第2章 魔女二人 ③

 彼女はその単語だけは囁くような小声で言った。聞こえたのは俺たちだけだろう――野次馬と化した店内の他の客は怪訝そうな顔をしている。


 しかし俺と荊棘を驚愕させるには十分だった。


「……あんた、どうしてそれを」


「その反応――本物なのね?」


「鎌をかけたのか」


 だとしたら失態だ。自白したも同じ。しかし俺が《魔眼デビルアイズ》であることを隠していたのは荊棘の追跡を躱すため――荊棘に捕捉された今、隠す必要もないが。


「まあね。とは言え疑っていただけで確信を得たのは今日だけれど――《グローツラング》と《ロス・ファブリカ》を同時に攻略できそうな異能犯罪者のリストの中で、素性が割れていない名前がだっただけ。そして彼とあなたには日本人という共通点がある。想像していたタイプとはかなり違っていて驚いたけれど」


「おい、なんだよ……その、ナントカってやつはよ」


 珍しく空気を読んだのか、マックスが言葉を濁してラビィと睨み合う俺に尋ねてくる。マックスは俺の聖痕スティグマを知っている。関係があるのかと直感したかのかもしれない。


 その言葉に答えたのは俺ではなくラビィの方だった。


「数年前にアジアで有名だった暗殺者よ。活動期間は短くてすぐに名前を聞かなくなったけど、どんな対象も迅速かつ確実に仕留めたと言われる仕事人の異名――」


「……まさか海の向こうにまで、それもFBIに知られていたとは驚いたよ」


「日本なんて世界支配者アメリカから見たらちっぽけな島国なんじゃない? それがなかなかどうして、異能犯罪事情に詳しいじゃないか」


 荊棘が皮肉を交えてラビィに尋ねる。


「当然でしょう? 各国の凶悪な犯罪者については調べるわ。違法な入出国の管理が難しいなら、国を脅かしそうな犯罪者を管理した方が効率的じゃない。もっとも半数以上はアキラのように正体を割るのが難しいけれど。あなたがさっき話していた件、密入国を防げないのは別にしても、主犯グループに当たりさえつけられず調査でエージェントを失うなんて――本気で国を、国民を守るつもりがあるのかしら」


「耳が痛いね。帰国したら上司に進言することにするよ」


「税金泥棒って言ったら怒る?」


「あまり虐めないでくれ。気持ちよくなってしまうからね」


 皮肉の返しだと言わんばかりのラビィに、しかし荊棘はにたにたと笑みを浮かべる。調子が出てきたらしい、目に残虐な光が灯っている。


「さて、あなたがアタルくんをアメリカに留めたいと言うのはよくわかったよ。けれど私もはいそうですかと言える立場じゃなくてね」


「ノーと言われたところで、彼を国外に連れ出すのは認められないわ。その気になれば他国に単身で潜入し、国家元首を暗殺できるような実力を持つ人物を世界支配者アメリカ以外の国に委ねることは有り得ない」


「アタルくんにはそれができると?」


「できるわ。そうでしょう――私も、あなたも」


 ラビィの目に意志の光が灯る。彼女が口にしたそれは決して容易いことではない。しかし、しかし――絶対にできないかと問われれば、ノーだ。異能犯罪者組織のトップを暗殺することに比べたら、法を遵守する連中を出し抜く方がいくらか容易だ。


 それは俺に限らず荊棘にも言えることだし、自分で言ったのだ、ラビィにもできる――それだけの実力があるのだろう。


「まいったな――別にあなたに認めてもらおうなんてつもりはないんだけれど。アタルくんの意志さえあれば十分じゃないかな」


 そう思わないかい、アタルくん――そう尋ねてくる荊棘に返事をしてやる代わりに、


「――悪いがラビィ、あんたの希望には添えられそうにないよ。俺は日本に用事ができたし、そうじゃなくてもFBIのエージェントなんていくら積まれてもごめんだ。ガラじゃない」


 俺がそう告げると、いよいよラビィはスカートをたぐり上げ――そしてレッグホルスターから銃を抜いた。それを俺――ではなく荊棘に向ける。


「彼女を殺したら気が変わる?」


「おい、ラビィ――」


 たまらずリチャードが声を荒げる。


「わかってるだろ、メインストリートここは――」


「――絶対中立。ええ、知ってるわよ――犯罪者あなたたちが決めた素敵なルールね? 国家権力がそれに従う理由ってある?」


「……街の住人があんたを消して、みんなで口裏を合せるとは考えないのか?」


 俺の言葉にラビィはにやりと笑う。


「私がただこの店で飲んだくれていると思った? 定時連絡、バックアップ――住人のリストだってあるわ。管理するためにね――よそで善良な国民を穢すくらいなら、この街で犯罪者同士遊んでくれていた方が助かるわ。そうしている分にはFBIは手を出さない。キリがないもの――あなたたち、明日もドラッグパーティをしたいなら私に銃を向けないことね。勿論、異能も」


 最後の言葉は店の客に向けたものだ。つまり、手は出すなと。


「……私はこの街に来ることを上司に伝えてある。その引き金を引いたら国際問題になると思うよ?」


 銃を向けられた荊棘は冷静――どころか楽しそうだ。嬉々としてラビィに言う。


「その時は互いの外交官が食事をしながらチェスを指すわよ」


「荊棘が死んだとしても、俺は日本に行くぞ。日本で起きてる問題は俺のトラブルだ」


 ラビィに告げる。彼女は俺に冷たい目を向けて――


「なら、アキラ。あなたも殺す。制御できない爆弾は脅威でしかないわ」


「あっはっは――アタルくん、これはもうやるしかないんじゃないかな?」


「待て、荊棘――」


 早まるな、俺が説得する――そう言おうとしたが、荊棘の続く言葉の方が早かった。


「言っておくけれどね、レディ――前提を間違えているよ。アタルくんをアメリカから日本に連れ帰るのに、どうしてあなたに認めてもらわなきゃならないのかな?」



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