第1章 ゲヘナシティ ④

「勇ましさとは裏腹に一瞬で勝負がついたわね」


「そもそも勝負がフェアじゃねえよ。アーケードで暴れるほど飲んで、ここでも相当飲んでたんだ。これで飲み比べにのってくるような飲兵衛に勝てるわけがない」


 飲み比べを始めて早々に潰れてカウンターでいびきをかき始めたマックス。その惨状を眺めてキャミィと俺は言葉を交わした。


「リチャード、お代わり」


 ラビィの方はと言えば、変わらないペースでズブロッカを飲み続けている。


「ま、勝負をしかけたマックスが悪いっちゃ悪いんだけどよ」


 そのラビィに声をかける。


「うん?」


「こいつにその気があったら、お互い素面の時にもう一回勝負してやれよ。さすがにハンデがキツすぎる」


「私は構わないけど――」


 ラビィは酔い潰れたマックスを見て、


「アキラ、あなたが彼の仇を討つって手もあるわよ?」


 蠱惑的に微笑んでそんなことを言う。


 俺がそれに何か言ってやるその前に、キャミィの方が素早く言った。


「あんた、発情しすぎじゃない? これが見えないわけ?」


 言って俺の左手を――正しくは左手首を指し示す。


「――あら、素敵なチェーンね。女物―――いい人にもらったのかしら」


「アキラは故郷に置いてきた女に操立ててるんだから。あんたみたいな雌猫相手にするわけないじゃない」


「……や、別にそういうわけじゃ」


「なんで上手いことかわしてあげてんのに当のあなたが混ぜっ返すのよ!」


「だってホントのことだし。俺が黙ってたってマックスかリチャードがバラすだろ」


 言いながら顔を上げると、リチャードが意地悪そうにニヤリと笑った。リチャードがこの街で経営する店はこの《パンドラ》だけじゃない。このメインストリートの一本裏でストリップクラブも営んでいて、そしてここはゲヘナシティ。他の街じゃばっちり違法なサービスも提供していて……過去に何度か世話になったことがある。勿論マックスもだ。


「でもまあ俺がラビィに飲み比べを挑むことはないな。酒は飲まない主義だし、ツレが入れ込んでる女にわざわざ手出そうとは思わねえよ」


「残念――アキラになら負けてあげてもよかったのに」


「言ってろ」


 挑発するラビィに吐き捨てて、キャミィの方に向き直る。


「――で、何の話してたんだっけ?」


「東区のマフィア連中が秘密のパーティを開催しているかもしれない、って話」


「ああ、そうだった」


 俺は二杯目のメロンクリームソーダに口をつけながら、


「トップ連中は慎重でも、下っ端は肩で風切って歩くのがこの街の組織だろ。そんで一回ケンカになっちまったら騒ぎはどんどんでかくなる。治療屋が忙しくしてるってんならどっかでドンパチしてるんじゃないか? ま、いつものことさ。そのうち収まるだろ」


「アキラはトラブルバスターでしょ? あなたのところに手を貸してくれって依頼はないの?」


 尋ねてきたのはラビィだ。確かめるまでもない――キャミィは俺がその手の仕事は引き受けないことを知っているから。


「俺は基本的に組織同士の抗争の助っ人はしないの。命がいくつあっても足りない。負けりゃあ明日がやってこないし、勝っても負けた組織の連中に恨まれる。ま、抗争になる前の下っ端同士のケンカの仲裁ぐらいならするけど」


 俺がラビィにそう言うのと同時に、にわかにホールが騒がしくなった。振り返ると、中央付近のテーブルと西側のテーブルの連中が何やら言い争いをしている。


「……アキラ、その下っ端同士のケンカみたいだぜ」


 リチャードがグラスを磨きながら渋い顔で言う。


「……みたいだな」


「止めてこい」


「なんで俺が」


「するんだろ。仲裁」


「仕事ならな。下っ端って言ったってこの街の悪党だ、よその街なら顔役か――じゃなけりゃ街を恐怖に陥れるヴィランみたいな連中だ。望んで関わり合いになりたくねえよ」


「じゃあ仕事だ。ウチの店で暴れられたらたまんねえ」


「報酬は?」


「今日の飯代タダにしてやる」


「まさかだろ? 今日はマックスの奢りだ――俺に得がない」


 言ってやると、リチャードは面倒そうに肩を竦めた。


「ああ、わかった――裏の店ストリップクラブの素敵なサービスに一回無料でご招待。これでどうだ?」


「……悪くない」


 商談は成立だ。頷いて立ち上がると、隣のキャミィが盛大な溜息をつく。


「……だらしない。マックスじゃないんだから」


「なんとでも言ってくれ」


 俺だって男なんだよ。


 キャミィにそう告げて、俺は言い争いをしているテーブルに向かう。少し近づくと、連中の一触即発と言った様子が覗えた。


「頭ん中までチリソースが詰まってんじゃねえか? かち割って確認してやろうか、ああ?」


「てめえらこそ腐った大麻が頭にキてんじゃねえのか? 注射してやろうか? ウチが作ってるヘロインをたっぷりとよ」


 ……おっかねえこと言い合ってんなぁ。


 ともかく――俺は言い合いをしているアメリカンギャングと麻薬カルテルの間に割って入る。


「……あー、盛り上がってるトコ悪いけど、あんたら新顔って訳じゃねえだろ? この街のルールはわかってるよな? メインストリートは絶対中立。ケンカは御法度だ――それにこの《パンドラ》はあんたらも知っての通りこの街の最高級店だぜ。あんたらみたいな強面が青筋立てて言い合ってたら他のお客さんがブルっちまう」


 俺がそう言うと、言い争っていた連中を面白おかしく眺めていた連中から笑いが起きる。


「ちっ、《色メガネフォーアイズ》――」


 争っていた連中の誰かがごちる。この国じゃフォーアイズは一般的にはメガネをかけた人って意味だが、この街で《色メガネフォーアイズ》と言えば魔眼――聖痕スティグマを隠すためにオレンジ系のサングラスを常用している俺のあだ名だ。


「おいトラブルバスター、そのアメリカンギャングどもをぶち殺してやれ。報酬はウチで作ってるヘロインだ。その目障りな連中を消してくれりゃあいくらでもくれてやる」


「いるかバカ。麻薬なんてやるもんじゃねえ、売るもんだ。どうせ勝手に捌いたらあんたらが黙ってないんだろ?」


「よう《色メガネフォーアイズ》、その密入国者どもを北大西洋に浮かべてやれ。フォードでもキャデラックでも好きなもん回してやるぞ」


「いらねえよ。わっかんねえかな。どっちの味方もするつもりはねえよ」


「どっちの味方もしねえなら――」


 キャップを被ったギャングの一人が立ち上がり――店の空気が一変した。そいつは銃を抜いて俺に突きつける。


「――つまり無関係ってこったな? だったら失せろ。お呼びじゃねえよ、クソ日本人ファッキンジャップ


「そうだな、邪魔でしかねえ。失せろ《色メガネフォーアイズ》。俺はお前が大嫌いだ」


 そのギャングにナメられちゃならないとでも思ったのか、カルテルの一人も立ち上がって俺に銃を向けた。



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