第5章 隻眼の魔女 ④

 ――使うか、異能を。


 荊棘おどろが後ろ手にその長い髪をかきあげ、さばく。俺は魔眼を開いて迫る脅威に備えた。


 耳に届く風切り音――


 顔を叩こうと迫るムチのようなそれを左手で掴み、止める。


「な――」


 驚愕の顔を見せる荊棘おどろ。今度は逆手で同じような仕草を見せ――


 逆側から迫るそれを咄嗟にナイフを捨てて右手で掴み、


「――……《貪食グレイプニル》とか呼ばれてるんだって? 確かフェンリルを繋いだ紐だったか? 髪を魔法の紐のように操る異能――《隻眼の魔女》、なかなか気が利いたあざなだな。昼間頭を叩かれたのも、こいつを伸ばして死角から回り込ませたんだろ?」


「……どうしてそれを? 誰が漏らしたのかな? 私の部下は簡単に口を割らないと思うんだけどな」


「エナドリで買収しようとしたけど駄目だった」


「……そんなもので堕ちるものはいないよ」


「そうな。冗談だ――なんの為にあんたたちにカズマくんの動向を知らせなかったと思う?」


「! まさか――」


 愕然として、荊棘おどろ


「カズマくんと精神観測者サイコメトラーに頼んで、あんたをメトリーしてもらったよ。本人から暴くのが一番だろ?」


「……私だって素人じゃないよ。君が突入している間は一応警戒していたんだ。消えた状態の会長を素通りさせたことは認めるけれど、触られた憶えなんてないよ?」


「ああ。突入前に俺、夏姫に電話しただろ? その時にはもうあんたのメトリーは終わってる。あそこであんたが身につけているそのブラウス――そのフリルにちょっと触れればそれでいい。メトリーしたあんたの能力の仔細はメッセージで受け取ったんだ」


「……会長は人一人抱えて私たちを尾けていたっていうのかい? 私に気取られることなく?」


「カズマくんにそんな超人みたいな真似できねえよ――あんたに気付かれないのはほんの数秒でいい。どの道カズマくんの能力も時間制限あるし。けど俺の居場所はチップが教えてくれる――それを使えばできないことじゃない」


「――……、私のプレゼントを随分有効に使ったんだね? あげた甲斐があるよ」


「おう、ありがとう。なんかもらったプレゼントを質に流してその金で他の女口説いたみたいな感じでバツが悪いな?」


「――だったら礼を体で払って欲しいな!」


 荊棘おどろの激昂――それと共に掴んだ髪の先がそれぞれ手首に巻き付く。引き千切れないか試してみるが、巻き付いた髪はびくともしない。


「自慢の御髪おぐしだよ! 手錠なんかと一緒にしないでね!」


 ぐんと体が前方に引っ張られる。荊棘おどろの後頭部辺りから伸びた二つの房が俺の手首に巻き付いたまま勢いよく縮んだ。


 あまりの速度に足が浮いて踏ん張れず――そして荊棘おどろは迎撃の拳を構えている。


 いいのか、それで――こっちは魔眼を開いてるんだぜ!


 俺の顔面にその拳を打ち込む喜びに震える荊棘おどろ――これがこいつの必勝手なのだろう、決まると信じて疑っていないようだ。


 その荊棘おどろの拳が届く前に、空中で作った捻転と荊棘おどろ自身に引き寄せられる勢いで回し蹴りを見舞ってやる。


「がはっ……!」


 姿勢のせいで顔こそ狙えなかったものの、空中で放った回し蹴りは拳を空振ぶった荊棘おどろの脇に綺麗に入った。肋骨が砕ける感触がブーツ越しに伝わってくる。


 ダメージのせいで集中が甘くなったのだろう、手首の拘束が緩む。その隙を逃さない。さっと手首を抜くと二つの鞭状の髪を一つに束ね、力任せに振り回して荊棘おどろを床に叩きつける。


「っ……!」


 コンクリートの床でバウンドし、荊棘おどろはようやく苦しそうな表情を見せた。しゅるりと手にしていた奴の髪が縮んでいく。


 一旦魔眼を閉じて荊棘おどろを観察する。まだ余力があるらしい。荊棘おどろはよろよろと立ち上がった。


「……やっぱり君の異能は身体能力強化エンハンスだね? でも、聖痕スティグマがある……他にスペシャルなプラスアルファがあるんだろうねぇ」


「そんなところだ」


「……超反射、かな?」


「そこまで教えてやる義理はねえよ」


「それにいちいち能力オンオフしてるみたいだね。なにか使用に制限でもあるのかなぁ」


 それには黙して答えないでいると、荊棘おどろは呟くように言った。


「気が変になってしまいそうだ」


「……あぁ?」


「全然足りない。殴り足りない。私は頭突きにボディ、相打ち――対して君は背負い投げ、ショートフック、左ストレート、頭突き、足払い、ボディ、回し蹴りに叩きつけ――ああ、ビルの途中で落としてくれたし、車ではねてもくれたねぇ。君ばっかりシテずるいよ」


「……いちいちカウントしてんのか? 車の件は俺のせいじゃない。ノーカンだ」


「私は昨夜、《魔眼デビルアイズ》発見の報せを聞いてから体が熱くて仕方ないんだ。鉄の意志で手慰みも我慢して君を殴りにきてるのに、君はちっともさせてくれない」


「……あきらめたらどうだ? その怪我じゃもう勝ち目はないだろ?」


「いいや? 私は君がぐちゃぐちゃになるまでやめるつもりはないよ」


 荊棘おどろがそう言ってにこりと笑う。脇腹と鼻の骨折で顔色は悪く、また額や鼻、唇から出血していて酷い有様だ。そんな状態で微笑む荊棘おどろの凄惨な貌はいっそ美しくさえあった。


「……一周して逆にあんたがキレイに見えてきた」


「そう? それは嬉しいなぁ」


 荊棘おどろの瞳が燃え上がるように輝く。


「嬉しいから――いっぱい尽くしてあげるね?」


 彼女がそう言った途端――俺は何かに足を取られて仰向けに倒れた。

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