第3章 兆し ⑤

「アキラ! さっさとたたんじまえよ!」


 マックスの野次が飛ぶ。だったらあんたがやってみろってんだ。


 アドリアーノは強敵だった。認めざるを得ない――ほどほどに勝つのは非常に厳しい相手だ。


 致命打を撃てば話は別だがそうもいかない。目を潰すのも――奴はやってきたが――なしだ。ベアトリーチェに悪い。本格的に内臓を痛めるような仕掛けもだ。


 手か足を折ってやれれば楽なのだが《奇術師の手マノ・デル・マァゴ》のせいで立ち関節は狙えない。だから関節蹴りを狙っているのだが、互いに超越者――簡単にはやらせてくれず、結果お互い牽制打で痛めつけ合っているという始末だ。


 これじゃ借りを返したのか作っているのかわからない。


「なにしてんだ! ほら、いけ!」


 ……マックスを先にたたんでやろうか。そんなことを考えたところで遠くから耳障りな音が聞こえてきた。パトカーのサイレンだ。


「ちっ――誰が通報しやがった!」


 マックスが声を張り上げるが、勿論名乗り出るものはいない。


「くそ、解散しろ、お前ら――掛け金は後で返してやる! 誰がいくら賭けたか憶えてるからな、誤魔化さないで申告しろよ!」


 彼の言葉で即席のリングを作っていた人垣が散っていく。残ったのはマックスとキャミィ、それに俺とアドリアーノだ。


 ……締まらない結末だ。


 俺は構えを解いてアドリアーノに告げる。


「……行けよ。マフィアの人間が北区で警察に掴まったら面倒なことになる」


「……ふん」


 アドリアーノは血の混じった唾を吐き、


「続きはいずれ」


「ああ」


 頷いて返すと奴はその場から離れ、人混みの中に消えていく。


 それを見送るとマックスが寄ってきた。


「冴えなかったな、兄弟」


「バカ言え、相手が強かった。見てなかったのかよ」


「兄弟はなまじ目がいいから打撃を避けようとし過ぎなんだよ。喰らってこそ打開できることもあるぜ」


「……あんたくらい体が頑丈ならそれでもいいかもしれないけどよ」


 俺たちも逃げ出したいところだが、警察が出張ってきて空振りだと奴らも躍起になる。


「アキラ、大丈夫?」


「平気だ――あんたは隠れとけよ。奴らに見つかっても面倒だ」


 キャミィの言葉にそう返す。彼女は留まろうとしたが、肩を押してやると少し迷って裏路地の方へ駆けていった。


 しばらくするとサイレンの音が大きくなり――人気のなくなった通りで二台のパトカーが俺とマックスの前に停まった。


 中から制服を着崩した警官と、制服の中年が出てきて――


「――おかしいな、天下の往来で暴れている連中がいると通報があったんだが」


「ドクトル署長……」


 マックスがその小太りの中年を見て憎々しげに呟く。噂には聞いていたが、こいつがゲヘナシティの汚職警官の頭領、クリス・ドクトルか……


「そっちの小僧は怪我してるな。マックス、お前が小突きまわしたのか?」


「まさかだろ、署長――俺たちゃダチだぜ」


「ふん、じゃあこの小僧が噂の《色メガネフォーアイズ》か」


 署長は値踏みするように俺を睨めつけ、


「……おい小僧。オレたちはこの街の住人がどうなろうと知ったこっちゃねえ。けどな、通報されたら出張らなきゃならねえんだ。わかるか?」


「ああ、通報はシステムに記録が残るからな。それをなかったように改ざんする位なら出動した証拠を残したほうが手間がかからない。放置したって記録が残っちまえばいざってときに困るもんな」


「わかってんじゃねえか」


 署長がびたびたと俺の頬を叩く。ぶん殴ってやりたいところだが、署長の後ろで俺やマックスに銃を向ける不良警官の姿のせいで地蔵になるしかない。


「じゃあなんでオレたちに手間かけさせんだ? ああ? 死にてえのか?」


「まさか――ちょっとケンカしてただけだよ。署長に迷惑かけるつもりじゃなかったんだ」


「相手は?」


「サイレンの音で逃げちまったよ」


「――ちょっと署に遊びに来てみるか?」


「ホントだよ、勘弁してくれ。嘘じゃないって」


 言いながらポケットから財布を出し、渡す。署長は中から紙幣を抜いてそれを自分のポケットにねじ込み――


「わかりゃいいんだよ」


 ばしんと俺の頭を叩いて踵を返す。


「よし、《マッスルヘッド》を連行しろ」


「おいおい、勘弁しろよ――」


「またサンドバッグになりたいだろ?」


「ちっ――」


 マックスも同じように財布を渡した。署長は中を見てはその額に不満げに鼻を鳴らし――それでも納得したようだ。マックスに財布を返すと俺にしたように頭をはたいてパトカーに乗り込む。警官たちもそれに続き、パトカーが去って行く。


 マックスは帰ってきた財布の中身をみて――


「――くそ、五百ドル取られた」


「いいじゃねえか。俺なんて八百ドルだぞ」


 俺も自分の財布を確認して言う。


「良くねえよ! 昨日の飲み代でも五百ドル使ってんだぞ、有り得ねえだろ!」


「昨日の分は俺の仕事代だ、自業自得」


「ちっくしょう、誰だよタレ込んだのは! 見つけだしてぶっ殺してやる!」


 マックスが地団駄を踏むように地面を踏みつける。重い音と共にアスファルトに亀裂が入った。こりゃ相当怒ってるな。


「悪かったよ、巻き込んで」


「兄弟のせいじゃねえ、この街に同じ地区の住人を売った奴がいるのが許せねえんだ」


「……あのー」


 パトカーが立ち去った頃に路地から出てきたキャミィがマックスに声をかける。


「手を出さないって約束できるなら、誰が通報したか教えてあげてもいいけど」


「あん? もう見つけたのか? さすがキャミィ、仕事が早えな!」


「そういうのはいいから――で、どうする? 約束できる?」


「できるわけねえだろ。兄弟と合せて一千三百ドルもってかれたぞ、あの一瞬で! 冗談じゃねえ!」


 頭に血が昇っているマックスは気付かないようだが、キャミィにいくら知り合いが多いとは言えこんな風に庇う相手は僅かだ。見当はつく――状況的にも。


「大丈夫、マックスは手出さないよ」


「あらそう?」


「いいや、兄弟。止めても無駄だぜ。千三百ドル分はぶん殴る」


「そっか。それなら今度はマックスとケンカしなきゃならねえかな」


「――あん?」


 首を傾げるマックス。キャミィに早くしろと示してやると、彼女は肩を竦め――今自分が出てきた路地に向かって手招きする。


 それに応えて路地からおずおずと出てきたのは――予想通りベアトリーチェだった。

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