第2章 魔女二人 ⑤
荊棘もまさかFBIのエージェントを殺すつもりはないだろう。俺たちを逃がすために足止めを買って出た形だ。
店を出た俺たちはマックスのウラルに乗り込み、乗車数三名の側車付きバイクに四人乗りでメインストリートを離れる。向かう先は北区――幸い馬力のあるバイクなので、四人乗りでもスピードはそれなりに出せる。
マックスは北区の居住区へと向かい、俺のアパートの駐車場にウラルを駐めた。俺はしがみついていた荷台から降りて(マックスの奴が運転、キャミィがタンデム、ベアトリーチェが側車――俺の乗車場所はここしかなかったのだ)、三人に告げる。
「悪いな、巻き込んで――この辺りでばらければもうラビィはみんなには構わないだろ。だがここに留まるのはよくない。ラビィがエージェントだっていうなら俺のヤサは押えてるだろうからな。マックス、二人を頼んだぞ――今日のとこはキャミィの伝手でも使ってどっか安全なとこで休めよな」
「ちょっとアキラ、あなたはどうするのよ」
俺と同じくマックスのタンデムシートから降りてキャミィが尋ねてくる。
「戻るよ。ラビィと敵対したくはないが、荊棘を放って置けない。あいつもクレイジーで本音を言えば心底関わりたくないが――」
しかし、ラビィ――ひいてFBIの追及を躱して日本に入国し、額に銃創がある男に辿りつくために奴の存在、立場は役に立つ。
それに――夏姫を俺なんかの嫁にするわけには行かないが、それにしたって日本国籍という報酬が魅力的じゃないわけではない。荊棘がいなければ取引が成立しない。
戸籍があれば――犯罪歴がなくなれば、俺は人生をやり直せる。
今の暮らしが嫌なわけじゃない。シオリは自分の力が足りなくて俺を孤児にしてしまったと責任を感じ、彼女なりに俺に生きる術を教えてくれた。兼定氏と夏姫は人を殺して禄を食む俺に、人間らしい暮らしをさせてくれた。
この街の連中はこの街以外じゃまともな職に就くどころか日の下を歩けないような奴らばかりだが、付き合ってみればそう悪い連中じゃない――そう思える俺の感性も大概だが。
だがそれらは自分で望んだものじゃない。能力者、超越者というだけで新生児が捨てられる、殺される事件が後を絶たない現代で、俺の生みの親は俺を手元に置いていた。俺が望めば、全うに成長し、俺のこの異能を社会に役立てる使い方をする人生も選べたはずだ。
夏姫やシオリ、そしてキャミィやマックスたちとの出会いはなかったことにはならないし、感謝はしても後悔はない。しかし、俺がそういう道を選べる立場にあったとき、どういう選択をするのか――それに興味はある。
「――日本に戻るのには役に立つ。合流し次第街を出るよ。FBIに嗅ぎつけられた以上のんびりしている暇はなくなった。ここで別れよう」
俺がそう言うと、側車に座っていたベアトリーチェが悲しげな顔で立ち上がる。
「アキラ――私、なんのお礼もできてない」
「気にすんなよ」
「……《グローツラング》と《ロス・ファブリカ》を撃退して見返りを要求するどころか、気にするな? そっちの方がよほど怖いわ」
「じゃあアドリアーノの手綱をしっかり握って、この街のバランスをきっちりとり続けておいてくれよ。《モンティ家》にも、西にも南にもこの街を支配させるな。仕事が済んで落ち着いたらまた戻ってくる。アドリアーノの奴と決着をつけなきゃならないからな」
「うん、わかった。気をつけて」
「ああ」
彼女の言葉に頷く。しかしベアトリーチェは最後に笑顔を見せたものの、もじもじと俺の前から動かない。
(鈍いのは相変わらずね、アキラ――いくらその気がなくても、
戸惑っていると、この国ではじめてできた友達の
(育った国にハグの文化がないからしょうがないだろ――最後まで世話になるな)
(ユアウェルカム――ぎゅっとしてあげなさい)
キャミィに言われ、俺はベアトリーチェに向かって軽く手を広げてみせた。ベアトリーチェはそれに応えるように俺の胸に額を当てて背中に手を回してくる。俺も彼女の背に手を回し、
「さよなら、ビーチェ」
「さよなら、アキラ」
「――マックスが頼りにならなかったらアドリアーノの奴に守ってもらえよ」
「――おい、そいつは酷えな、兄弟――俺より頼りになるタフガイがこの国にいるかってんだ」
俺から一歩引いて離れるベアトリーチェ。そしてウラルから降りたマックスが言う。
「ラビィが二人を人質にとって兄弟の動きを制限しようとしねえように、兄弟が街を出るまでラビィから二人を守ればいいんだろ? 任せろよ、《
「ああ――頼むぜ、相棒」
俺がそう返すと、マックスがその厳つい見た目に似合わず、両目を潤ませる。それはいつかのカズマくんを思い出させた。
「今そんな言い方するのはずるいぜ、兄弟」
「そうか? でも他にこの街の誰に頼める? あんたにしか頼めないだろ」
「――死ぬなよ、兄弟。もう会えなくてもいいさ、そりゃ仕方ねえ――けど俺の兄弟なんだぜ、誰かに負けてくたばったりすんなよな。長生きしてジジイになれ」
「そんなこと言うんじゃねえよ、
「ああ、そうだったな」
マックスはそう言って拳を掲げた。彼のその拳に自分の拳を打ち付ける。俺たちは男同士だ、これでいい――この街きってのマッスルマンにぎゅっとされるのは勘弁だ。
……最後にキャミィが俺の前に立つ。腰に手を当て、勝ち気そうな瞳で――
「で? 私にもお別れのハグはしてくれるのよね?」
「当然だ。あんたにしなきゃ誰にするってんだ。この街であんたほど世話になった人はいない」
俺はそう言ってベアトリーチェにしたように軽く両手を広げる。キャミィもやはりベアトリーチェと同じように俺の背に手を回してきた。そして――
「……アキラ、気をつけてね。日本にはこのリストチェーンの
涙声でそんなことを言う。いつになく勝ち気な顔をしてると思ったら、泣くのを我慢してたのか――
「アキラが行ったら寂しくなるわ」
「あんた友達多いだろ? 他の奴に遊んでもらえよ」
「アキラの代りになる奴なんていないわよ」
「そりゃそうだ。あんたの代わりもいやしない」
俺がそう言うと、キャミィが俺の背に回した手により力を込めた。それに応えるように俺も彼女の背に手を回す。
俺とキャミィは決して男女の仲というわけではない。けど彼女は言葉がわからない俺に親切にしてくれて、言葉を覚えるまで根気よく付き合ってくれた。俺はそんな彼女に感謝したし、恩を返したくてそれなりの行動をしたつもりだ。
異能犯罪者同士で性が絡まない男女の友情は珍しい部類だ。その中でも俺とキャミィのものには深い信頼がある。彼女はそんな相手である俺との別れを惜しんでくれているのだろう。
「……いつか、会いに来てよね」
「なんでみんなして俺が死ぬ、もう戻ってこないみたいな前提で言うんだよ。戻ってくるって言ってるだろ」
「そうだった――そうだったね」
そう言って、キャミィが俺から離れる。彼女は微笑んで――俺もそれに返す。
――そして。
「あんまりゆっくりできなくて悪いな。もう行くよ。みんな、またな」
俺は三人に告げて踵を返す。しかしマックスに待ったをかけられた。
「おい、兄弟」
「――んだよ、こう見えても急いでるんだ。残りの用は留守電にいれといてくれ」
「よく言うぜ、スマホも持ってねえくせによ――」
そう言ってマックスが何かを放り投げた。受け取る――キーだ。奴の愛車であるこのウラルのもの。
「乗ってけよ。餞別だ」
「……多分もらってもどっかで乗り捨てちまうぜ」
「構わねえよ、バイクはまた買えばいい――この街で乗り捨てるなら鍵は指しっぱなしにしておいてくれ。回収する――余所の街までそいつで行くなら最後はぶっ壊してくれや。兄弟以外の奴に乗り回されたくねえ」
「……いいのか?」
「
「……ありがとう」
礼を言って受け取ったキーを彼の愛車にインサート、スターターを押し込むとマックスの愛車らしい豪快なエンジン音が轟く。
俺はウラルに跨がり、最後に三人の顔をもう一度見て――そしてクラッチを繋ぎ、アクセルを開けた。
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