第5章 隻眼の魔女 ②
「――――!?」
バックミラーに映ったそれに驚いて運転手はアクセルを踏み込んだ。しかし遅かった。車全体を揺らす大きな衝撃――
「――I'll be backってか――冗談じゃねえ!」
グロックを抜いて
奴は今、車にしがみついていて大した身動きがとれない。今撃てば当たるだろうが――撃つのか? 公安を? そして連中に追われる日々をこれからずっと過ごすのか?
引き金に指をかけられない。そして――
「――うわぁ!!」
バックミラーで見たのだろう。俺の銃に驚いた運転手が叫び声を上げて急ブレーキを踏む。ABSのお陰でタイヤはロックしなかったものの車は大きくつんのめり、慣性で
いっそそのまま轢かれてくれと思ったが、車はもう一度がくんと揺れて停止した。前方に落ちた
急ブレーキのせいでスピードは出ていない。万全なら俺も似たようなことはできるが、この状況でそれをやるかよ……!
「修理費は公安に請求してくれ! 運賃もな!」
車から降り、歓楽街の路地に飛び込む――あんな芸を何度も見せられればさすがに通報されるだろう。警官が駆けつければ不利になるのは俺の方だ。
「待ってよぉ」
背中に
周囲からはどのように見えるだろうか――俺としてはパニック映画の主人公気分だが、奴は砂浜で恋人を追いかける自分を夢想していそうだ。
「この手は使いたくないんだけどなぁ!」
「結局のところ、お姫様だってスカムの構成員じゃないんだよねぇ?」
――その言葉には足を止めざるを得なかった。立ち止まり、反転する。
この状況で不意打ちは矜持にでも触れるのか、
「――おい」
「あの娘をお姫様扱いするのは君と対話するための条件。もうそれは済んだし、君が蛇を始末して私たちは天龍寺兼定を解放した。取引は成立している。改めて天龍寺夏姫だけ捕らえに行かせてもいいんだよ?」
「あんたらの仕事じゃないんじゃなかったか?」
「異能犯罪では立件できないからねぇ。けど、銃刀法に不正アクセス、君に銃を用意しているのだから殺人幇助もあるよねぇ……彼女も決して無罪じゃない。地元警察に点数を稼がせてあげてもいいかなぁ」
「――そんなもん、あんたらは後出しでどうにでもできるだろ。だったらあんたとやり合うだけ損だ」
「そんなこともないよ? 彼女の罪状を表に出すのならどうしたって司法取引が明らかになる。さすがにそれはねぇ――蛇を始末できるのならスカムは昼間の話通り、天龍寺夏姫の罪状については闇に封じることになっている。私の上司は勿論、部下からも彼女の罪が語られることはないよ」
そう言って
「彼女の罪を暴くのは私だけ」
「それをするのはデメリットがあるんじゃないか?」
「まぁね。けど君と殴り合えないのなら自棄になってしまうかもなぁ」
嬉しそうに言う
「おっと。こんなやり取りをしなくても、私が直接天龍寺夏姫を手にかければ怒り狂った君が私を襲いにきてくれるかなぁ?」
事務所の場所は押さえられている――マンションもだ。昼間発信器をつけたままマンションに戻っているし、そうじゃなくても調べはついているだろう。
「私を殺さなきゃ天龍寺夏姫が酷い目に遭うよ?」
「……あんた、取引で嘘は吐かないんだったよな」
「勿論。どんな相手とでも約束したことは反故にしないよ。これでも正義の味方だからね、嘘は吐かないんだ」
愛を語るかのように、
「……取引だ。あんたが望む殺し合いに付き合ってやる。その結果がどうであれあんたは金輪際夏姫に関わるな」
「彼女が異能犯罪に手を染めたとしても?」
「あんた以外の公安が正規の手順で捜査するのは構わない。だがそれでもあんたはその捜査に関わるな。サボるなり辞めるなり、関わらない方法はいくらでもあるだろ」
「一発手を出して殴り合った、なんて無粋なことは言わないよね?」
「ケリが着くまでやってやる」
告げると
「変態が……」
「それはもう飽きたよ。別の言葉でなじって欲しいな」
「生憎と言葉責めは不得手でな。バリエーションがないんだ」
「残念だ――では、君が得意な殺し合いをしよう。約束する――この殺し合いの結果がどうであれ、私は今後天龍寺夏姫に関わらない。私が死ねば当然関わりようがないし、生き残っても手を出さないと約束する――これでいいかな?」
やるしかない、か。これでやっぱり嫌だとでも言おうものなら、
奴を止めるには、もうやり合うしかない。
「――場所を変えようぜ。邪魔が入るのはあんたも本意じゃないだろう?」
「ああ。君と私の甘い時間だ。邪魔はない方が望ましい」
「……異常者め」
「いいよ――その調子で。気に入ったから場所は君に選ばせてあげるよ」
人通りのない路地裏か、閉店したバーか、歓楽街のビルの屋上か……そのくらいだ。
丁度、歓楽街のビルの真横だ。俺は無言でビルの壁を登る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます