第3章 折衝 ①

 目が覚めて最初に確認したのは自分が置かれた状況だ。どうやら後ろ手に手錠をかけられソファに座らされているらしい。痛いところはなかった。まだ麻酔が抜けていないのか、寝ている間に痛めつけられることはなかったのか――多分後者だ。


 目を開けないままなるべく身じろぎせずにそれらを把握したところで、聞き覚えのない声がした。


「――起きたね? 目覚めた瞬間目を開けないように瞼に力を込めたのを見逃してないよ。君が目覚めるのを待ってたんだ。狸寝入りなんかやめて私の相手をして欲しいね」


 ――無視。さて、声は女のもの。状況から考えれば例の三人の一人、変身能力者トランスフォーマーの可能性が高い。だが敵性気配をいくつか感じる。女と併せて三……四……五人か。件の三人が全員乗り込んできたとしても計算が合わない。


 ソファの感触はうちの事務所のもののように思える。眠らされた現場でそのまま拘束された? 血の匂いはしない。事務所にいた全員が眠らされたわけだが、誰一人傷つけられることはなかった? それとも俺以外は別の場所に運ばれた?


「――おいおい、無視はつれないなぁ。君と話をしたくて君だけ拘束してないんだよ? 私の期待に応えて欲しい。それとも――気付けに血の匂いでも嗅がないと目が覚めないかな? それもオトモダチの」


 再び女の声。つまり夏姫たちはここにいて――俺とは違いがっつり拘束されてる訳か。


 胸中で舌打ちして目を開ける。


 やはりここはうちの事務所で、俺は応接セットのソファに座らされていた。ざっと事務所内を見回す。夏姫たちは一人ずつ手足を頑丈に縛られて事務所の床に転がされていた。拘束しているのは縄のようだが、ああもがっちり縛られてはカズマくんでも引き千切るのは無理だろう。隻腕の兼定氏や左腕の自由が利かないシオリならなおさらだ。


 その周囲には夏姫たちに銃を向けるスーツ姿の男が四人。


 そして――テーブルを挟んだ俺の対面に座る女。


 その女は二十代半ばくらいか――若い女ではあったものの風貌からして件の変身能力者トランスフォーマーではない。一目でそう思えた。


 黒い長袖のフリルブラウスに、九分丈の白いスキニーパンツ。まず手足が出る格好と言っていた件の女の格好と食い違う。


 髪の特徴も食い違った。明るい髪を巻いたロングではなく、ストレートの緑髪。


 そして何より、目の前の女にはもっと目を引く特徴があった。右目に黒いレザー製の眼帯をつけている。こんな一目でわかる特徴があれば言わないわけがないだろう。


 それに眼帯の女には別の心当たりがある。それも俺たち異能犯罪者の溜まり場に乗り込むような――


 目線だけでもう一度夏姫たちを確認する。誰も目覚めていなさそうだ――あるいはシオリ、兼定氏は目覚めた上で寝たふりをしているかもしれない。カズマくんはそこまで気が回らないだろう。


 体の感触から装備していたバトルナイフや銃は取り上げられているようだ。グローブも――手札は隠しナイフだけ、か。そして人質までとられている。


 絶望的な状況だ。


「やあ、おはよう」


 女が口を開いた瞬間、テーブルの縁を蹴って女の脛を狙った。しかし女は全く同じず、蹴り返す形でテーブルの縁を足裏で押さえて受け止める。そのままになっていた朝食の皿が跳ね、木製のテーブル――その天板には大きな亀裂が入った。


 スーツたちが殺気立ち、一斉に俺に銃口を向ける――が、当の女が宙を仰ぐように手を挙げてそれを制した。


「銃を下ろして――そう殺気立つことはないよ。彼なりの挨拶さ、こんなものは」


 女の言葉に従い、スーツたちが銃を下ろす。


「――だろう? アタルくん?」


 そう言って女は俺を見る。


「――……この事務所のルールを教えてやる。たった一つだ。そこで風邪引きそうな格好で寝ている巻き髪のポニーテール……その女を自分自身だと思え。傷一つつけちゃならない。宝物の様に扱うんだ。簡単だろ? それが守れるならあんたの話に付き合ってやる」


 俺がそう言うと、女はルージュを引いた紅赤の唇を歪ませて嗤う。


「――守れないと言ったら?」


「生まれてきたことを後悔させてやる。あんたと、あんたの血縁全てに。必ずだ」


「――わかった、従おう。それで君が素直に話をしてくれるならね――ねえ、その娘の足の拘束解いてあげて」


 女は満足げに頷いてどうやら部下らしいスーツたちに指示を出す。


「――待て、それをやるのはあんただ。男がその女に触るな」


「……大事なお姫様なんだね? それはいいけど、さすがにその間は君に銃を向けさせてもいいよね」


「ああ」


 俺の返事に女が頷く。そして立ち上がるとスーツの連中は一斉に俺に銃を向けた。


 女はこつ、こつとヒールを響かせて夏姫に歩み寄ると、屈んで手早く夏姫の足の拘束を解いた。その間も夏姫はノーリアクション――意識はないようだ。


 女が戻って俺の正面に座るとスーツたちも銃を下ろした。わかったことは、女の体幹は全くブレず、相当鍛えられているのだと予想できること。俺のバトルナイフと同じくバックサイドにホルスターを装備――それも大型の拳銃を所持していること。服装やメイクから受ける印象と違い、爪は短く切りそろえられている――格闘に備えていること。スーツたちの統率が取れていること。


 女の正体に確信を得る。


 ――異能犯罪課の捜査官だ。それも県警でなく、公安警察の。



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