第5章 激戦 ⑭

 ……もうどれくらいこうしているだろうか。


 ヴィンセントの拳を打ち払い、体勢が崩れた奴の胴――鳩尾に拳打を叩き込む。拳を払った動きで捻転を作り、それをあますことなく伝えた一撃は突き抜けるような手応えがあった。


「がはっ……」


 血反吐を吐くヴィンセント。狙い通り胃に甚大なダメージを与えたらしい。


 しかしヴィンセントはその傷も一瞬で癒やし、直ぐさま反撃してくる。


「オラァッ!」


 今度は蹴りだった。ハイキック――その威力を殺しながら受けつつ、カウンターの三日月蹴りで脾臓を狙う。ヒット――靴底がヴィンセントの肋骨――その内側を抉るようにボディにめり込む。片足だったせいで踏みとどまれなかったヴィンセントは苦悶の声を上げながら吹っ飛んだ。


「――っ……」


 床を転がったヴィンセントは、のたうち回るでもなくのそりと立ち上がる。だが脾臓のダメージは癒やしただろうに、今し方蹴ってやった腹を押さえたままだ。


「どうした? 治したんだろ? こいよ」


「……てめえ、」


「こないならこっちから行くぞ」


 我ながら敵役のセリフだなと思いつつ、そう告げて歩み寄る。


「うおおおおっ!」


 つかみかかってくるヴィンセント――その手を取り、一本背負いで床に叩きつけ――奴が悲鳴を上げるその前に脇腹を踵で踏み抜く。


「ぎゃああああっ!」


 何本かまとめて肋が砕ける感触。もしかしたら砕けた肋骨が内臓を貫いたかも知れない。


「――頭を撃たれても死なないって聞いたぜ。ほら、治せよ」


「――っ、はぁっ、はぁっ……」


 脂汗を浮かべるヴィンセントが仰向けになったまま俺を睨む。


「いくら、やったって、無駄だぜ……俺は死なねえ。殺せねえ」


「どうかな。俺はできると思ってるけど」


 奴が今治したばかりの脇腹をもう一度踏み抜く。同じ手応え。再び肋骨が砕ける。


「――ぐぉっ……、どういうつもりなんだ、てめえ……」


「やっとか。俺の予想じゃもうとっくに音を上げてるはずだったんだけどな。思ってたよりタフだよ、あんた」


 苦痛、困惑、怖れ――そんな感情で顔が歪んだヴィンセントに告げる。


「あんたを殺すのはあんた自身の恐怖だ。あんたは俺には敵わない――このままこうして壊し続けてやる。苦痛を怖れて心が折れて、異能を制御できなくなった時が《殺せない男アンキラブル》の死ぬときだ」


 言いながら、もう一度脇腹を踏み砕くと見せかけて――今度はジャレドにそうしたように鎖骨を踏み砕く。


「ぎゃっ……!」


 悲鳴を上げるも、ヴィンセントは折れた鎖骨を異能で癒やす。ヴィンセントの心は折れかけているようにみえるが、それでもまだ健在のようだ。


「――……かつて敵対した組織のボスを尋問したとき、手足の指を順に折ってやったことがある。あんたはどこの骨だって折った端から治してくんだろ? 何回折らせてくれるかな?」


 俺の方はこれを何時間でも――朝までだって続けることができるが、さすがにそうもいかないだろう。脅しをいれるとヴィンセントの顔が歪む。


「てめえ――本気で俺を殺そうってのか?」


「あんたが尊重し合うことを拒んだんだ」


「……わかった。東区から手を引く。てめえに恥はかかせねえ――手打ちにしようや」


 ヴィンセントが俺を見上げてそんなことを言う。上から目線の命乞いは見上げたものだが、


「今更そんなことを言われてもな」


 鎖骨辺りに乗せていた足を首から顎にかけてずらす。


「頭を撃たれたときはどうやって生き延びたんだ? 撃たれた瞬間に頭蓋骨の骨折を治し続けて弾丸の威力を殺したと踏んでるんだけどな――首をへし折られて同じことができるか?」


「おい、やめろ――」


「『口にしたことは必ず実行する。殺すと言ったら必ず殺す。そうじゃねえと口先だけのチキン野郎と思われるからな』――だったか? あんたの言葉だぜ。そして俺も言ったはずだ。今夜中にあんたを殺すってな」


 ゆっくりと、苦痛を与えるように力を込める。ミシミシと骨が軋む音。そして、


「――おい、兄弟。そのへんにしとけよ。ムービーだったらどう見たって兄弟が悪役だぜ」


 ビルの屋内に続く出入り口が開き、そこからマックスが現れた。


 さらに、その後ろには黒いスーツに身を固めた男がいた。アドリアーノだ。


「二人とも……下はどうなった?」


 足から力を抜いて尋ねると、マックスが肩を竦める。


「《グローツラング》の連中は全員逃げちまったよ。そりゃそうだろ、頭の上からてめえんとこのボスの悲鳴が絶えず響いてくるんだぜ? 仕切る奴もいねえし、まあギャングの兵隊なんてこんなもんだろ」


 ……なるほど、知らないうちに主目的は達成していたようだ。


 俺は息をついて――仰向けになったままのヴィンセントの顔を覗き込むように屈み、素早く抜いたグロックをヴィンセントの左目に押しつける。


「お、おい――」


「頭蓋骨で弾丸を止めたんなら、眼孔から脳を撃ったらどうなるんだ? 口腔は? 骨なら治し続ければ弾丸の威力を殺せるかも知れないが、眼球で同じことができるか?」


「ひ――」


 ヴィンセントが右目を剥いてうわずった声を出す。


「なあ、《殺せない男アンキラブル》――俺は別にシリアルキラーってわけじゃない。殺さなくていいなら殺しなんてしたくないんだ。俺とあんたは尊重し合えるか?」


 俺の言葉に、ヴィンセントはガクガクと震えるように頷く。


「じゃあそうしよう。あんたは《モンティ家》と不可侵条約を結べ。後は今まで通り――自分の庭でどれだけはしゃごうが気にしないし、俺が気に入らないなら北区に遊びに来ればいい。ただし東区――《モンティ家》には手を出すな。いいな?」


「あ、ああ――わかった。約束する。金輪際、《モンティ家》には手をださねえ」


 俺はヴィンセントのその言葉を聞いて、銃を収めて立ち上がる。ヴィンセントは体を起こすと俺を睨みつけ、


「《色メガネフォーアイズ》――てめえに礼をするのは本当に条件にしなくていいのか?」


「そいつはあんたの自由を奪うことになるだろ。俺は今夜、あんたを殺さない。あんたは今後モンティ家に手を出さない。今日のところはそれでわかり合おう」


「……今夜味わった屈辱は忘れねえよ。いつか必ず礼をしてやる」


「好きにしろよ」


 告げると、ヴィンセントは唾を吐いて踵を返した。屋上の縁から飛び降り、この場から去って行く。


 それを見届けて――


「……おい兄弟、やっぱ今からでも追いかけて殺しておいた方がいいんじゃねえか?」


「最後まで下手に出なかったのはさすがだよなぁ。まああそこまで追い込んだんだ、しばらく俺たちには向かってこないだろ。《ロス・ファブリカ》の客を掴むために商売に精を出すだろうさ」


 そう答える。長い一日だった。起きてから――というか昨夜からずっと殴り合いか殺し合いをしていた気がする。


 しかし、まだ終わっていない。


 俺はアドリアーノに向き直り、


「――おい、あんたのボスの依頼は達成したぜ。今ならビーチェは見てない。昼間の続きをするか?」


 ベアトリーチェの命で彼女に代り《モンティ家》を取り仕切る黒スーツの男に告げる。


 アドリアーノは俺の予想とは違う答えを示した。


「――ベアトリーチェ様の頼みを聞いてくれたことには礼を言う。今夜の件は借りておこう。貴様との決着は必ずつけてやる――が、それは今じゃない。疲弊した貴様を倒したところで自慢にならん」


 言いながら、アドリアーノは懐から何かを取り出してそいつを俺に放った。受け取ったものは札束だった。


「……これは?」


「ベアトリーチェ様は現金の持ち合わせに余裕がないはずだ」


「額が多すぎる」


 羨ましそうに俺の手の中のそれを見るマックスを黙殺しつつそう言うと、


「……《モンティ家》の縄張りには本国を追われて俺たちを頼ってきた連中もいる。北区でマーケットを営んでいる連中のような者たちだ――そいつらの礼も含んでる」


「へぇ……」


 答えながら札束を投げ返す。


「悪いが依頼人でもない奴からの謝礼は受け取れない。ビーチェには飯でも奢ってもらうさ」


「嘘だろ兄弟――相当ハードな仕事だったぞ? 貰えるもんは貰っておこうぜ?」


「勝手についてきたくせに何言ってんだ。そもそもあんたはトラブルバスターじゃねえだろ? 金なら本業で稼げよ」


「オーゴッシュ――マジかよ兄弟。そんな慈善事業はイエス様だってしやしねえ」


「うるせえよ――街の修繕にだって金がかかるだろ? 誰が払うんだ? あんたらだろ――その金はそっちに回せよ」


 渋るマックスを押し退けてそう言うと、アドリアーノは返された札束を懐にしまい――


「――貴様の心意気に敬意を払い、次にやり合うときは先手を取らせてやる」


 そう言って踵を返した。


「負けた時の言い訳に丁度いいな?」


 その背中にそう声をかけるが、奴は振り返らずにそのまま立ち去る。


 ……そして、屋上には俺とマックスが残された。


「……ところで兄弟、こいつコウモリ男の死体は誰が片付けるんだ?」


「さあ? 《モンティ家》がやるだろ。そんなことよりそろそろ帰ろうぜ」


「ああ、腹が減っちまった――よう、ビーチェに《パンドラ》で奢ってもらおうぜ!」


「そうだな、それがいい」


「パンダマンがよ、マッカランのクリスタルデキャンタを仕入れたとか言ってたんだ。てめえの金じゃ呑めねえが奢りなら遠慮なく呑めるぜ」


「……それは勘弁してやれよ。じゃねえとアドリアーノが角生やして出てくるぞ」


 俺たちはそんな話をしながら、ベアトリーチェとキャミィが待つ《モンティ家》の隠れ家へと足を向けた。



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