第1章 ゲヘナシティ ①

「だから今度来るときまでにメロンソーダ仕入れてくれよって毎回言ってるだろ? バニラアイスはあるんだからそれでメロンクリームソーダ作れるじゃんよ」


「そんなもんメニューに加えてたってこの街じゃ売れねえよ。わざわざそんな面倒なことして上がりがねえんじゃやってらんねえ」


 俺たちはメインストリートに面したバー《パンドラ》に移動し――そして俺はその店主、リチャードとカウンターを挟んで口論していた。


「俺が頼むよ。ちょっとぐらい割高でもいいっつってんだろ、客の注文に応えろよ」


「うるせえな、コーラにサービスでアイス乗せてやってんだろが」


 言いながら口髭を蓄えたマスターが、黒いサイダーにアイスクリームを乗せたグラスを俺の前に置く。


「これは断じてメロンクリームソーダじゃない。コーラフロートだ」


「大して変わんねえだろ」


「全然違えよ!」


「いらねえならいいよ――キャミィ、アキラがいらねえっつうんだ。飲むか?」


 リチャードはそのグラスを俺の前からキャミィの前につつっとずらす。


「いらねえとは言ってねえよ!」


 俺はそのグラスを手元に手繰る。


「……ここ、バーよ? そんな子供の飲み物じゃなくてお酒を飲んだら?」


 琥珀色の液体が注がれたグラスを傾け、キャミィ。グラスの中のクラッシュアイスがからんと鳴る。


「俺はアルコールの類いは飲まないの。未成年だぞ?」


「この街でそんなこと気にするのはあなたくらいよ」


「……なぁ」


 酒を飲めと言ってくるキャミィに言い返し、コーラフロートに口をつける。こいつもまあ嫌いじゃないが、メロンソーダとコーラじゃ趣ってやつが違う。あのメロン果汁なんて一%だって入っちゃいないくせに色だけでメロンを名乗る図々しい色つきサイダーにバニラアイスを溶かして飲むのが至高なのだ。


「……ほら、ハンバーガーだ」


 続いてリチャードが日本のチェーン店じゃ考えられないキングサイズのハンバーガーが乗った皿を俺の前に置く。


「せっかくなんだしもっといいもの頼みなさいよ」


「おい待てキャミィ。ウチのハンバーガーにケチつけようってか? 言っておくがこの街でウチより上等なバンズを出す店はねえぞ? パティだってちゃんと賞味期限前の挽肉を俺がこねて焼いてんだからな?」


「はいはい。名物が下手くそなカクテルシェイクだけじゃなくて良かったわね。バーテン辞めてシェフになったら?」


「そうしてえところだが、この街にお上品に飯だけ食って帰る客はいねえんだよ」


「……なぁ」


「ほらよ、Tボーンステーキだ」


 今度はキャミィの前にでかい皿が置かれる。湯気の立つTボーンステーキは香ばしい匂いを放ち、強烈に食欲を刺激してくる。腹を空かせたキャミィにはたまらないだろう。


「わぁ! 美味しそう!」


 顔の横で手を組んで感激のポーズを取るキャミィ。


「なぁって!」


「さっきからうるせえよマックス。なんなんだ、ゴキブリでもいたか? 衛生局にタレ込んでやれよ」


 キャミィと逆隣で喚くマックスに言ってやると、彼は隆々とした肩をいからせて、


「違えよそうじゃねえ。俺の金でアキラが飯を食う――まあいいだろう。確かに俺はキャミィに俺が暴れたらアキラを呼んでくれと伝えてあった。けどキャミィの分まで俺が奢ってやる必要ってあるか?」


「んじゃ俺も奢ってくれなくていい。キャミィには俺が奢るさ――その代りマックス、お前は俺にきっちり仕事代払えよ? 二千ドル――いや、友達価格で千五百にまけといてやる」


「おいおい兄弟――千五百ドルはちっとばかし多すぎねえか?」


「前にポリスにしょっ引かれたときはいくら強請られたんだよ」


「三千ドル……」


「半値だぜ? 安いもんじゃねえか」


「オッケーわかった。アキラもキャミィも今日は好きなだけ飲み食いしてくれ」


「ホント? リチャードパンダマン、私グリルロブスターとエッグベネディクト追加で! あとチキンスープも!」


「その呼び方は止めろ――アキラは?」


「俺は取りあえずいいや。どうせキャミィも頼んだもん全部食えねえだろ。残したら悪いしそいつをつつくよ――マックス、お前は?」


「……クソ、こうなりゃ自棄だ。ビーフジャーキーとスシロール、あとラムをロックだ」


「毎度」


 リチャードがにやりと口角を上げる。対してマックスは肩を落としていた。


「まあまあ。キャミィがどんだけ飲んでも五百ドルもありゃ釣りがでるさ。まともに俺に仕事料払うより安上がりだぜ」


「兄弟の気遣いがありがたくって涙がでるよ」


 頼むや否やさっと出てきたジャーキーをかじり、マックスはそんなことを言う。


「……そういやどうしてリチャードがパンダマンなんだ?」


 一心不乱にジャーキーをかじり始めたマックスは気が済むまで放って置くことにして、気になっていた呼び名をキャミィに尋ねる。以前からチラチラ聞く呼び名だが、考えてみれば尋ねたことがない。


 しかし答えたのはそう呼ばれたリチャード本人だった。己の目元を指して――


「この隈がパンダみたいだっつってこのバカが言い出してな。こいつ顔広いだろ? 今じゃみんなに知れ渡って面白がってそう呼びやがる」


 嘆息してリチャードは店内を見回した。釣られて俺も振り返る。


 カウンター席は十脚ほど――他にもホールにはテーブル席がいくつもある。実はこのテーブル席大まかにどこに誰が座るか決まっている。ホールの西側が西区の連中、東側が東区、真ん中が南区で、店の北側に位置するカウンター席が俺たち北区の人間が座る。


 しかしそんな住み分けを気にしない連中もいる。市警の連中だ。奴らは空いている席があればどこでも座るし、さすがにこの街の連中も奴らの近くでわざわざ飲み食いしようとは思わない。連中が客として訪れているときは大抵の奴は何も頼まずに引き返す。今日は客の入りがいい――つまり市警の連中はいないということだ。


「……可愛い呼び名でいいじゃねえの。あんたの厳めしさが薄れてちっとは愛想がよくなるんじゃないか? リチャード――あんたの顔は客商売に向いてねえよ」


「やかましい。それに愛想そいつアイラウェイトレスに任せてるんだ」


 ぶっきらぼうに言うリチャード。丁度他の客から注文を取ってきたウェイトレスのアイラが戻り、跳ね上げ式のテーブルを潜ってカウンターに戻ってきた。キャミィと同じブロンドのセクシーな女性だ。


 タンクトップにミニスカートという扇情的な姿の彼女は、俺と目が合うとごく自然な仕草でウィンクを送ってくる。


「どうやらアキラ、気に入られてるな。今度ウチの定休日にでも誘ってやれよ」


「彼女にファンが多いのは俺も知ってる。恨みを買いたくない」


 彼女にも聞こえるように言ってやると、アイラは口を尖らせて拗ねたような表情をしながらリチャードに取ってきた注文を告げていた。


「パンダマン、おしゃべりもいいけどさっさと注文した料理出してよ」


「うるせえな、ちゃんと手も動かしてるだろうが」


「早くぅ。お肉なくなっちゃうよ」


「そしたら骨でもしゃぶってろ、くそったれ」


「酷いなぁ。ねえアキラ、客に暴言吐くマスターをちょっと懲らしめてやってよ」


 リチャードに一括されたキャミィが、彼女にしては珍しく甘えた声を出してくる。


「なんだ、もう酔ってるのか? 他にも客はいるんだしリチャードの料理が遅えのはいつものことだろ、気長に待てよ」


「仕方ねえだろ、俺一人で料理してんだ。手が足りねえんだよ」


「んじゃスタッフ雇えよ」


「そしたら儲けが出ねえんだよ! まったくこの街のクズどもときたら普通の値段に高い高い言いやがって」


 ぼやくリチャード。彼が切り盛りするこのバー《パンドラ》はよその街の似たような店と比べたら安い方だと言える。しかしこのゲヘナシティの飲食店の平均を遙かに超える価格設定だ。値段だけで言えば最高級店と言える。


 それでも店が繁盛しているのは、この街で唯一とも言えるまともな飲食店だからだ。パンの類いにカビが生えてるのを見たことがないし、酒のボトルを水で薄めてかさ増ししているなんて話も聞いたことがない。賞味期限が切れた食材を使っているという話も。


 逆に言えば、他はそんなことをしているような店ばかりだ。この店が最高級店・・・・でも毎日繁盛している理由はここにある。


「それでもあんたがこうして店を出してくれるのは助かってるよ。俺たちみたいなクズでも、こうしてまともな飯にありつける」


「まともとはなんだ、ええ? めちゃめちゃ美味しい飯だと言えよ」


 そう言いながらリチャードがマックスの前にプレートを置く。それを見て、俺は――


「――こんな創作料理を寿司だと言って客に出す店を褒めたくないな。言っとくが、これは断じて寿司じゃない」


 そこには謎の食材を米で巻き、更にケバケバしい色の何かでデコレーションした何かが乗っていた。


「そうか、アキラはジャパニーズだったな。俺も一つ教えてやる――スシロールは和食じゃない、アメリカ料理だ。見ろ」


 リチャードはそう言ってマックスを示す。


「やっぱ日本はクールだよな、たいして美味くねえライスやよくわかんねえ海藻シーウィードをこんなご馳走に変えちまうんだからよ!」


 マックスは美味そうにその俺の目にはゲテモノに映るスシロールを頬張っていた。アメリカ人の味覚をとやかく言うつもりは断じてない。ないが――生クリームを青や紫にする国の奴はひと味違うな……


「客が喜んでるんだからこれでいいんだ」


「……カレーライスもラーメンも今や和食だしな。スシロールもアメリカ料理ってことか」


 リチャードの言い分に納得していると、マックスは――


「なんだ、アキラ。お前もスシロールが食いたいのか? お前の国の料理だもんな。いいぜ、食えよ」


 そう言ってスシロールの皿を俺の方へずいっと押し出す。


「いや、お前の好物だろ。腹一杯食ってくれ」


「そうか? まあお前も食べたくなったら注文しろよ!」


「おう、サンキューな……」


 いい笑顔でサムズアップするマックスに、俺はそう答えることしかできなかった。




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