第5章 激戦 ⑧

 それは十秒にも満たない長い時間だった。


 連中が引き金にかけた指に力を込める――それより早く、速く――マックスの首根っこを掴み、後ろ手にビルの屋上から投げ下ろす。


「おい、兄弟――」


 抗議の声が後から聞こえてきたが、あいつなら落下中に姿勢を整えて足から着地するだろう。取り合うだけ無駄だし――それに、そんな暇も無い。


 俺たちから見て左翼の五人がマックスのいた場所に、右翼の五人が俺に向けて発砲。俺の異能――《深淵を覗く瞳アイズ・オブ・ジ・アビス》は過去一ぐらいに冴えていた。連中が持つ短機関銃・MP7――その銃口から初弾が弾き出される瞬間を捉える。


 射線から逃れつつグロックを抜き、それをヴィンセントに向け引き金を引く。


 その間も足を止めることはできない。その途端に蜂の巣で、俺の体は血と肉に変わるだろう。まず三秒――連中の持つMP7は約三秒で四十発のマガジンを撃ち尽くす。


 マックスが退場したことで左翼の連中も俺に銃口を向ける。飛んでくる弾が倍になった。


 まだ一秒も経っていない――《深淵を覗く瞳アイズ・オブ・ジ・アビス》で遅延した世界は俺を擬似的に加速させるが、同時に恐怖と緊張を増大させる。体感時間が長くなる分、それを味わう時間が長くなるってわけだ。今日みたいに冴えてる日はなおさら――だが、それらを気力でねじ伏せる。


 ――俺の放った弾丸はヴィンセントに届かなかった。脇にいた男がヴィンセントを庇い、その身に弾丸を受ける。ならばと二度、三度と引き金を引くが、男はそれらを全て受けきった。


 回避行動を続けながら回り込み、射角を変えて追撃――今度はヴィンセントが逃れるように男の陰に隠れる。


 それならそれで都合がいい。ヴィンセントを庇う男――あいつはおそらく奴の側近だ。《グローツラング》のナンバー2で、かつて《セントルイスの悪夢》と呼ばれた男――キャミィからそう聞いている。場合によっちゃヴィンセントより厄介な相手だとも言っていた。ここで片付くならそれもアリだ。


 二秒経過。計算じゃあと半秒でMP7は弾切れ、弾倉の交換が必要だ。そこで一息つけるだろう。それまでは異能をフル活用――ブレーキは踏めない。


 そろそろ連中が俺の動きを呼んで射線を先回りさせてくるころだ。身を低くして反転――床を転がるようにして弾幕を回避、最後の半秒をやり過ごす。


 しかしそれで終わりではなかった。床を這うように熱波が肌を叩く。発火能力パイロキネシスの予兆――発生元は右翼の一人。


 ――馬鹿はどこにでもいるもんだ。


 爆発めいた轟音を伴って火柱が上がる。一瞬顔を歪めるヴィンセントが見えた。わざわざ遮蔽物を用意してくれたんだ、利用させてもらうことにする。


 火柱の火力は近づいただけで肌を焦がすほど、直撃なら人体を一瞬で炭にしそうなものに見えるが――魔眼を開いている俺に放射・放出系の異能はほぼ無効。予兆を察知してから回避が間に合う。


 バックステップで火柱を避け、その陰に隠れる。直前にアタリをつけていた標的に向けて発砲。くぐもった悲鳴が四つ。一発外したか――撃ち尽くしたマガジンを抜き、ポーチから取り出した予備のものと換える。


 火柱を放った発火能力者パイロキネシストも狙ったし、命中した――マガジン交換を終える頃には悲鳴と一緒に火柱がかき消える。


 四秒経過――屋上に束の間の静寂が訪れた。ヴィンセントの舌打ちがあたりに響く。


「……なんなんだ、おい。その動きは――《暴れん坊ランページ》を逃がした動きなんて目で追えなかったぞ」


「俺も驚いたよ、ヴィンセント――今ので殺ったつもりだった。俺の動きに反応するなんていい部下を持ってるな。けど――」


 自らの体を盾にして俺の射撃からヴィンセントを守った男が、声も出さずに床に崩れ落ちる。


「――もう庇ってくれないぜ」


「かもな」


 ヴィンセントが再び手を挙げる。部下たちはそれに応えようと弾倉を交換しようとし――


「全員動くな。こっちの弾倉は交換済みだ。動いた奴には穴が空くぞ」


 右手でグロックを見せながら告げる。部下たちの動きが止まるのを見て、俺は再度ヴィンセントに語りかけた。


「――ヴィンセント。今ならまだ尊重し合える。東区から《グローツラング》を撤退させてくれ。追撃はしない。あんたにも、あんたの部下にも」


 俺の言葉に、ヴィンセントは盾になって倒れた側近らしい部下をまたいで前に出る。


「動かないでくれ、ヴィンセント――イエスともノーとも聞いてない」


「……見込んだ通りすげえ奴だよ、お前。十人からサブマシンガンで狙われて、誰が無傷で生還――それどころか相手の半分近くを拳銃だけで仕留められる? 《色メガネフォーアイズ》――お前は俺が知る限り最もタフな殺し屋だ」


「黙れ――そんなことは聞いてない。イエスかノーで答えろ」


 照準をヴィンセントの額に合せる。すると奴はにやりと笑った。


「だからこそ、俺に与しないなら目障りなんてもんじゃない。《色メガネフォーアイズ》――お前はここで死んでいけ」


 ヴィンセントの言葉は俺の勧告をはね除けるものだった。それを聞いた俺はグロックの引き金を――


 ――引けなかった。屋上の床がせり上がり、俺の全身を叩く。


 違う。屋上の床はそのまま、俺の方が凄まじい勢いで床に倒れたのだ。


「――!?」


 何が起きたかわからず、それでも連中の銃撃に備えようと顔を上げる。目に入ったのは、俺を見下ろすヴィンセントと、屋上から去って行くヴィンセントの部下。


 そして――


「……こいつは加減って奴をできなくてな。俺を巻き込まないようにするのが精一杯だ。こうなると部下たちは役に立たなくなっちまうんでな。お前にこれ以上殺されても敵わないし、《暴れん坊ランページ》の方に回ってもらった」


 俺の疑問を察したらしいヴィンセントがひけらかす様に言う。そして、奴の背後から何かが空へと飛びだった。


「――お前の相手は俺たちだ」


 伏したまま空を見上げる。そこには気味の悪い化け物がいた。小刻みに揺れるように滞空するその姿は、生理的嫌悪感を抱くほど――


 俺の目に映ったのは、人間サイズのコウモリだった。



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