第5章 隻眼の魔女 ⑥

 このまま俺が帰らなかった夏姫は泣くだろうか。


 泣く。間違いない。もういい年なのに泣き虫だからな、夏姫は……


 夏姫、夏姫――……




 ――こんな別れ方で泣かせてたまるか!




 意識が戻る。


「――ぶふっ!」


「――!?」


 口に溜まっていた血を荊棘おどろに向かって吹きつけた。嫌がった荊棘おどろは拳を止めて顔を覆う。


 その隙になんとか身を捩って背中と床の間に隙間を作る。即座にバーでは結局出番のなかったスペツナズナイフを抜き、荊棘おどろの顔に向けて構えた。


「……弾道ナイフそれ、バーで使わなかったんだ?」


「出番がなくてな。この体勢じゃグロックは抜けないし、こいつが最後の武器って訳だ」


 言いながらレバーに指をかける。


「だからってそんなもの抜かれてもね……片目でも避けられるよ。わかってるでしょ?」


 俺たち能力者はトリガータイミングを見て銃弾を躱せるのだ。スペツナズナイフが躱せない道理はない。


「じゃあちゃんと避けてくれよな」


 言って俺は――魔眼を開きながらレバーを押し込んだ。


 バーでだいぶ魔眼を使った。ダメージも酷い。おそらくこれで魔眼は打ち止めだ。ここで確実に決める!


 スプリングに弾かれたブレードが聖痕スティグマの赤目を穿たんと超速で放たれる。しかし荊棘おどろはタイミングを見切って首を捻った。耳を掠めて飛んでいくブレード。荊棘おどろの口元が大きく笑みの形になる。


 ――勝った!


 俺はナイフの柄を捨てて荊棘おどろが首を捻ってできた空間に手を伸ばす。そこにあるのは、放たれて――そして的を外したブレードだ。発射して的を外したブレードを掴み・・・・・・・・・・・・・・・・、それを荊棘おどろの右肩に突き立てる。


「――!?」


 痛みでも怒りでもない、驚愕の表情を見せる荊棘おどろ。しかしまだだ、鎖骨を折った感触はあったが、こんなものじゃ荊棘おどろはきっと止まらない。


 先と同じように肩を浮かせ、逆の手で拳を振り回す。先と同じ攻撃だが、今度は魔眼を開いている。速さも強さも一回り上――右フックは荊棘おどろに躱す暇を与えず顎を撃ち抜く。


「―――――」


 渾身の一撃。奴の赤目が黒目に戻り、その全身から力が抜けた。その体を押し退けて荊棘おどろの下から抜け出す。


 荊棘おどろはどさりと床に倒れ――


「ぎゃあっ!」


 自身の腕を下敷きにしたせいで砕けた肋骨が圧迫されたらしい。それが気付けになって荊棘おどろが意識を取り戻す。


 ……しかし構図はもう変わっている。床でのたうち回る荊棘おどろと、それを見下ろす俺――そういう図式に。


「はぁっ……はぁっ……」


 アドレナリンが切れたのか荊棘おどろが痛みに喘ぐ。序盤の回し蹴り――あの一撃で荊棘おどろの右側の肋骨は悲惨なことになっていたはずだ。その状態であれだけ動き回れば内臓も傷めているだろう。


 そうじゃなくても殺してもいいつもりでボディを打ち下ろしている。胃が傷ついているのか、もしくは折れた肋骨が肺に届いたか――喘ぐ荊棘おどろの口元には血が煙っていた。


 ……疲れた。特に顔と後頭部が痛い。


 それでも、自分の足で夏姫の所へ行かなければ。


「……さすがにもう動けないだろ。俺の勝ちでいいな?」


 尋ねると、荊棘おどろは伏したまま上目遣いで――


「……普通、発射したブレードを自分で掴む?」


「面白いものを見せてやるって言ったろ? 楽しめたか?」


 言ってやると、荊棘おどろは笑った。


「最高にクールだったよ。人間業じゃない……時間を止めるのは蛇じゃなくて君だったんじゃないか」


「俺にそんな大層なことはできねえよ。せいぜいちょっと加速するぐらいなもんだ」


「化け物か、君は……私が勝てないわけだ」


 荊棘おどろはそんな風に呟く。


「……殺しなよ。勝者の特権だ。それとも体の方が好みかい? どっちでもいいさ、好きにすればいい」


「負けを認めるんだな?」


「……この様じゃね……約束通り、今後天龍寺夏姫には一切関わらない。尤も、そんな誓いは意味がないだろうけど」


 ここで死ぬんだからね、と荊棘おどろ。俺はそれにノーと告げる。


「いいや? 約束の確認は大事だろ。取引には嘘を吐かないんだよな? ちゃんと守れよ」


 そして、踵を返す。そのまま帰路につこうとすると、背中に荊棘おどろの声がかかった。


「……ねえ、嘘でしょ……とどめを刺さないつもり?」


「……公安を殺すほどの度胸はねえんだよ」


 ――とは言え、荊棘おどろをここまで痛めつけたのだ。公安に追われる身になったことには変わりないが。


「あんたならまあその怪我でも死なねえだろ。仲間に連絡して助けてもらえよ」


「……後悔するよ?」


「実はもう結構してる」


「じゃあ――」


 荊棘おどろの言葉を黙殺して歩き出す。撃たれた腿が痛む――奴の能力が解けたせいで止血もほどけ血が出ているが、事務所までは保つだろう。


 そのまま去ろうとするが再び背中に声がかかった。


「――……アタルくん、君は私が必ず殺す」


「……あんたの顔はもう二度と見たくないな」


 俺は振り返らずにそう答え――そして屋上を後にした。


 まだもう一仕事残っている。他の公安の目に留まらず、夏姫の待つ事務所に戻らなければならない。


 血だらけで、顔も腫らしてる――この状態じゃ中々キツい仕事だが、それでも荊棘おどろと一戦交えたことを考えたら些細なことだ。



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