幕間 かつての二人

 飯を食う金を巻き上げるためにチンピラを探して裏路地を散策していた俺は、偶然少女を攫おうとしている連中を発見した。


 なんて幸運だ。犯罪者から金を巻き上げることができる上、少女を助けてやれば保護者に飯を集れるかもしれない。


 ――救出して家に送ってやったときはこの街の重鎮、《スカム》会長・天龍寺兼定が出てきて肝を冷やしたが、《スカム》の会長・兼定氏は俺が思っていたより豪胆で義理堅かった。


 幾度か《スカム》のチンピラを小突いて敵対しかけていた俺を許し、その上金が欲しいなら少女――孫娘の天龍寺夏姫を攫った連中が所属する組織に復讐――つまり潰してこいと言う。


 断る理由はない――夜明けまでに夏姫を攫った組織を潰した俺に兼定氏が用意してくれた報酬は、思っていた以上の現ナマと、天龍寺家の食客という身分だった。


 飯に困らない上に寝床を探す必要もない――更に兼定氏の人物像に興味が湧いた俺は言われるまま天龍寺家に居候することにした。


 しかし、一晩で《スカム》会長のお気に入りとなった俺を面白く思わない連中も当然いる。


「――おうガキ。今目ぇあったよな? お? 何か文句でもあんのかコラ」


 ある日の晩、風呂上がりに与えられた部屋に戻ろうとすると洗面所を出たところで待ち伏せされていた。


 天龍寺家のお屋敷は広く住人もそれなりにいるが、天龍寺家の血筋は当主の兼定氏と孫娘の夏姫しかいない。他は住み込みの女中だったり、《スカム》会長としての兼定氏の側近だったり――加えて食客の俺。


 俺を待ち伏せていたのはその側近でも一番若く――そして一番兼定氏に目をかけてられている男だ。


 俺よりいくらか年上で、短髪を金色に染めたどう見てもチンピラの男――なのだが、兼定氏が言うには大した能力を持った超越者で、侠気もあって将来有望な青年らしい。異能犯罪組織で将来有望とかそれはもう社会の癌でしかないと思うが、その辺りは俺も人のことが言えないので多くは言うまい。


 若くして組織の長に認められ、その長が小間使いを装って傍に置いているのだ、さぞ有望なんだろうが――若い分血が熱く、こういうこと・・・・・・があるかも知れないと言われている。


 曰く、組織の上下関係こそ守るものの、少々気が強いところがあるんだそうな。


 ……まあ、兼定氏には衣食住を世話してもらっている、言われたとおり適度に叩いてやって伸ばしてやろうか。


「……風呂上がりだもの。脱衣所の前で待ち構えられてたらそら目が合うよ」


「なんだ? お? 文句あんのか? てめえちっと会長や夏姫姐さんに気に入られてるからって調子乗ってんじゃねえぞ?」


 俺の言葉に用意していたかのように――いや多分用意してたんだろうけど――食い気味に低い声で告げてくる。


「……俺のことが気に入らないって?」


「気に入らねえな――新参者がでけえツラして天龍寺家を歩いてんじゃねえよ。何様のつもりだコラ」


「別に俺、《スカム》に入ったわけじゃないし。家主の兼定氏に行くとこないならしばらく好きに使って良いって言われてるし。あんたに新参者ですよろしくどうぞなんて頭下げる必要ないと思うけど?」


「言うじゃねえかおい……なあ、てめえ雑魚の群れを片付けて会長に取り入ったんだろ? ちょいとその腕俺にも見せてくれよ」


 そう言って金髪の兄ちゃんは俺に嘲りの笑みを浮かべる。


 ……デキる雰囲気は持ってるけど、なまじ強いだけに負け知らずで天狗になってるんだろうな。一度か二度くらい死線を潜れば化けそうだけど。


 ……さて、兼定氏お気に入りの兄ちゃんだ、頼まれている通り教育してやろうか。


「えっと――名前覚えてないけど、お兄さん。俺風呂上がりだし、汗をかかない程度に遊んでやるよ。庭に行こうか」


「――ぶっ殺す!」





 金髪のお兄さんと庭に出てしばらく――


「――あっくん! 遅いと思ったら――庭で何してるのよ。お風呂上がったら私の部屋で映画一緒に見る約束だったでしょ」


 ……そう言えばそんな約束をしてたっけな。俺が中々部屋に来ないから探しにきたらしい夏姫が、縁側の廊下から俺を発見して庭に出てくる。


 そして――


「庭なんて別に面白いものないでしょ――って、あれ、カズマくん?」


 廊下からでは地面に伏していた彼は見えなかったのだろう――夏姫はサンダルをつっかけて庭に下りてくると暗がりで倒れているお兄さんを見て驚きの声を上げる。


 夏姫の声に、倒れていた男は慌てて身体を起こし――


「――姐さん! これはすんません、情けねえところを――……」


「やだ、血が出てる! あっくんとケンカしたの?」


「や、これは――いえ、自分のせいっす」


 鼻血で顔の下半分を赤く染めた彼は夏姫にそう言うが、夏姫はくるりと振り返って俺を睨む。


「――もう! 加減してあげなきゃダメでしょ?」


 夏姫……それはお前彼を庇ってるようで火に油を注いでると思うぞ。ほら、お兄さんすげえ目で俺を見てるじゃんか。別にどうでもいいけど。


 俺は肩を竦めて――


「この屋敷には治癒能力者ヒーラーいるじゃん。だからまあ平気でしょ」


「そういうことじゃないでしょ――カズマくん、今治癒能力者ヒーラー呼んでくるからちょっと待っててね? いい? 動いちゃダメよ――ほら、あっくん行こう?」


「え、俺も?」


「ここに置いてったら続きやるでしょ? ――もう、なんで男ってケンカ好きなのかなー。全然わかんない」


 言いながら夏姫は俺の手をとって今し方下りてきた廊下へ向かう。


 俺は手を引かれながらも振り返り兄さんを見る。彼は殺意のこもった目で俺を睨みつけていた。この分だとまた来るな――これが殺していい相手なら暇潰しになるだろうが、兼定氏のお気に入りとあってはそうはいかない。


 面倒だな……





「おうコラガキ!」


 翌日――近々映画館に最新作の上映を観に行くから予習しておけと夏姫から渡された映画のディスクを自室で観ていると、昨晩の金髪が怒鳴り込んできた。


「――お、怪我治ってるじゃん。良かったな」


 威勢良く俺の部屋にやってきたお兄さんだが、顔を見ると昨夜拳骨で折ってやった鼻の腫れが引いている。


 天龍寺家――いや、《スカム》お抱えの治癒能力者ヒーラーは優秀だろうが、骨折の治療となると本人も相当体力を消耗するはず。それでこの威勢の良さは――元気がいいなぁ。


「ナメてんじゃねえ……表出ろコラァ!」


 ――やれやれ。昨夜はちょっと手加減し過ぎただろうか。


「昨日はてめえに遠慮して異能を使わなかったけどよ、今日は泣きいれるまで徹底的にシゴいてやっから覚悟しろコラ」


「いいけどさ、今日は夏姫ちゃん出かけてるから止めてくれる人がいないよ?」


 煽ると、金髪の額にわかりやすく青筋が浮かぶ。


「……てめえ会長のお気に入りだからって殺されねえとでも思ってんのか?」


「この組織にそれができる人はいないんじゃないかな」


「すっとぼけてんじゃねえぞ、ガキ――夏姫姐さんを救ったことにゃあ感謝してやらんでもねえがよ、てめえが小突き回した《スカム》のメンバーには俺が面倒見てやった若いのもいるんだよ――舎弟の礼をしてやっから表出ろ」


 ――……やれやれ。俺はリモコンを操作して観ていた映画を一時停止。タイミングが良かったらしく、ヒロインの女優が半目でアップになっている。


「見てみて、女優の顔。面白くない?」


 ローテーブルの向こうで仁王立ちの彼に告げると、彼はテレビに顔を向けるどころか怒髪天と言った様子で怒鳴る。


「てめえやる気あんのかコラァ!」


「あるよ」


 言いながら、ローテーブルを蹴飛ばす。テーブルの縁が彼の両足を強打――足を掬われる形で男はテーブルの上に倒れ込む。


 俺はその倒れた男の金髪を掴み――


「あんた俺の部屋敵陣に乗り込んでいつまで気持ちよくベラまわしてるつもりだよ。やるならごちゃごちゃ言ってないでやらないと」


 そして思い切りテーブルに叩きつける。鈍い音――そして木製のテーブルの上に血だまりが広がっていく。また折れたかな? ――テーブル、染みにならきゃいいけど。


 ――と。


「ガキがぁ……調子くれてんじゃねえぞオラァ……」


 テーブルに叩きつけてそのまま押しつける様にしていたのだが、男は両手をついて起き上がろうと抵抗してくる。おお、力はもしかしたら俺よりあるかも知れないな。


 ぱっと手を離す。抗っていた力が急になくなり、男は勢いよく伸び上がる形になった。その上体が伸びきる前に、髪を掴んでいた手を切り返して男の顎を打ち抜く。男はくるりと白目を剥いてそのままテーブルの上に倒れ込んだ。やれやれ――女中さんを呼んでこいつの撤去と治癒能力者ヒーラーの手配を頼むとするか。





 更に翌日。風呂から上がって脱衣所を出るとまたも金髪のお兄さんが待ち受けていた。


 根性は買ってやってもいいが、懲りない人だなぁ……


 ――と。


「……稽古つけてくれよ」


 おや?


「ずいぶん態度が違うじゃんか」


「……二度もやられちゃさすがにただのガキとは思わねえよ」


 尋ねると、殊勝な言葉が返って来る。ま、兼定氏のリクエスト通り鼻は追ってやれたかな?


「だが負けたとも思ってねえぞ。マジにやりゃあ俺の方が強いはずだ。だからよ兄さん、稽古つけてくれよ」


 ボキボキと拳を鳴らしながら唸るように言うお兄さん。やれやれ……


「昨日言ってやったろ? その気があるならベラまわしてないで体動かしなよ」


「忘れたわけじゃねえ。けどよ。俺の異能ちからは俺がやるんだと言っておかねえと誰にやられたのかわかんねえだろうからよぉ」


 そう言うと、彼は突如として俺の前からいなくなった。


 ――瞬間移動テレポート? 否――奴の殺気はここにある!


 なるほど――そういうことか。確かにこれをいきなり仕掛けられたら誰にやられたのかわからない。そして天狗になるのも頷ける――これは強い。


 目を凝らす意味はない。見えなくなったものを見ようとしても仕方ない。これが、奴の異能――姿を消す能力。


 目を凝らす代わりに耳を澄ませる。呼吸音、衣擦れの音――


 ――ここだ!


 首を右に捻る。拳が空気を割る音が左耳を叩いた。


「なっ――」


 声は聞こえるが姿が見えない。だが、わかる――追撃は返しの左だろう。奴の左拳から逃げるように上体を反らし、その反動で右足を鞭の様に振り上げる。さすがに見えなければ急所は狙えない――大まかなアタリをつけて胴を狙った前蹴りは奴の腹筋(だと思う、手応え的に)を捉えて奴の体を押し戻した――はず。


 手応えの後、衝突音のような音が壁の方から聞こえてくる。そして壁に張り付き、驚愕の目で俺を見るお兄さんの姿が見えるようになる。


「や、驚いた――すごい能力持ってるね。光の屈折を操作――いや、催眠系で視覚をジャックしてるのかな?」


「初見で対応しやがっただと……?」


 俺の話は聞こえてないのか、彼は呆然とそう呟くと逆に俺に尋ねてきた。


「見えてたのか……?」


「いや、完全に見えなかったよ。だから驚いた」


「ざけんな、だったら躱せるわきゃねえだろ!」


「そうでもない。あんた足音がでかいんだよ……武道や格闘技の経験ないだろ。まあ、それが悪いとは思わないよ。異能犯罪者のケンカ屋なんて強ければなんでもいいんだからさ――でも体系立てた技術が身についていないなら、初手は利き腕で殴ってくるって思っただけ。そんでケンカ屋で右右のコンビ打ってくる奴はそういない」


 右のシャープなダブル連撃――それに右のジャブやストレートから右の蹴りにつなげるコンビネーションはどちらかと言えば高度なコンビネーションだ。いくら強かろうが技術的に身についていないものは咄嗟に出せるものじゃない。


「だから返しの左にカウンターを合せただけ」


「――まだ負けてねえぞ!」


 再び彼の姿が消える。本当に見えない――どのぐらい消えていられるのかわからない。これが実戦で消えたまま一時撤退されたら非常に厄介な能力だが、今の彼の精神状態から退くことはないだろう。となれば攻めてくるはず――


 だんっ、だんっと床を蹴る音が響く。今度は回り込むつもりか――俺は首にかけていたタオルの端を掴み、音が聞こえた右手側に振る。髪を拭いて水気を吸ったタオルは鞭の様にしなり、空中で見えない棒状のものに巻き付いた。


「なに――!」


 驚愕の声。そこが腕、ね――右腕か左腕かわからないけど、そこが腕ならこの辺りは脇腹だろう――そうアタリをつけて、タオルを引きながら強めにサイドキックを放つ。


「ぐっ――……」


 手応えあり――くぐもった声と共に男が姿を現わす。


「お兄さん、素質あるよ――けど今のままじゃ俺の相手は難しいかな」


「くそがぁ!」


 そう言って俺を睨む目には力がある――こういう負けん気の強さも兼定氏に気に入られているところなんだろう。


 俺はそんな彼に――


「いいもの見せてもらったからさ――礼になるかわかんないけど、俺の異能も見ていきなよ」


 そう告げて魔眼を開く。俺の両目は今、金色に光っているはずだ。超越者の証である聖痕スティグマ――この両目が輝いている間、俺は《深淵を覗く瞳アイズ・オブ・ジ・アビス》の効果で擬似的に世界を遅滞させることができる。


 世界がスローモーションに見えるということは、実質的に俺と他者の時間の過ごし方が変わる――それは加速していることと同義だ。


「その目――てめえ、いや、あんた《魔眼デビルアイズ》か!?」


「ああ、俺のこと知ってるの? どうでもいいけど――ともかくこのまま少し遊んであげるよ。兼定氏にも頼まれてるからね」


 告げると、男の顔が険しくなる。


「会長に――……そうか、会長に家の中で暴れて説教されねえのはおかしいと思ってたんだ。家政婦さんや治癒能力者ヒーラーが俺のことを会長に話さねえわけがねえからな……」


「そ。本当に気に入られてるのは俺じゃなくお兄さんの方ってわけ。天狗の鼻を折ってくれってさ。さあ、来いよ。舎弟の礼をするんだろう?」


「ま、待ってくれ――あんたが《魔眼デビルアイズ》だってんなら俺には荷が勝ってる! 悪かった、もうあんたのことを馬鹿にしたりしねえ――」


 お兄さんはそんなことを言い出すが。


「別に怒ってないよ。元気がいいなぁと思っただけ。でも俺も兼定氏には感謝してるからね、兼定氏の希望通りあんたが一皮剥けるように遊んでやるよ。あんたも稽古つけてくれって言ってただろ?」


 俺がそう言うと、男は複雑そうな顔で――しかしやはりかの《スカム》の構成員――そして会長に気に入られるだけの度量はあるらしい。口元を引き締めると――


「ぅぉおおおおっ!」


 拳を握りしめ、突撃してくる。鋭くはないが、別段鈍くもない――それなりの力はあるのだ。


 心がけ次第じゃもっと上を目指せるだろう。それを教えてやるために、俺は突撃してくるお兄さんを迎え撃った。





「――アタル、昨夜はご苦労だったな」


 翌日、天龍寺家のリビング。朝食にお呼ばれしていると、俺や夏姫にいくらか遅れてやってきた兼定氏がそんなことを言った。


「うん? あっくん、お祖父ちゃんになにか頼まれてたの?」


「まあ、ちょっと野暮用をね」


 夏姫に曖昧に答え、兼定氏に尋ねる。


「で、どんな感じ?」


「うむ――相当に堪えたらしい。上には上がいると思い知ったようだな。あの年で極めたなどと勘違いされても困る。いいことだ」


「俺がなんかしなくても、爺さんがクンロクいれてやれば済む話だろうに」


「儂の言うことは聞くだろうがな――だが自ずと気付くのが重要なのだ」


「ふぅん、そんなもんかね」


 俺がそう言うと、兼定氏は街を仕切る異能犯罪組織の長とは思えないような笑顔で頷いた。


 そして――


「あいつも見ての通りまだ若くてな、組織で年が近い者はいても、立場まで同じ者はおらん――これからも目をかけてやってくれ」


「まあ、爺さんがそう言うなら俺は構わないけど」


 頷く。面倒だが、昨夜は結構な勢いで可愛がってやったから、向こうから近づいてくることはないだろう。




 ――それがまさか、軽い気持ちで頷いてから一時間も経たないうちに俺を「兄さん、兄さん」と呼ぶ彼の姿を見ることになるなんて。押しかけ女房なら聞いたことがあるが、押しかけ弟分なんて聞いたことがない。


 安請け合いなんかするもんじゃないな。





あとがき

夏前に第四話更新したいと思っていた時期が僕にもありました。

7月中には更新開始できると思います。もう少しかかりますが、お付き合いいただけますと幸いです。

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