第1章 闖入者 ⑥

「――おい兄弟、そりゃマジで言ってんのか?」


 俺の言葉に荊棘はにたぁっと笑い、マックスは非難めいた声を上げる。


「兄弟が日本のIDが欲しくて決断するならそりゃあ俺だって止めねえよ。お前がこの街から出てくのは寂しいけどよ、ここゲヘナシティがてめえの居場所じゃねえってんならしょうがねえ。送り出してやるのがダチってもんだ。なあ?」


 そんな風にキャミィとベアトリーチェを煽る。二人とも力強く頷いた。


「けど、とてもそんな風には見えないぜ。兄弟もそんなやべえ橋は渡れねえって言ってたじゃねえか。なんつーか、その――死んじまった女だろ? 兄弟が二の足を踏むようなとこに殴り込むなんて――そこまでしてやんなきゃならねえのか?」


「……俺は、ターニャを買ったことはない」


 マックス、そしてキャミィやベアトリーチェに言って聞かせる。


「恥ずかしい話だけど、本当に花を売っているんだと思ったんだ。通行人に気にも留められない彼女を気の毒に思って、気まぐれで花を買ってやろうとした。一輪にしちゃ高すぎると思ったよ――花じゃなくて彼女の値段だと知って、そんなつもりじゃなかったからキャンセルしようとしたんだ。迷惑料に金だけ渡して――けど、彼女は金だけもらって帰れないって」


「それで抱いて、情が移った?」


 何が楽しいのか、にやにやと荊棘が言う。


「抱いてない。腹が減ったと言うから部屋にあったヨーグルトを食わせて――」


「もっとマシなものを食べさせてあげなよ」


「それしかなかったんだよ――それで別々に寝ようとしたんだ。けど彼女がどうしてもというから、添い寝をしてもらった。俺も逃走生活や慣れない土地で疲れてたんだろうな。日本を出て久しぶりにぐっすり寝たよ」


「なんだい、抱いてないなんて言って――もっとつまらないことできっちり情は移してるじゃないか。アタルくんは案外チョロいんだね?」


「てめえにだけはそんな気にならねえから安心しろ――そして次の日、まともな飯を食わせてやろうと思って――彼女を探したら襲われてるところだった。その場で彼女を襲っていた連中と揉めて――そして、彼女はその中で俺を庇って代わりに撃たれた。なあマックス、俺は彼女を抱いたわけじゃないし、まして恋仲ってわけでもない。出会って、次の日には死んだ女だ。俺が彼女の仇を討つのはおかしいか?」


 俺がそう言うと、マックスはしばらく無言になり、そして――


「……余計なことを言っちまったみてえだな――そうだな、俺たちみたいな奴は一度てめえで決めたことはやり遂げなきゃならねえ。庇ってくれた女の無念を晴らそうって決めたならそうするべきだよな。それが俺たちの誇りプライドで、その兄弟を庇った女への餞になる」

「だろ。心配してくれてんのはわかるけど、その男が俺の知っている男なら俺がやるべきだ」


「と言うことは、私と一緒にT市に乗り込んでくれると言うことかな?」


 荊棘が嬉しそうに言うが――


「そいつはどうかな」


「……今のは完全に私に協力してくれるって流れだったじゃないか」


「まさかだとは思うけど――あんた前の時に自分が何をしたか憶えてないってんじゃないだろうな?」


 荊棘に半ば強迫される形で異能犯罪者たちを暗殺することになり、そしてメインターゲットの《蛇》とその仲間の変身能力者トランスフォーマーを倒した後、こいつは俺の背後から殴りかかってきたのだ。


 荊棘はくすくすと笑いながら言った。


「さあ? 君の背中にしなだれかかったんだったかな?」


「背中から撃たれる心配はしたくないんでね。日本へは一緒に行ってやる。T市には俺一人で行く。その男が彼女の仇の残党だったらその時はそいつは俺が殺してやるよ。成功したらあんたは俺に戸籍を用意すればいい」


「あれ、やっぱり戸籍は欲しいんだ?」


「――正直、無料ロハでもいいんだが」


 額に銃創がある男は俺の敵だ。そいつが生きて――しかも日本で好き放題やっているというのなら、そいつを消すのは俺の役目で、都合だ。荊棘なんかの思惑に乗るまでもなく倒すべき相手。だが――


「取引の形をとらないといつ裏切られるかわからない。あんたは取引に特別な意味を見いだしているらしいからな」


「なるほど。君らしい考え方だね」


 荊棘はそう言って、しかし応とは言わなかった。


「どうしたら信用してくれるかな」


「……ああ?」


 言葉の意味はわかっても意図が読めずに尋ねると、思いの外荊棘は真剣な表情で、


「今回の敵は本当にヤバイんだよ。以前の《蛇》なんか相手にならない。彼は彼で警官を二十三名殺害して公安もマークしていたS級の犯罪者だけど、こっちは――その全てが彼一人の手によるとは限らないけれど――公安の捜査官を七名殺してる。確実に仕留めたい」


「ヘイ、ヘイヘイ、姉ちゃん――」


 荊棘の口上にマックスが待ったをかける。


「ん? なにかな?」


「ポリスを二十三人? 単独犯で? そいつはセカンドバッグの代わりに超小型核爆弾SADMでも持ち歩いてんのか?」


「少し面倒な能力を持った快楽殺人者ラストマーダーだよ――能力より人格が超小型核爆弾SADM的だった。アタルくんが仲間ごと片付けてくれたけどね」


「兄弟、お前……今日のお前もなかなかネジ飛んでやがると思ったが、日本でもそんな奴を相手にしてたのかよ」


 マックスが俺を見てしみじみと言うが――


「あれ? もしかしてアタルくんの日本での二つ名を知らない?」


「黙れ」


 余計な事を言い出しそうな荊棘にそう言って、


「そいつはここがどうかしてて歯止めが効かないってだけで、実力はそう大したもんじゃなかったよ。仲間の方が苦戦したくらいだ」


 己のこめかみ辺りを指し示し、マックスにそう告げる。


「で、ポリスを二十三人やった奴より、公安を七人殺した奴の方がヤベえのか?」


「そうだね。公安――アメリカじゃFBIかな? FBIの捜査官がどれくらいやるかわからないけれど、公安の捜査官ならその気にさえなれば《蛇》と同じかそれ以上のスコアを稼げると思うよ。FBIだってそれぐらいはするんじゃないかなぁ?」


 その公安を七人殺しているのが例の額に銃創がある男という訳だ。


「……そいつはおっかねえ」


 マックスが肩を竦めてグラスを傾ける。


「そういう訳で、アタルくんには私を信用してもらって二人で事の収束にあたりたいんだ。君一人を向かわせて万が一何かあったら、日本で奴を止められる人間がいなくなる。君が負けるのなら私も敵わないだろうからね。それに君にリベンジを申し込むのは今じゃない。もっと私が自信をつけるまで待っていて欲しい。さすがの私も残った目は大事なんだ、こっちまで抉られたらたまらない――確実に勝てる気になるまで遠慮させてもらうつもりだよ」


 荊棘はそう言うと、グラスを置いて居住まいを正し、俺に向き直る。


「今回の流れで君に敵対行為をとるつもりはない。どうしたら信用してくれるかな」


 思いがけず真摯な態度を見せる荊棘だが、こいつの場合はそれが信用に値するかと言うとそうとは限らない。


「……日本に着いたら、カズマくんにあんたの両親の現住所を開示しろ。今回の流れであんたが裏切ったら、《スカム》を動かしてあんたの両親をしてもらう」


 カズマくんはある意味じゃ俺の初めての友達――そしてカズマくんは《スカム》の現会長で、俺をアニキと慕っている。俺がやれと言えばやるし、やるなと言えばやらない――そんな男だ。それは荊棘も知っている。


 さしもの荊棘も人の子――裏切るつもりがなくとも異能犯罪組織に両親の情報を渡すことなんてできないだろう。


 しかし荊棘は悩む様子を見せず、


「《スカム》がその情報を今回の件以外で悪用することは?」


「ない。情報を開示するのはカズマくんだけでいい。他の人間には漏らさないように徹底させる。そしてカズマくんなら俺の言いつけを破るようなことはしない」


「うん、そうだね――」


 荊棘は頷いて、


「わかった。日本に着いたら君に私の両親の情報を渡す。彼には君から伝えれば良い」


 予想外の即決に、俺の方が驚いてしまう。


「……それがどういう意味かわかっているのか?」


「勿論。今回の件で私が君を裏切らなければ、私の両親に被害がでることはない。だったら何も問題ないさ。君を裏切るつもりがないからね。不安なら――そうだね、事件収束後一ヶ月まで君に敵対行為を取らないって条件をつけてもいいよ」


 もっとも、収束したら君は新しい戸籍を得て無実の一般人に生まれ変わるから、意味のない条件だけどね――荊棘はそう締めくくる。


「……いいだろう。件の男が俺の知っている男だったらという条件付きで、あんたの取引に応じてやる」


 俺の言葉に荊棘はにぃっと笑い、そして――


「……アキラ」


 ターニャのくだり以外では口を出さずにじっと話を聞いていたベアトリーチェが声を上げる。


「……本当に行くの? この街を出て?」


「話を聞いてたろ? マックスの奴が聞いたときも頷いてたじゃないか。送り出してくれるんだろう?」


「でも私、あんな無理なお願いをして何も返せていないわ」


「別に構わない。あんたが気にするなら、いつか利子をつけて返してくれ」


「いつか? いつかこの街に帰って来るの?」


 ベアトリーチェが不安げに尋ねてくる。


「……わからない。わからないけど、二度と戻らないなんてつもりで出て行くわけじゃないし、お互い生きてりゃまたそのうち会うことだってあるさ。あんたが不安なのはわかるけど、あんたにはキャミィやマックスがついている。アドリアーノの野郎も――」


 そう口にして、はたと気付く。


「前言撤回だ。いつか必ず戻ってくる。アドリアーノあの野郎に逃げたと思われるのは癪だ」


「アキラ……」


 俺がそう言うと、ベアトリーチェは複雑そうに笑った。


「――で、いつ出発するわけ? 言っておくけど、私だってあなたとは縁がある。別れを惜しむくらいの時間はあるのよね?」


 これはキャミィだ。彼女の言葉にそのまま尋ねるように荊棘に視線を送ると、


「できるだけ急ぎたいところだけど、私はともかくアタルくんは出国するのに準備がいるだろう? 一日二日はここに留まらなくちゃならないんじゃないかな」


「となりゃあ兄弟の送別会を開かなきゃならねえな」


 マックスの言葉にキャミィとベアトリーチェが頷く。この話は荊棘が持ってきた話だ、たとえ俺がぐだぐだしていたとしても荊棘が張り切って手配を進めるだろうが――


 しかし、マックスの暢気な言葉に、




「――それ、私も参加させてもらっていいかしら。ぶち壊すために」




 割って入ってくる女がいた。




※次回より2章になります。よろしくどうぞ!

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