第1章 闖入者 ③

「いや、改めて久しぶりだね、アタルくん。会えて嬉しいよ。元気にしていたかい?」


 荊棘はグラスを傾けながらそんなことを言った。


 黙したまま睨みつけてやるが、荊棘はまるで意に介さず口上を続ける。


「私の方は――これでもほら、君に言うのは気恥ずかしいけど結構デキる女だろう? 君に重傷を負わされたって言うのに上層部はお構いなしさ。完治を待たずに北へ南へ日本中走らされてね、大変だったよ――もっとも、力の衰えた《スカム》撲滅の任を断ったペナルティもあったんだろうけどね」


「――《スカム》がなんだって?」


 俺がそう言うと、荊棘はにぃっと笑う。


「この話題なら口を利いてくれるんだね?」


「世間話をするような関係じゃないだろう、俺たちは」


「そんなこと。私は大歓迎だけどな」


「聞いてねえよ――で、約束は守ってるんだろうな?」


「勿論。さっきもそう言ったよ――アタルくんとの約束さ、死んでも守ってみせるよ」


「白々しいんだよ」


「なあ、おい兄弟――」


 吐き捨てるように荊棘に言うと、逆隣に座るマックスが声をかけてくる。


「あ?」


「機嫌悪いな、おい――一つ聞きてえんだが、さっきからそいつが言ってるアタルってのは兄弟のことか?」


「……そうだよ。俺は日本じゃアタルって名乗ってたんだ」


「山田アタルってね。実に適当で良い名前だ」


 荊棘がそう言って笑うが、マックスたちはきょとんとしている。当然だ、英語で漢字の言葉遊びが伝わるわけがない。


「……あんたが英語に明るいとはな」


「これでも一応キャリア組だからね。アタルくんこそ随分流暢に話すじゃないか。学校に通っていた記録はないはずだけど」


「優秀なコーチがいたんでな」


「ま、アタルくんは地頭がいいし、精神感応能力者テレパスの協力者がいればこれぐらいはできるんだろうけど」


「言っておくが」


 上機嫌で話す荊棘に告げる。


「あんたの話を聞いてやるんだ。俺の連れに手を出したら殺すぞ。わかってるよな? 俺はやると宣言したら必ずやる」


「怖いなぁ――協力者はそっちのレディたちのどちらかかな? わかってるよ――やれやれ、君と良い関係を保つために手を出せない人間がどんどん増えていくよ。確認だけど、今回の取引に該当する人間はその三人でいいのかな?」


「ここのマスターとウエイトレスも加えとけ」


 それでいいと告げようとしたとき、視界の端にチラリと不安げな顔のリチャードの顔が見えた。条件にマスターリチャードウエイトレスアイラを加えると、カウンターの向こうからほっとしたような雰囲気が伝わってくる。


「あんたと長いこと顔を合せていると心を病みそうだ。手早く済ませたい――わざわざ海を渡ってまで俺に会いに来た理由を話してもらおうか」


「私を傷物にした責任をとってもらおうかと」


「却下だ。話は終わったな。じゃあな」


 そう告げて席を立とうとすると、荊棘が俺の羽織っているパーカーの裾を掴む。


「嘘だよ、冗談――まったく、本当に君はつれないなぁ」


「次はねえぞ」


 言いながら、表情から奴の真意を読み取ろうとするが――すぐに無駄だと悟った。腹芸でこいつに敵うわけがない。


 推測するとしたら、一番可能性が高いのは俺へのリベンジ、次点で俺の逮捕だろうが――だとすればそのどちらにせよわざわざマックスと立ち回りをしてまで俺と話をする機会を設けようとする理由がわからない。俺を捕捉したなら不意打ちで襲撃すればいい話だし、こいつの性格上それが必要なら躊躇ったりしないだろう。


 荊棘がウィスキーで喉を湿らせ、語り出す。


「……アタル君は最近の日本の異能犯罪界隈の情報は仕入れているかな?」


「いや、その必要を感じたことはない。俺にとって日本の犯罪界隈で気になるのは《スカム》ぐらいだ。あんたのことは嫌いだが、あんたがあんたなりに俺との決闘を大事にしていたのはわかっている。そのために交わした取引を穢すようなこともしないだろうともな。《スカム》にはカズマくんとシオリがいる。あんたが手を出さなきゃ余所に遅れを取るようなことはないはずだ」


「なんだ、疑っている素振りを見せたくせに、私を信用しているんじゃないか」


「あんたの異常性をな。で、それがどうした」


「T県T市のことは?」


「日本の沿岸県で一番異能犯罪者の密入国が少ない都市だろ」


 以前夏姫から聞いたことがある。隣県の話だから聞いておけと――


 T県最大の都市であるT市は、県内でも最大規模の異能犯罪組織の支配下にあり、その影響力はT市に留まらずT県の半分以上に及ぶ、らしい。


 そしてその組織のボスは異常なまでに異能犯罪者の一般人への悪行を嫌い、支配下の異能犯罪による一般人の被害者数は日本でもトップクラスに低く、また不法入国する国外の異能犯罪者を自発的に管理し、追い返すなり支配下に置くんだとか。


 一般人の被害が出るのを嫌うのはわかる。基本的には《スカム》もそうだ。警察は異能犯罪者同士のいざこざは場合によっては関知しないこともあるが、一般人に被害が及ぶとこれでもかと捜査する。


 だが、県の半分以上をその手に収める組織のボスが、そこまで徹底できるものか――組織が大きくなればなるほど、当然統治は難しくなる。そこまで大きくなった組織を律することができるのは、よほど強い力を持つ能力者か、よほどのカリスマを備えているのか――


 なによりも謎なのが、夏姫をもってしてもその組織のボスがどんな人物なのか情報を得られなかったということだ。もしT県に行くようなことがあれば十分に注意して欲しいと夏姫に言われた。


「その通りだよ。でもそれは最新情報じゃない」


 俺の答えに荊棘がそう言う。


「それは君がU市から姿を消してしばらくの間までの評価だ。君が姿を消して一月ほどかな? T市の――というかT県の異能犯罪界隈の状況はがらりと変わった」


 荊棘がグラスを置き、真剣な面持ちで言う。


「N県のとある街でT市に本拠を置く異能犯罪組織のボスを名乗る男が捕まった。とりあえずこの異能犯罪組織を《組織グループ》と呼称するよ。この《組織グループ》はT県の異能犯罪者を律する件の組織だ。そんな組織を束ねる男を捕まえたのが民間の探偵だというから恐れ入る――が、この話は直接関係ないから一先ず置いておくよ。《組織グループ》のボスが――統率者が捕まったことで、T県の異能犯罪事情が大きく変わった」


「……だろうな」


 異能犯罪者が規律を守っていたということは、それを律する者がいたからだ。律していたそのボスが捕まったとあれば、その下の舵が効かなくなるのは容易に想像できる。


「これまでの鬱憤を晴らすかのようにT県では異能犯罪が増加してね――現地の警察官が何人も殺された。そこで私たち公安の捜査官に現地入りして事態の収束にあたれとの命令が下った。私は別件で動いていたからこの任務には就いていなかったんだけど」


「ふぅん。で?」


「……興味ないかい?」


「ねえな。警察が異能犯罪者に殺されるなんて珍しい事件でもないだろ。それに俺に関係がある話とは思えない」


「まあ、そう言わずに聞いてくれよ」


「聞くさ。取引したからな」


 俺がそう言うと、荊棘は残念そうに嘆息する。


「これでも関係者に箝口令を敷いている大事件なんだけど」


「知るか。早く話せよ」


 先を急かすと、荊棘は肩を竦めて――


「――命令を受けた公安の腕利きが現地入りしたよ。公安の捜査官だ、決して無能じゃないよ――私ぐらい戦える連中だと思って欲しい」


「……あんたみたいな奴が何人もいるとは思えないが」


「それは褒め言葉として受け取っておくよ。ともかく、公安が誇るトップクラスの捜査官が七名、T市に潜入して事態の把握に務め――全員が殺された」


「……笑えないな」


 荊棘の言葉に俺も思わず息を呑む。


 自分で言うのもなんだが、俺も日本の異能犯罪者の中じゃ弱い方ではないだろう。多分上から数えた方が早かったはずだ――その俺が公安警察の一人を殺すのを躊躇って日本から逃げることになった。


 そいつを七人殺す――一人の犯行じゃないかも知れない。だが、公安を敵に回すことを考えればネジが飛んでいるとしか思えない犯行だ。もしかすれば、日本の異能犯罪史上最大最悪の事件かもしれない。


 荊棘は再びグラスを手に取り、その中身を煽って――


「――単刀直入に言うよ、アタルくん――君には私と組んでT市に入り、この状況の収束にあたって欲しい」




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