第3章 兆し ⑩
「ベアトリーチェ様はカデル様の望みをご存じですか?」
「さあ? もう何年も離れて暮らしていたから。とは言っても知っての通り隣の地区だけどね」
「……カデル様はここ数年、愛し方を間違えたと嘆いてらっしゃいました。奥方のことも、ベアトリーチェ様のことも」
アドリアーノは故人となったカデルのことを思い出しているのか、痛みを耐えるような表情で言う。
しかしベアトリーチェの反応はドライだった。
「でしょうね。母も私もあの家に自由はないと思っていた。常に目の届く距離に置かれて監視されてるみたいだった。余所と抗争の時だけよ、母と私が自由だったのは」
「あー……折り合いが悪かったってやつか?」
誰もが口にしないことを敢えて言う空気の読めなさがマックスの悪いところだが、役立つこともある。今みたいな時だ。
マックスの言葉にベアトリーチェは首を横に振る。
「――そんないいものじゃないわよ。言葉通り――母と私は何をするにも父の確認が必要で、父がノーと言えば庭に出ることさえできなかったわ」
「カデル様は愛娘のベアトリーチェ様が敵対組織に狙われることを怖れていたのです」
「あら、そう。それで監獄のような暮らしを私たちに強いていたのね。素敵。母が監視の隙を突いて逃げ出したのも頷けるわ」
「悪ぃこと聞いちまったか?」
「全然。母が出て行ったのは私がまだ小さいころで――当時は寂しかったし恨んだこともあるけど、今は父に逆らった勇気ある行動だと思っているし、私が置いていかれたのも他に選択肢がなかったからだとわかる。小さな私を連れての逃亡生活は絶対に無理がある。母にも、私にも――そして追ってくるのは《モンティ家》の刺客。母はきっと私は家にいた方が安全だと考えたんでしょうね」
「……俺は当時まだ組織にいませんでしたが、出て行った奥方を探すことはしなかったそうです。嫌になって出て行ったのなら、探さない方が奥方のためだろうと」
「……それを今聞かされても『だったら連れて行って欲しかった』としか思えないわよ」
アドリアーノの言葉にベアトリーチェは痛烈な言葉を返す。
「……そんな親父の家からよく出られたな?」
またしてもマックスが言う。ベアトリーチェは肩を竦め、
「何年か前に新顔の下っ端にコールガールだと思われて押し倒されたのよ。それで大人になった私を家に置いておくのも危ないと思ったみたい」
「うへぇ……んで、そいつはどうなった?」
「大西洋で魚の餌になったわ」
あっさりと言い放つベアトリーチェにマックスはさもありなんと肩を竦める。
「――……けどカデル・モンティが嫁と子供の愛し方を間違えたことに気付いたとして、それがビーチェに《モンティ家》を継がせることとどう関係するんだ?」
口を挟んだ俺にアドリアーノの鋭い視線が飛んでくる。ベアトリーチェが身振りで促すと、奴は俺ではなくあくまでベアトリーチェに、
「……カデル様はベアトリーチェ様ときちんとした親子関係を築きたいとおっしゃっていました。けどそれがとても難しいことだと理解されていました」
「それで私に後を継がせることで、あなたは父と私を
彼女の言葉にアドリアーノは頷く。
「今となってはカデル様の最期の望みとなってしまいました。俺はそれを叶えて差し上げたい」
「……そんなこと、今更言われてもね……」
馬鹿馬鹿しいと言った様子で吐き捨てるベアトリーチェ。そんな彼女にマックスが言葉をかける。
「まあそう言うなよ。このクソ面倒くせえ状況がちっとばかし片付いたろ」
「はぁ?」
「マックスの言うとおりだ。一つ片付いた。ビーチェはこの気取った吊り目が手前の価値観でしか自分に尽くさないと言ったがそれは違う。ビーチェのボスらしからぬ願いは無視してただけだ。だがそれが命令ならこいつはどんな犠牲を払っても実行するさ」
俺の言葉にアドリアーノは片眉をあげる――がそれだけだ。口を開かない。
「ビーチェは《モンティ家》をどうしたい?」
そう言うと、彼女ははっとして――そして、
「アドリアーノ」
「はい、ベアトリーチェ様」
「《モンティ家》のボスは私。それは受け入れる。けどそれを知るのはあなただけでいい――あなたは偽りのボスとして今内部分裂している《モンティ家》を一つにまとめて取り仕切って。できる?」
「……いくらか血が流れますが」
「ゼロにして――はさすがに無理よね。可能な限り抑えて。このままじゃギャングもカルテルも今晩には動き出すわ、夜までになんとかなる?」
「連中の説得のため、指輪をお預かりできれば」
答えるアドリアーノ。ベアトリーチェはポケットから指輪を――一見なんの変哲もなさそうなリングをだして――
「じゃあ組織をまとめなさい。命令よ」
「はっ」
ベアトリーチェが差し出したリングをアドリアーノは恭しく受け取り、自身の指に嵌める。
「では、俺はこれで――俺の信頼出来る筋でガードの人間を回しますので――」
「結構よ。アキラとマックスがいる――信頼できる人がいるなら協力して組織をまとめて」
「はっ」
頷いたアドリアーノは踵を返して足早に店を出て行った。俺たちはそれを見送って――
「ほらな。一つ片付いた。言った通りだろ?」
「裏社会デビューおめでとう、ビーチェ。《モンティ家》のボスとか普通に考えて怖すぎるから俺明日からあんたに敬語使うわ」
「ねえビーチェ。《ナポリの悪童》アドリアーノが
マックス、俺、キャミィに順にそう言われ、ベアトリーチェは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
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