第5章 隻眼の魔女 ⑤

 その隙を見逃すような奴じゃない――荊棘おどろは弾けるように駆け出して俺の腹に飛び乗った。マウントポジションという奴だ。


「――束になっていれば見切れても、一本ずつじゃ無理だったみたいだね?」


 荊棘おどろは俺の腹の上で嬉しそうに宙空をつまんで見せた。目を凝らすと両手に一本ずつ――奴の後頭部辺りから髪が伸びている。その左右一本ずつの髪は俺の足の方に伸びているようだ。


 くそ、やられた――


「先に束で見せたから油断しちゃったかな? 髪を操る異能さ、一本ずつだって操れる。こんなに細くても能力を使っているときは鋼線ぐらいの強度になるんだよ。足を掬うことぐらいできるんだぁ」


 荊棘おどろが滴る血を舐める。そして拳を振り上げて――


 目が眩む。鼻の奥が痺れ、後頭部がコンクリートに打ち付けられる。


「あはぁ」


 無邪気な子供の様に笑う荊棘おどろ


「いいよ、アタルくん――すごくいい!」


 二度、三度と拳を振り下ろされる。その度に顔が、後頭部が、激しく痛む。


 ――このままやられ続けれるのはまずい。そう思って足を使ってマウントを返そうとするが――


「だぁめ。大人しくしててね」


 後ろ手に拳銃を抜いた荊棘おどろが俺の腿に銃口を押しつけて引き金を引いた。焼けた火かき棒をねじ込まれた様な痛みに体が跳ねる。


「~~~~っ!」


「――おっと、動脈が傷ついちゃったかな? 失血死なんて許さないよ?」


 言って荊棘おどろが髪を弄る。しゅるりしゅるりと数本の髪が伸びて俺の足に巻き付いた。どうやら止血をしたらしい。


 そして荊棘おどろは俺の顔を両手で掴み、額がこすれそうなほど顔を寄せて囁く。


「君の顔を殴ればどれだけ気持ちいいか夕べからずっと想像してた――想像以上だよ。最高だ。一発殴る度に全身を雷が駆け巡るような――そんな悦びを感じる。これほどとは思わなかった! ああ、アタルくん……なるべく長く愉しみたいから、なるべく長く保ってね?」


「……あんた、今まで何人殺ってきたんだ?」


「さあ? 両手じゃ足りないのは確かだけど」


「……そりゃあ異能犯罪者俺たちの噂になるわけだ」


「うふ」


 微笑、からの殴打。俺も無防備じゃない。ガードをあげ、またチャンスがあれば拳を掴んで止めてやろうと苦心しているが、荊棘おどろは絶妙な力加減で俺のガードを掻い潜り、拳打を落としてくる。


「――くっ、立ち技より上手いじゃんよ」


「でしょ? マウントとって仕留めきれなかったことはないんだぁ」


「あんた、罵っても喜ぶだろ? どうやったら怒らせられるんだ?」


「……さあね? そんなことを考えているの? 随分と余裕があるみたいで嬉しいよ」


「残念なことに言葉責めぐらいしかできそうにないんでな」


 本当に――それぐらいしかできる状態じゃない。他にできる事と言えば、首に力を入れて少しでも拳打の威力に耐えることぐらいだ。


「だったらやってみなよ。君を殴るのが愉しくなるだけだと思うけど」


 それでも無抵抗というわけにもいかない。俺はやぶれかぶれに、


「――いい加減黙れ、ブス。てめえ性格暗いんだよ。世間様に迷惑だから引きこもってろ」


 そう告げると――荊棘おどろの動きが一瞬止まった。


 ……は?


「……まさかだろ? 変態とか異常者とか言われて喜ぶくせに、こんな言葉で傷つくわけ?」


「――五月蠅い!」


「どっちだ? ブス? それとも性格暗い? いや、あんた容姿に自信ありげだったもんな、ブスの方か。不細工とか言われると傷ついちゃうのか、乙女だな。ブスのくせに」


 言ってやると、荊棘おどろは俺の襟を掴んで床に押しつける様に絞めてきた。いわゆる突込絞だ。


「――私はブスじゃない!」


 目に涙を浮かべた荊棘おどろが怒鳴る。荊棘おどろは美醜を問えば間違いなく美人だろう。それなのにこの反応――なにかトラウマでもありそうだが、そんなものに興味はない。


 逆上した荊棘おどろは腕を伸ばして俺を絞め続ける。俺は奴の右手首を右手で掴んで固定、肘に外側から左の掌を叩きつける。関節蹴りならぬ、関節打ち――


「――!」


 絞められていて力を出し切れなかった。肘関節を壊すことはできなかったがそれでも筋ぐらいは伸ばしてやれたのか、荊棘おどろは顔を歪めて絞める手を緩める。


「――このぉっ!」


 そして半狂乱でその傷めた右手を振り下ろす。怒りで――もしくは痛みで目測を違えたか、拳は今までより温いものだった。首を捻って躱すと、そのまま荊棘おどろはコンクリートを打つ。


 その痛みに硬直したのは明らかに隙だった。逃すつもりはない――俺は右手を伸ばし反撃。しかし荊棘おどろは咄嗟にのけぞった。空を薙ぐ拳――荊棘おどろがそれを見て笑みを浮かべる。


 ――甘え!


「つぁあっ!」


 体を捻り、肩を浮かせた。同時に握っていた拳――その人差し指を立てる。浮かせた肩と伸ばした指で稼いだ三十センチは、のけぞった荊棘おどろに届くには十分な距離だった。


 人差し指が荊棘おどろの左目に埋まる。


「――ぎゃああああっ!」


 絶叫。無傷の赤く赫く右目がカッと開かれる。


「――山田アタル!」


「……隻眼でもねえくせに眼帯つけて《隻眼の魔女》はねえだろ……これでようやく《隻眼》だな? 少し可愛くなったんじゃねえの?」


「――死ねぇ!」


 俺が突き上げた右腕とクロスするように荊棘おどろが左拳を振り下ろした。躱す術はない。体を浮かせていたせいで打たれた後、思い切りコンクリートに叩きつけられた。


 痛みはさほど感じなかった。代わりに意識が遠のく。


 ――くそ、ここまでか。意識を手繰ろうとするが、手繰る端からかき消えてく。


 ぼんやりとした視界に映るのは逆手を振りかぶる荊棘おどろだ。あれが振り下ろされればもう耐えられそうにない。


 それが実行されるかどうかという時、足に何かを感じた。


 ポケットの中で何かが動いている――スマホだ。サイレントモードにしてあるため振動で着信を報せている。


 誰だ――俺に電話をかける奴なんて限られている。夏姫に違いない。


 なかなか戻らない俺の位置情報を確認し、動きがないことに気付いて――それとも店の監視カメラに俺に殴りかかる荊棘おどろの姿が映ったか――ともかく電話の理由は俺を案じてだろう。



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