第3章 折衝 ⑦

「不覚だった」


 全員目が覚めたところで荊棘おどろとの対話を伝えるとシオリがそう呟いた。


「……すまない、気を抜いたつもりはなかったんだけどね。考えが至らなかった」


「皆注意がバーミンにいっていた。無理もない」


 唇を噛むシオリに兼定氏がそう言うが、シオリの顔は晴れない。


「仕方ないよ。俺もさすがに麻酔ガスなんて使われるとは思わなかった」


「それでも定期的に力を使って周囲を警戒していれば防げたかもしれない」


「自分を責めてる暇はないぜ――今晩に活かしてくれればそれでいい。今晩を乗り切れば――取りあえずやり過ごせる」


「旦那とお嬢のガードをしてればいいんだね?」


「ああ」


 シオリの言葉に頷く。


「アタシも行かせてくれと言いたいトコだけど――失敗した後じゃでかいことは言えないね」


「失敗とは思ってないよ。俺だって連中の気配を読めなかった――爺さんは悪いけどことが済むまでここで待機してくれ。爺さんに限って言えば俺が蛇を殺すまでは誰より安全だ。なにかありゃあ人質の意味がなくなる。連中が必死になって守ってくれるさ」


 顎で事務所の外を示す。そこには荊棘おどろが配置した監視役の捜査官――その背中があった。


「……目障りっすね。もっと離れろって言ってきましょうか」


「やめとけよカズマくん。連中、公安の異能犯罪課だぜ。そこらのチンピラとは違う。取りあえずは俺たちに手を出してこないから無視しとけばいい」


「……取りあえず、なんだよね。私たち全員のことを公安に知られちゃったんでしょ?」


 心配そうな声で言うのは夏姫だ。


「……知られちゃったというか、知られてたね。俺が《魔眼デビルアイズ》だってことを突き止めたみたいだし、内部抗争からスカムが割れたこと、シノギを減らしたことからカズマくんに代替わりしたことまで掴んでた」


「……スカム、どうなるのかな」


「どうもこうも――今まで通りにやるだけさ」


 呟く夏姫。俺は適当に返事をしながらスマホ――自前の方だ――を取り出して文字を入力。その画面をみんなに見せる――『盗聴器を仕掛けられた可能性がある。具体的な話はしない方がいい』。


 こくこくと頷く一同。それに応え――


「先のことは後で考えようぜ。まずは夜に備えないとな……夏姫ちゃん、一回帰ろうぜ。カズマくんも来い」


「うっす」


 カズマくんは俺の言葉に頷くが、夏姫は渋い顔だ。


「え、でも――」


「爺さんはここを動けないしシオリがついてる。黒服もな――心配ない」


「ここじゃダメなの?」


「事務所はシャワーないもん。着替えも。アルコール臭いのどうにかしたいし――カズマくん、自分の分持って」


 言いながらデスクの一角を指さす。そこには車から引き上げた武器一式が置かれていた。


「うっす――連中、よくこれ没収しなかったすね」


「蛇を倒すために有効に使えってことだろ」


 グロック17カスタムをバックサイドホルスターにねじ込み、バトルナイフを吊る。予備マガジンの半分をポケットに入れて顔を上げると、夏姫と目が合った。未だ顔が暗い。兼定氏が心配なのか、俺の足かせになりたくないとでも思っているのか――どちらでもいいが、夏姫にも動いてもらいたい。


「……俺もカズマくんもくたくたなんだ。夏姫ちゃん、運転してよ」


「や、自分ならまだ――」


 ベルトに銃をねじ込みながら言うカズマくん。そのつま先を踏んでやって黙らせるとようやく夏姫も察したようだ。


「――お爺ちゃん。私、行ってくるね」


「ああ。アタルの傍にいるといい」


「うん――シオリさん。お爺ちゃんのこと、お願いします」


「任された――お嬢、アタルを頼むよ」


「はいです」


「よし――っと」


 夏姫の言葉に頷いて――そして思い立って給湯室の冷蔵庫からいくつか冷やしてあるエナジードリンクを一つ取り出す。


「あ、いいな。兄さん、俺も欲しいっす」


「俺が飲むんじゃないし、カズマくんも飲んじゃダメ。寝れなくなるだろ――じゃあな爺さん、あとで連絡入れる」


「ああ、気をつけろよ」


 兼定氏とシオリ、黒服たちに見送られ、事務所を出る。俺に続く夏姫とカズマくん。そのまま車に向かう前に、俺は持ってきたエナドリを捜査官に放る。監視役のそいつは戸惑いながらもそれを受け取った。


「……なんのつもりだ」


「毒なんか入ってないから飲めよ――あんたも徹夜仕事だろ? 万が一蛇たちが襲ってきたらあんたが爺さんたちの盾になるんだ、居眠りでもされちゃ困るからな」


「……貰っておこう」


「なあ、あのド変態の能力教えろよ。弱点でもいいぜ」


「お前たちと必要外の会話をするつもりはない」


「ちっ――まあ、期待はしてなかったけどよ。じゃあ行こうぜ、夏姫ちゃん」


「うん――どっちの車で?」


「俺たちが使ったほう。カズマくん、鍵」


「うっす」


 カズマくんがポケットからキーを取り出し、夏姫に手渡す。


 連中に何か仕掛けられていると仮定して、可能性は俺たちが使った車と夏姫の私用車ではどちらも変わらない。だったらいざというときに気軽に使い潰せるこっちの車を使うべきだ。


 ……もっとも、夏姫のことも既に公安に割れてるのだ、夏姫の車で何かしでかしたとして今更という気もするが。


 考えているウチに駐車場に着く。


「……じゃあ夏姫ちゃん、運転お願い」


「うん。マンションでいいんだよね」


「それでお願い。寝ちゃったらごめんだけど着いたらおこして」


「はいよー。カズマくんも寝ちゃっていいからね?」


「あざます、すみません。俺がするべきなのに」


「カズマくんも甘えとけ、夜にたっぷり力仕事があるからさ」


 夏姫が解錠した車――助手席に乗り込み、カズマくんに告げる。「うっす!」と元気よく返事をしたカズマくんだが、後部座席に乗り込むとすぐにシートに背を預けて目を閉じた。


 俺もシートを少し倒し、深く息を吐く。


 遅れて運転席に乗り込む夏姫――その夏姫の匂いが助手席の俺に届くころには、ガスではない自前の眠気が襲いかかってきていた。




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