の中の銃はさっき《パンドラ》でトリックシュートをしていたものとは違っていた。弾が切れて別の銃を回収したのだろう。


 引き金を絞る。銃声――そして大爆発。背中に熱波が押し寄せる。


 その熱波に髪を靡かせ、荊棘は――


「たーまやー」


 楽しそうにそんなことを宣った。クレイジーな奴だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る