第3章 兆し ④
「……昨日のガキか」
「あんた《モンティ家》の人間なんだって? なあ、《ナポリの悪童》さんよ……まさか東の人間が日も高えうちから北区のマーケットをうろついてるとは驚いたよ」
そこにいたのは昨夜拳を交えたアドリアーノだった。ベアトリーチェの姿はない。昨日は彼女の所に泊まって、その足でマーケットに訪れたってところか?
「ランチか? ブランチか? ビーチェの部屋からなら東区に帰った方が早かったろ――わざわざ奥のマーケットまでくるなんてな。
俺の言葉にアドリアーノの表情が険しくなる。
「……ふん、俺を見つけてわざわざやられにきたのか」
「こう見えて律儀なほうでな。できることなら借りは返しておきたいんだ」
「ちょ、アキラ――」
「おい兄弟、急にどうしたんだよ」
俺の後を追ってきたキャミィとマックスが現れ――そして俺の表情から察したらしい。
「! アドリアーノ――」
「――は、こいつが兄弟を世話してくれた奴か」
アドリアーノはキャミィに目もくれず、マックスに視線を向ける。
「……《
「なんだと――」
「考えなしの《マッスルヘッド》――いいお友達がいるんだな、程度が知れる」
「……もういっぺん言う度胸はあるか? ビーチェの知り合いでも容赦しねえぞ」
アドリアーノの言葉にマックスが額に青筋を浮かべる――が。
「マックス、世話になったのは俺だぜ。譲れよ」
「ちょ――ちょっとアキラ!」
俺の言葉に本気を感じたのか、キャミィが慌てた様子で俺の肩に手を置く。
「あなたちょっとおかしいわよ、いつもならケンカを売られてもそんなに本気にならないじゃない!」
「ケンカを売られただけじゃない――能力で仕掛けられて借りがあるんだ。退いたら舐められる。この街でそれは有り得ねえよ」
俺はキャミィの手をそっと外し、
「殺してやる、と言うつもりはねえよ。ビーチェの知り合いだしな――なあ兄さん、時間があるなら遊んでけよ。ケンカ賭博――聞いたことぐらいあるだろ?」
「ああ――《マッスルヘッド》が胴元だったな」
「ルールは知ってるか?」
「武器以外は何でもありなんだろ? たとえ相手を殺しても」
「加減してやるから心配するな」
アドリアーノが嘲笑を見せる。
「仲間の前で恥をかきたいらしい。付き合ってやる」
「だそうだ――マックス、仕切ってくれよ」
俺がそう言うと、マックスは逡巡し――そして声を張る。
「――おう! マックス様の出張ケンカ賭博だ! 賭けてえ奴は賭けろ! ただし賭けなかった奴は見物料取るからな! マーケットのヒーロー・《
マックスが慣れた口調で周りの連中を煽る。住民も慣れたもんでさっと動いて道を空け、即席の人垣のリングを作った。そして思い思いにアキラに百ドル、アドリアーノに二百ドルなどとベットする声をあげる。
「……昨夜は加減してやったんだ、尋問しようと思ってたからな」
「あっそう。それで? 口より先に手を動かせよ。それとも負けるのが怖くなってきたか? 謝るなら見逃してやってもいいぜ」
そう言うとアドリアーノは地面を蹴った。こっちから突っかけておいてなんだが、楽な相手じゃない――俺も最初から能力を使い、短期決戦で終わらせる。
魔眼を開く。視界に映る全てが遅滞する。
アドリアーノが拳を振りあげた。昨夜より冷静じゃないのか、丁寧さがない力任せの一撃だ。避けるのは容易い――が、それがおそらく奴の狙いだ。躱せば《
ぎりぎりまで――《
――ここだっ!
拳を躱した直後、奴の肘辺りから新たな腕が現れた。空間から腕だけが生えている――その初弾とは違う軌道で迫る拳を俺は《
「――!」
息を呑むアドリアーノ。俺はそのまま受け止めた拳を掴んで捻り上げようとしたが、その腕がふっと煙のように消えてしまう。
――ちっ、能力をオフにしたか。
受け止められたことで動揺したか、アドリアーノの追撃は初弾より鈍かった。俺は初撃の流れからプランを修正――アドリアーノの左拳を左手で手繰るようにいなし、《
「ぐっ――」
「顔色が変わったぜ。効くだろ、三日月蹴り――降参するならここで終わりにしてもいいぜ」
「――ほざけ」
アドリアーノは吐き捨てると歯を食いしばって間合いを詰めてきた。手は出してこない。掴みか、あるいはタックルか――そちらに警戒を移した瞬間、目の前に拳が現れる。
「――っ」
こういう使い方もできるのか――驚いて息を呑んでしまったが、魔眼を開いて加速状態にある今なら対処はできる。拳を折ってやるつもりで体重を乗せた頭突きを繰り出す。
――手応えはなかった。くそ、フェイントか――
迎撃のつもりの頭突きを空振って体が泳いでしまった。その一瞬の隙に軸足を取られ、そのまま地面に引きずり倒される。
アドリアーノはそのまま馬乗りになろうとするが、そう簡単にマウントを取らせてやるつもりはない。倒れながらジャケット越しに奴のベルトを掴み、強化された腕力と体の捻転で奴と俺の上下を入れ換える。
これでアドリアーノは地面に背を打ちつけ、そして俺は奴の腹の上というわけだ。
「ぐっ――」
息を詰まらせるアドリアーノ。それでも咄嗟に両腕で顔をガードしたのはさすがと言ってやっていい。だが問題ない。奴の手首をそれぞれ掴んで腕力にまかせてガードをこじ開ける。
下から睨みあげてくるアドリアーノ。そのがら空きの鼻っ柱に今度こそ頭突きを見舞ってやろうとして――
――予感がした。いつか荊棘にしてやったことが脳裏をよぎる。
勘で首を捻ると、宙空に腕が現れ俺の目を突いてきた。《
――便利な使い方をしやがって――
奴の手を解放し、体の上から飛び退く。
「マウントを放棄するなんて、日本人は随分親切なんだな。遠慮しなくていいんだぞ」
「……マウントとって不利だと思ったのは初めてだ」
立ち上がって嫌味を言うアドリアーノに吐き捨てる。
殺さない程度に痛めつけて借りを返してやろうと思っていたのに、押しちゃいるものの決め手にかける。
面倒な相手だ――俺は長期戦を覚悟して一旦魔眼を閉じた。
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