第二話 エピローグ① 山田中、改め

 俺が山田アタルからアキラに名を改め、およそ一年が経った。


 あの日のうちに日本を出た俺はフィリピンに渡り、数ヶ月をそこで過ごして――今はアメリカのとある犯罪都市に腰を据えている。


 住処はボロアパートだ。電気と水があればいい――と思ったのが、その水が飲めたもんじゃない。なので飲料水は近くの自販機で買わなければいけないのだが、これがまあボロくって温い水しか買えない。あらかじめ買っておいて自室で冷やさなければいけないのだが、その自室は鍵が壊れている。週に一度は冷やしておいた水を盗まれるし、貴重品は置いておけない――そんなアパートだ。


 そのアパートの自室、くたびれたソファで暇を持て余していると、


「――アキラ!」


 来客。鍵が壊れているので勝手に入ってくる。それはまあいいのだが――


「勝手に入るなとは言わないから、せめてノックをしろよ」


「ノックすると入るなって言うじゃん」


「今日はオフだぜ――俺は静かに暮らしたいんだ」


「散々世話してあげたでしょ?」


 闖入者はキャミィと名乗る金髪女ブロンドで、精神感応テレパシーの異能を持つ能力者だ。この国で言葉を覚えるまでは何かと世話になったので、そんな風に言われると俺としては強く言えない。


「……なんの用だよ。またどこぞの誰かに金髪馬鹿女bimboとでも言われたか? 放っておけよ、あんたが優しい女だってのは知ってる奴だけ知ってればいい」


「ありがと――今日は違うの。ストリートでマックスの奴が酔っ払って暴れててさ。あいつが暴れたら大人しく寝かしつけられるのはアキラぐらいしかいないでしょ?」


「またあいつかよ。放っておけ――俺はトラブルバスターだ。あいつの子守をして一体誰が俺に報酬をくれるんだ? まず依頼人を連れてきな」


 俺はこの街でトラブルバスターとして生計を立てている。いわゆる何でも屋――夏姫との経験を活かした仕事だ。異能犯罪者がそこら中にいる街だし、中には非合法な仕事もあるが、基本的には命をかけるような仕事はあまりない。


「ところが依頼人がいるのよ、アキラ」


「は? どこのだれが自分が得しねえことに金を払ってくれるんだ?」


「依頼人はマックス本人よ――前に暴れたときもアキラはそう言って放っておいたでしょ? 警察に捕まって酷い目に遭ったんだってさ。それでまた酔っ払って暴れた時はなんとしても止めてくれって言われてるの。警察にいいようにボコられて賄賂を強要されるくらいなら、アキラに寝かしつけてもらって報酬払った方がいいってさ」


 この街は警察が腐ってる。誰も彼もマフィアなど犯罪組織から受け取る賄賂で左うちわだ、働く必要がない。住民の異能犯罪者たちの方がモラルが高いぐらいだ。奴らが働くのは拘留した犯人を非合法に痛めつけて憂さ晴らしをしたいときだけなんて話もある。


 マックスの奴はその標的にされたってわけか。


「……酒を止めるって選択肢がねえのか、あいつは」


「アキラなら怪我をさせずに止められるでしょ? マックスはそれをアテにしてんのよ」


「まったく――仕方ねえ奴だな」


 呟いて、起き上がる。


「やる気になった?」


「……なんであんたが嬉しそうなんだよ」


「……実は二、三日禄に食べてなくてさ。仕事持ってきたから、ちょっと奢って欲しいな、なんて」


「……また右も左もわかんねえ新顔を世話してやったのか? 俺んときみたいに」


「……えへ」


「あんたもホント仕方ねえな……着いて来いよ。マックスの財布、空にしてやろうぜ」


「やった! アキラ、愛してる!」


「そういうことを軽々しく言うから金髪馬鹿女bimboとか雌犬bitchとか言われんだよ」


 壁に掛けてあったパーカーを羽織る。部屋を出る前にバックサイドホルスターとナイフを装備し――グローブは夏姫にくれてやってからごく普通のコンバットグローブを用意した。あれほど高性能なものは中々市場に出回らない。


 そのグローブを着けていると、キャミィはその俺を見ていった。


「そのブレスチェーン――前から思ってたんだけど、女物じゃない?」


「ああ、そうだよ」


「どうしたの、それ」


「世界一可愛い女が寝てるときにそいつから盗んできた」


「うわぁ……」


 キャミィの顔が歪む。


「私が言うことじゃないかもだけどさぁ、そういうつまんない盗みはやめなよ」


「大丈夫。代わりに使い古しのバトルグローブ置いてきたから」


「全然大丈夫じゃないよ、それ」


「うるせえな、大丈夫なんだよ」


「昔の女ってやつ?」


「だからうるせえよ」


 最後にサングラスをかける。オレンジ系のグラスで、俺が魔眼を開いても聖痕スティグマがバレない特別製だ。フィリピンで入手した。


 そうそう魔眼を開くような生活はしていないが、万が一の時には役に立つ。俺の名前がこんなところにまで知られているとは思わない。金色に目が光る東洋人がいるという噂が立ち、それが荊棘おどろの耳に入る――そんな事態を防ぐためだ。


「――で、マックスのアホはストリートのどこだって?」


「北側のアーケードだよ。行きましょ」


「ああ」


 話しながら表に出る。


 陽はとっくに落ちて、空は暗い。夏姫もいない。




 それでも――俺はどうにか生きている。この街で。



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