第1章 闖入者 ②
二人の超越者足る異能――マックスの殴った相手の脳に働きかけ、左右の感覚を入れ換える《
さらに荊棘は兼ね備えた被虐趣味と加虐趣味を戦闘中に発揮する。戦闘行為で発情するのは勝手だが、殴っても殴られてもモチベーションを高める異常な精神性は相手にして脅威でしかない。
マックスには悪いが、奴の気を引いてもらってタイミングを見計らって俺も突っかけて不意打ち、離脱が理想か。
「――オラァ!」
拳を唸らせるマックス。しかし荊棘は俺の予想と違い、受けることも反撃もせずにマックスの拳を掻い潜るように躱した。
そのまますれ違うようにマックスの背後をと――らずに、俺の懐に踏み込んでくる。
「――っ!」
咄嗟に身構えるが、しかし荊棘は俺にも攻撃しようとしない。目を細めて微笑むだけ。
「そんなに身構えないで欲しいな。ここで君に手を出すつもりはないさ。旧交を温めたいっていうのは嘘じゃないよ。君に話があって海を渡ってきたんだ」
「――おい、相手は俺だろうが! シカトしてんじゃねえ!」
叫ぶマックス。しかし荊棘はそれに取り合わず、続けて俺に――
「だからさっきはああ言ったけど、君のお友達に怪我をさせるつもりも本当はないんだ。それをしたらきっと君は私の話を聞いてくれなくなるだろうからね。まあ悪いようにはしないよ。安心して見ててくれ」
そう言ってくるりと振り返り、マックスと対峙する。
「どうせなら本気のあなたを見せて欲しいな。そんな大振りじゃ避けてくれと言っているようなものじゃないか。そんなもんじゃないだろう? もっとデキる雰囲気だ」
「……そいつは重ね重ね悪いことをしたな。そんじゃあ見せてやるよ、少しだけな」
言ってマックスは半身に構え、脇を締めてコンパクトに構えた。
対する荊棘も侮れない。以前やり合ったときはオーソドックスな構えから高いボクシング技術を見せた。
しかし荊棘は構えなかった。少し前掛かりだが、ほとんど直立――どうやら一対一のケンカだと見物にまわった他の客に目線を送る余裕さえ見せている。
「よう姉ちゃん、構えろよ」
「やあ、見た目によらず紳士なんだね。でもこれでいいよ。いつでもどうぞ?」
「――舐めやがって!」
怒声とともにマックスはジャブを繰り出した。それだけじゃない――ジャブを繰り出すのと同時に前に出て、返しの右を意識させている。先の一撃を躱されたマックスはマックスなりに荊棘を強敵と認識したらしい。ジャブを躱されても確実に右ストレートを当てるつもりのようだ。
そしてたとえガードされても、先に拳を当てればマックスの《
しかし、それも決まればの話だ。荊棘はほぼタイムラグなしで放たれたマックスのワンツーを左右のヘッドスリップで躱す。
「な――」
マックスは驚いて、それでも更に追撃した。ジャブ、ストレート、フック、ショートアッパー――左右の四連撃。それでも荊棘は足を止めたままヘッドスリップ、ダッキング、スウェーで躱しきる。
「さすがアタルくんのお友達――ぞくぞくするね、当たれば首から上がどこかに飛んでいってしまいそうだ」
「誰だよ、そのアタルって奴はよ!」
怒鳴ってマックスはボディブローを放つ。さすがに足を止めた状態でこれを躱すのは無理と判断したらしい。荊棘は半歩退いて体をきり、手のひらでマックスの拳を受け止める。
荊棘が攻撃をしかけなかったのは裏を読まなければ彼女自身の言葉通り、俺と話をするため――言い換えれば俺の信頼を得る為だったのだろう。だが、そのためにマックスと対峙して奴をいなしきろうというのは虫のいい話だ。マックスにとってクリーンヒットでないのは不本意だろうが、荊棘が躱さずに拳を受け止めたことで《
そして知らなければただ立っていることさえ難しいのが《
だんっと床を叩く音。荊棘が倒れた音ではない。彼女が崩れた体を支えるため、足を出して踏みとどまった音だった。
「なに――」
「……手の甲――拳の
そう言いながら、荊棘は何事もなかったようにすっと体を起こす。マックスの
まさか、もう対応しているのか? 倒れそうになった体のバランスをとろうとしたその動きで《
……やはり荊棘は怖ろしい女だ。
「……効いてねえのか?」
「効いてるよ。だから厄介な能力だと驚いている。正直に言うとあなたの印象からもっと大雑把で破滅的な能力だと思ったんだけれどね」
マックスの呆然とした呟きに答えつつ、荊棘は初めて腕を上げてボクシングのように構えた。その場で動きを確かめるように二度、三度と拳を突き出して――
「でも、まあなんとかなりそう――かな?」
そしてまたノーガードに。
「さあ、続きをどうぞ?」
「――上等だ!」
三度マックスが仕掛ける。最初と同じ高速ワンツー。ジャブは躱した荊棘だったが、さすがに先と同じとは行かないようだった。ストレートに対する反応が遅い。
荊棘の言葉通り、彼女の首から上がどこかに飛んでいってしまうことになるかと思ったがそうはならなかった。マックスの拳が伸びきる直前、荊棘の体は弾かれたように宙に飛び上がった。
「なに――」
必中のはずだった拳が空を切り、マックスは驚いて天井付近まで飛び上がった荊棘を見上げる。ジャンプじゃない、そんな予備動作はなかった――奴の異能、《
それを裏付けるように、荊棘は重力に反したゆっくりとした速度で呆然とするマックスの前に着地する。
「いや、失礼――せっかくだし頂戴してもよかったんだけどね? けどマスターと誰も怪我をしないと約束したものだから――あなたの拳を受けて無傷ではいられないだろうから」
避けさせてもらったよ――そう告げる荊棘の表情は俺からは見えない。しかしマックスの表情から窺える。おそらく身の毛もよだつような凄惨な笑みを浮かべているのだろう。
奴の能力を知っている俺も奴がいつ能力を使ったかわからなかった。だが推測はできる――マックスの初弾を躱し、俺に近づいた時だ。天井の梁と自分位置関係から仕込みやすい位置を確保したのだろう。
能力の扱いが洗練されている。俺とやったときはこういう使い方はしていなかった。それに攻撃に転じようと思えばできたはずだ。それをしなかったのは、言葉通り俺と話をする為か。
……甘かった。マックスに注意を引いてもらって突っかけようと思ったが考えを改めた方が良さそうだ。今はまだ下手に出ている荊棘だが、本気にさせてしまえばそんな隙を見せる前にマックスの奴が危ない。
「……荊棘」
苦渋の選択。マックスもだが、キャミィやベアトリーチェを危険に晒したくない。
「なんだい?」
マックスから注意を逸らさないまま荊棘が返事をする。
「取引だ。俺の連れに危害を加えるな」
「あは」
俺の言葉に荊棘が嬉しそうに振り返る。
「君はどんな代価を?」
「お前の話を聞いてやる」
「嬉しいよ、私の気持ちが伝わったみたいで」
荊棘にこの街のルールなんて関係ない。いよいよとなったらなりふり構わず俺を追い詰めようとするだろう。だが奴なりのルールがあって――今はそれに従っている。マックスに反撃しなかったのがその証拠だ。
「……マックス、水を差して悪い。けどそういうことだ、俺に免じて引いてくれ」
なら、今はそれに乗っておいた方がいいかもしれない――俺は果たしたくなかった再会に心がざわめくのを感じつつ、マックスにそう言った。
「お、おう……兄弟がそう言うなら」
マックスが戸惑いながら頷き、そして彼の聖痕の輝きが消える。能力を解除したようだ。強がっちゃいるがマックスも今のやり取りで荊棘の実力を垣間見ただろう。変に粘るようなことをしないでくれたのは助かる。
荊棘の方は《
「うん、取引は成立だ――私は君のお友達に危害を加えない。じゃあ早速話を聞いてもらおうかな。できればアタルくんのおうちで」
「ふざけんな。そこまでサービスできるか」
俺はさっきまで座っていた席から離れ、カウンターの隅を一つ空けて座り直す。この店にボックス席なんて気の利いたものはない。とはいえ荊棘の話なんて碌なもんじゃないだろう。せめてカウンターの端の暗がりに移動し、他の客から離れるのが精一杯だ。
「私とアタルくんじゃ、君が奥の上座に座るべきじゃないかな? なにせ君は私に勝っているんだし、私は話を聞いて欲しいとお願いする立場だ」
「あんた相手に奥に追い詰められるような席に座るつもりはねえよ」
「――やれやれ、信用がないなぁ。お姉さんは悲しいよ」
言いながら荊棘は肩を竦めて一番奥の席に座る。そこに二つのグラスが滑ってきた。琥珀色の液体が入ったグラスと、翡翠色の液体が入ったグラス。それぞれ荊棘と俺が前の席で飲んでいたものだ。
そして、荊棘の逆隣にマックス、キャミィ、ベアトリーチェが座る。
「おい――」
「いや、いいよアタルくん。彼らも気になるだろうしね」
マックスたちを咎めようとすると、荊棘はそう言って――乾杯のつもりか、荊棘は自分のグラスを手にして俺のクリームメロンソーダのグラスに軽く合わせる。
「二人の再会に」
その言葉を無視してやるのが今の俺にできるささやかな抵抗だった。
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