第1章 闖入者 ①

 俺は反射的にバックサイドホルスターからグロックを抜いて荊棘おどろに――荊棘蜜香に向ける。それを見ても荊棘は身構えるどころか、ますます嬉しそうに微笑んでクラッシュアイスと琥珀色の液体が入ったグラスを傾けた。からんと氷の音が鳴る。


「――ヘイ、アキラ! ここはどこだ、ええ?」


 カウンターの向こうからマスター――リチャードの声が聞こえるが銃を下ろすことができない。俺のそんな様子に気付いた店内の他の客がざわめき出す。


 しかし当の荊棘は店のざわめきも俺が向けた銃口も全く意に介さず、


「久しぶりだね、アタルくん――アレ・・以来だから一年ぶりだね? 元気そうでよかったよ」


「……随分印象が違うじゃねえか。自慢の御髪じゃなかったのか?」


 一目で荊棘とわからなかったのは、荊棘がその長い髪をバッサリ切っていたせいもあるだろう。そう告げると、荊棘は肩を竦めて――


「君に失恋してしまったからね。髪を切って気持ちを改めて、そして女々しくもこうして追ってきたというわけさ」


「眼帯、逆にしたんだな」


「おいおい、私の左眼をえぐったのは君じゃないか。お陰でこれを常に聖痕これを人目に晒さなくちゃならなくなったんだよ?」


 言いながら荊棘は己の聖痕スティグマ――異色の右眼を指し示す。


「アタルくんこそ似合わないサングラスをしてるじゃあないか。魔眼が人に見られないようにかな? でも君にはそんなチャラい色のサングラスは似合わないよ。素顔の方がお姉さんの好みかな」


「あんたが好ましくないってんなら喜んで身につけるさ」


「やれやれ――ともあれ、そろそろそれを下ろしなよ。この店が揉め事禁止っていうのは知っている。ここで君と構えるつもりは毛頭ないさ」


「どうだか」


 俺がそう言うと、荊棘は目を細めて俺にだけ聞こえるような小声で――


「この街の住人なんてみんな犯罪者だろう? この店にいる人間を全員殺して二人きりになってもいいんだよ? 勿論、君のお友達も退場してもらう」


 そう言って氷の入ったグラスを弄んだ。からんからんと鳴る氷の小気味いい音とは裏腹に、荊棘の全身から冷たくて邪悪な気配が立ち上る。


 そう――こいつはそれができる。この場でこいつの暴力に抗えるのは俺とマックスぐらいだろう。キャミィやベアトリーチェなどは一瞬で殺されてしまいかねない。


 そしてキャミィ、ベアトリーチェを庇いながらこいつと戦った場合、ただでさえ読めない俺の勝ち筋は絶望的なものになる。


 以前の俺とこいつの戦闘力はほぼ互角――そして実際やり合って俺は劣勢だった。薄氷を踏むような勝利を掴めたのは幸運だったと言ってもいい。


 あれから時間が経っている――俺も強くなったはずだが、荊棘も以前のままということはないだろう。もう一度やり合って同じ結果を手繰れる保証はどこにもない。


「そこまでしないと、君は私とお話もしてくれないのかな?」


「ちっ……」


 俺は荊棘に聞こえるように舌打ちをして、グロックをホルスターにねじ込む。そんな俺に店のざわめき、どよめきが治まっていく。


「やあやあ、いつ撃たれるか気が気じゃなかったよ――私も随分と嫌われたものだね?」


「当たり前だろ」


「私はあれ以来君の虜さ。逢いたくてたまらなかった」


「俺は二度と会いたくなかった」


「……そんなに嫌わないでくれよ。昂ぶるじゃないか」


 ちっ……――俺は荊棘から目を逸らさず、奴といくつか席を空けてスツールに腰を下ろす。


「俺に用があって来たんだろ? 何の用だ」


「君と旧交を温めたくてね。そしてあわよくばいい関係になりたいなって。君が気持ちよく色々してくれたから、あれから私はあの時のことを考えてばかりいるよ」


「余計なことはしゃべらなくていい――約束は守っているな?」


 そもそも、全力で回避したかった荊棘との戦闘――これに踏み切ったのはこいつと取引をしたからだ。俺がこいつの要求に応え一対一でやり合うことで、荊棘は俺の古巣とも言っていい《スカム》と俺の元雇い主で家族だった夏姫に手をださない――こういう条件で俺は荊棘とやり合うことになった。


「勿論。そこは信用してくれたまえよ。これでも公僕――嘘は吐かないさ」


「今日だけで何回吐いたかわからねえな?」


「言ってくれる――嗚呼、こうして話しているだけであの夜のことを思い出すよ」


「黙れ変態」


「えへへ、照れるな。そんなに褒めないでくれ」


 埒があかない。こいつはどう罵ってもこういう反応をする奴だった。厳密に言えばこいつのペースを乱せる言葉もあるにはあるが、あれはダメだ。たった一言で理性が吹っ飛ぶほど怒り狂う。あれに付き合うぐらいならこの調子のほうがまだマシだ。


 ――と、俺の背後でマックスが立ち上がる。


「ヘイ兄弟、日本語で話してちゃわからねえよ――けどさっきの反応でわかったこともあるぜ。そいつが俺じゃ敵わねえっつう姉ちゃんなんだな?」


 マックスの声は多分に怒気を孕んでいる。面倒なことになりそうだ――キャミィに目配せすると、空気を読んだ彼女が彼女の異能・精神感応テレパシーで語りかけてくる。


(何をしたらいい?)


(察しがよくて助かる――ビーチェ連れて逃げる準備をしておいてくれ。いざって時は迷うな。そっちが動いたら俺もケアできるように動く)


(了解、頼りにしてる。ビーチェにも伝えておくわ)


 そんなやりとりをしている間も、荊棘は流暢な英語でマックスに答えていた。


「姉ちゃんだって? はは、照れるね。そちらのお嬢さんたちより年上だと思うけど、私にもそんな風に言ってくれるなんて嬉しいじゃないか」


「おっと、話せるのか――レディと言うべきだったか? 悪いな、日本人は若く見えるからよ」


「小娘扱いが嬉しい年頃ではあるね。それはともかく、私とあなたじゃどっちが強いかはわからないけど――それでも期待外れ、なんてことはないはずだよ。でもここは揉め事禁止なんだろう? あなたのお相手ができなくて残念だよ」


「へっ、構いやしねえ。やろうぜ」


「おい、マックス――」


 マックスの態度に言葉を荒げるリチャード。そんな彼にマックスは拳を鳴らしながら、


「ヘイパンダマン、ここが中立ってのはこの街の人間同士の話だ、そうだろ? こいつは余所者だ。通報する奴がいなきゃサツだって動かねえ。誰も損しねえよ」


「だからってなぁ――」


「構わないよ、マスター。少しダンスのお相手をするだけさ。誰も怪我をしないし、店も壊さない」


 リチャードにそう告げる荊棘――その右目の闇が鮮血のように赫く輝く。


「――度胸だけは認めてやるよ」


 マックスの方も拳の聖痕スティグマが輝き始める。二人とも使う気か――異能を。


「マックス、こいつは――」


「――言いっこなしだぜ、兄弟! 聞いちまったらフェアじゃねえよ!」


 言いながらマックスは拳を振り上げ、嬉しそうに微笑みを浮かべる荊棘に殴りかかった。




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