第4章 激突 ④
油断はできない。大勢は決したが坂場の目は死んでない。しかしこちらも温存したかった魔眼を使っているのだ、取りこぼしは有り得ない。
死角に回り込みつつ首を狙う。奴は俺からナイフを奪うつもりか、突きにいった右腕を取りに来た。
腕を引いた勢いを利用し、逆足で奴の腹部――刺傷を抉る。体重を乗せきれない蹴りだったが坂場の腰が砕けた。
追撃のため前に出る。その瞬間、待ってましたとばかりに坂場の目がギラリと光った。重傷を負っているとは思えない動きで地面を蹴り、肩から体当たりを仕掛けてくる!
ナイフを突く手が間に合わない。こちらも腰を落として体を開く。坂場の左肩を俺の右肩で受け止める形だ。
そして――
「――ナイフが一つだけだと思いましたか?」
いつの間に取り出したのか、坂場の右手にはナイフが握られていた。肩を合わせているせいで、俺がナイフを持つ右手は自由が利かない。
「僕を前にして蛇さんを気にしたのは失策でしたねぇ」
これ見よがしにナイフを見せてくる坂場。いくら特殊グローブがあるとは言え、どこを狙ってくるかわからなければ防ぐのは難しい。
だから俺は――左手で受け取ったばかりのスペツナズナイフを抜いた。間髪入れずにがら空きの頸動脈を斬りつける。
首の両横にある頸動脈は皮膚の二、三センチ下にある。刃は確実にそれより深く坂場の首を斬り裂いた。一瞬遅れて大量の血が傷口から吹き出る。
「な――」
「二本持ってるのは自分だけだと思ったか?」
目を見開いて崩れ落ちる坂場に告げる。腹部の刺傷に、首の切傷――特に切傷の出血は目を覆いたくなるほどの出血だ。何分も経たずに失血死するだろう。
「最期に殺人鬼の本性が出たな。それがなきゃまだわからなかったのによ」
告げる――がもう坂場の耳には届いていないだろう。地面に伏してもがくでもなく浅く激しい呼吸をしている。
抗争相手ではあるが、個人的に恨みがあるわけでもない。倒れた坂場の首に足をかけ――
「――お見事。実に鮮やかだったね。さすが《
頸椎を踏み砕いてとどめを刺してやると
「……そう見えたか? 言うほど楽な相手じゃなかったぜ。少なくともナイフの腕は俺と同じか上だった。奴が最期に殺しを愉しもうとしなければ違う結果になったかも知れない」
「けれど結果として君は傷一つ負っていない」
言いながら
「拭きなよ。まだ使うだろう?」
「……………………」
無言で受け取ってナイフに付着した血と脂を拭って鞘に収めると、バタバタと足音が聞こえてきた。争う音を聞きとがめられたかと身構えるが――
「――
「……準備がいいな」
「そりゃあね。今は君に捕まってもらっちゃ困るもの」
「蛇を倒すまでは、だろ?」
告げると
「そんなに警戒しなくても取引で嘘は吐かないよ。それが口約束でもね」
「そう願いたいな」
そうこうしているうちに押し寄せたスーツたちが坂場の死体をブルーシートに包み、地面に落ちた血を水で洗い流す。
「――さて、これで一人減らせたね。残る二人もこの調子で片付けてくれよ」
「無茶言うなよ。一人ずつならまだしも、連中二人でいるんだろ?」
「そうだね。君たちが少し前まで経営していた店に裏口から押し入ったみたいだ。物資はないにしても電気も水も通っているから潜伏先としては随分快適なんじゃないかな?」
「だから俺の経営じゃねえし、店を閉めたのも俺じゃねえ――」
言いながらふと気付いて、
「なあ、奴らどこの店に這入り込んでんだ?」
尋ねて返ってきた店名は確かに憶えがあった。スマホを取り出して夏姫に電話する。
『――もしもし、あっくん?』
「ああ、俺だよ――夏姫ちゃん、夏姫ちゃんはスカム系列の店のカメラにアクセスできるんだよね?」
『え? うん、できるけど――』
「じゃあさ、もう店閉めてるけど――」
夏姫に
『――うん、お店を閉めてても電気がきてるならできるよ』
「蛇と
『ちょっと待ってね』
電話の向こうから夏姫の息づかいが消え、代わりに足音、そしてキーボードを操作する音。
ややあって――
『――見れたよ』
「さすが夏姫ちゃん。どんな様子?」
『う、うーん……』
尋ねると、浮かない声が返ってくる。
「? どうした?」
『……見てもらった方がいいかな。電話、ビデオコールにしてくれる?』
「おう」
耳元からスマホを放し、言われたようにビデオコールに切り替える。すると画面にパソコンのアップが表示された。
『見えてる?』
スマホ越しのパソコンには薄暗いバーの店内が写っていた。四分割に表示されている監視カメラの映像の一つに人影が見える。
「あー、その人影が見える奴にもうちょい寄ってくれる?」
『はい』
ずいっとその画面がアップになる。ソファ席に座る男女の姿が見えた。男はソファにふんぞり返り、隣の女は顔を男の股間に埋めている。
……夏姫が口ごもるわけだ。
「……私たちが働いているというのに、連中は随分とお楽しみのようだ」
音声がスピーカーになったことで気になったのか、寄ってきた
「夏姫ちゃん、ありがとう。一回切るよ。また連絡するかも。その画面出しっぱにしといて」
『うん、わかった――あっくん、気をつけてね』
「はいよー」
夏姫に答え、通話を終える。
「……今、店に麻酔ガスを流せば安全に連中を処理できるんじゃねえの?」
「確かにそうだけど、残念ながら弾切れだ。今朝方君たちに使ったので全てだよ」
「用意しろよ。俺だって命をベッドしなくていいならそのほうがいい」
「二時間はかかるよ。それまで彼らはラブシーンを演じ続けてくれるかな?」
「――存外使えねえな、公安も」
「酷い言われようだなぁ。お姫様と私で随分態度が違うじゃない」
「一緒であってたまるか」
「あの娘になにかあれば君ももう少し私に素直になってくれる?」
「論外だ。夏姫に手を出す奴は地獄を見せてやると決めている。あんたも部下によく言っておけよ」
「……私も誰かにそんな風に言われたいな」
「あんたみたいな変態には高望みだ。諦めろ。そんなことより考えることがあるだろ」
「ああ、変なものを見せられたせいでアテられてしまったみたい――現場に行こうか。彼の
「俺は歩いて行くよ。実を言うとテレポート・ショックが苦手なんだ」
嘘だ――さっきのやり取りで夏姫がカズマくんに行き先を指示してくれているだろうが、俺が現場に
俺の言葉に
「そういうことなら私も同行しよう。ここで君を見失いたくはないからね」
「……好きにしろ」
店の場所はわかっている。俺は件の店に足を向けた。
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