第2章 襲撃 ⑨

 朝方――六時少し前。地元に戻った俺たちは駐車場に車を駐め、万が一を考え武器類は全て引き上げて事務所に戻ると夏姫ちゃんが出迎えてくれた。


「お帰り、あっくん」


「ただいま」


「大丈夫だった?」


「見ての通り怪我一つないよ。ちょっと酒被って濡れちゃったけどね」


「良かった……ごめんね、ノイジーな情報しか掴めなくて」


「いや、役に立ったよ。ありがとうね」


 話ながら事務所を見回す。応接セットのソファに爺さんとシオリ、そしてその近くに黒服が何人か立っていた。スカムのガードだろう。


「カズマくんもお疲れ様。運転も大変だったでしょ?」


「いやあ、全然平気す。兄さんに一緒に来て貰えたんで楽勝っした」


 ソファに並んで座る爺さんとシオリ――その対面に腰を下ろした俺。その隣にカズマくんが座る。


「二人とも、何か飲む?」


「ああ、すんませんす、姉さん――俺は少し休ませて貰うんで、何も」


 夏姫の言葉にそう言って寝ようとするカズマくん。だが――


「俺は腹減っちゃった。夏姫ちゃん、朝ご飯食べたい」


「え、それアリなんです? じゃあ俺もお願いしていいすか」


 俺の言葉に便乗する。


「いいよー、簡単なものしか出来ないけど。お爺ちゃんとシオリさんは?」


「儂はいい」


「アタシも、今はちょっと」


「はーい、皆さんは?」


 夏姫は黒服の連中にも声をかけるが、みな一様に首を横に振る。まあ連中は兼定氏が食わないものを食いたいとは言わないわな。


「じゃああっくん、カズマくん、ちょっと待っててね」


 言って夏姫は給湯室に消えていく。俺と夏姫は普段昼間の多くの時間をここで過ごす――そして週の半分は夏姫が腕を振るってくれる。冷蔵庫にはなにかしらあるはずだし、夏姫が腕を振るうに十分な設備もある。


 夏姫を見送ると、俺とカズマを半眼で見てシオリが言う。


「あんたたち、酒臭いよ」


「だろうね――別に飲んだ訳じゃないよ。浴びただけ。成り行きでね」


「後でシャワー浴びて着替えてきな」


事務所ここには着替えはあるけどシャワーがないんだよ。我慢してくれ」


 告げるとシオリは肩を竦めた。そして交代だとばかりに兼定氏が口を開く。


「……ご苦労だったな、二人とも」


「うっす、あざます」


 かしこまって頭を下げるカズマくん。それを横目に俺は爺さんに告げた。


「……正直、大した連中じゃなかったよ。連中だけみたらスカムに喧嘩売るようなレベルじゃない。聞いてた話からもう少し苦戦するかなとも思ったけど……」


「……となると、こちらに乗り込んできている三人はよほど腕が立つということか」


 帰りの道中で銀髪から聞いた三人のことを伝え、スカムの連中に市内を見張ってもらっている。後から聞いた連中の能力や風貌もだ。発見できたら儲けものだ。


「そういうことだろうね。少なくとも幹部連中があれだけザルなんだ、荒事はその三人でこなしてたはず。能力的にも侮れる相手じゃない」


「……勝てるか?」


「負けるわけにはいかないでしょ」


「勝ち目がないなら投げてもいいぞ」


「……は?」


 兼定氏が何を言っているのかわからずに問い返すと、彼は静かに――けれどはっきりと言った。


「……お前を失うくらいならバトルアリーナをくれてやってもいい」


「は? 何言い出すんだ、爺さん。耄碌したか?」


 バトルアリーナの興行収入はスカムの屋台骨だ。今までは夜の店やレストランの利益、病院、違法薬物の売買などの収益と併せ莫大な利益を得ていた。しかしスカムの規模縮小を機に違法薬物の取り扱いから手を引き、夜の店も何店かは引き払った。特に違法薬物はバトルアリーナの次に利益を上げていたシノギなのでスカム全体の収益は大幅減だ。


 それにバトルアリーナを仕切っているのはスカムだが、興業にあたり政治家や資本家が噛んでいる。そういった意味でも、利益的な意味でもバトルアリーナを手放すのは有り得ない。


「耄碌などしておらん。どのみちお前とカズマがいなければスカムはもう成り立たん。だったらバトルアリーナをくれてやって、別のシノギをすれば良い」


「俺は関係無いだろ、先代だぜ。今仕切ってるのは爺さんとカズマくんだよ。二人がいればスカムはスカムだ」


「夏姫が悲しむ――そう言えば満足か?」


「じゃあ俺も言い直すよ。スカムに楯突こうなんて輩が二度と現れないように徹底的に叩いてやる。見せしめにな」


「できるのか?」


「カズマくんが手伝ってくれれば、多分」


「勿論す! 俺ぁ兄さんが来いっつったらどこだって着いてくっすよ!」


「じゃあ今度飯行こうな。奢ってやるから」


「……いやぁ、それはちょっと」


 なんでだよ。


「……アタシはお呼びじゃないかい?」


 そう言ったのはシオリだ。ずいぶんとやる気のようだが――


「正直シオリは頼もしいけど。けど夏姫ちゃんと爺さんガードしてもらわないとな。万が一出し抜かれたときに夏姫ちゃんが無防備だって状況じゃ俺が集中できない」


「……あんたとスカムには返しきれない恩があるからね。いざとなった好きに使いな」


「ああ、覚えとく――早速だけど、シオリ」


「うん?」


「――時間停止能力に心当たりはある? そんなトンデモ能力で暴れ回ってたらどっかで有名になっててもおかしくないだろ? シオリもこの界隈にいたんだし、聞いたことないかな?」


 尋ねるが、シオリの表情は渋かった。


「例の蛇とかいう奴だね? 残念だけど蛇って名前にも《蛇の呪いバジリスク》って能力名にも、まして時間停止なんて話にも覚えがないね」


「……そうか」


「ホントに時間を停止させてるとは思えない。結果として対象がそういう状態になる能力なんだろうさ」


「……やっぱ時間停止はないよな?」


「アタシはそう思うね。さすがに信じがたい。旦那はどう思う?」


 シオリが兼定氏に話を振る。


「そうだな……時間停止はハッタリだろう。しかし結果としてそうとも言える現象が起きるというのなら難敵だぞ。どう戦う?」


「今のところ正面からやり合う策はないなぁ……一度その《蛇の呪いバジリスク》とやらを食らってみれば何かわかるかもだけど」


「その瞬間に撃たれて終わりっすよ」


「……普通に考えればそうなんだよなぁ」


 頭を抱えていると隣のカズマくんが立ち上がる。どうしたのかと顔を上げると美味そうな匂いが漂ってくる。夏姫ちゃんが用意してくれた朝食をトレイに乗せて運んできてくれていた。その夏姫に立ち上がって頭を下げたというわけだ。


「お待たせ。ホントに大したものじゃないけど……」


「あざます、めっちゃ美味そうっす!」


「そう? ありがと。カズマくんは何飲む? コーヒーはお休みするならよくないよね?」


 言いながら夏姫は俺とカズマくんの前にトレイを置く。トーストとベーコンエッグ。ベーコンエッグはレタスとミニトマトの付け合わせまでついている。更に俺のトレイにはレモンを搾った炭酸水のグラスまで付いていた。まあ、飯の時は大体これだからな。


「兄さんのそれはなんすか?」


「炭酸水にレモン搾ったやつ。甘くないやつな」


「あ、じゃあ俺も同じの頼んでいいすか?」


「はいよー。レモン無駄にならなくてかえって助かるよー」


 笑顔で答えて夏姫は給湯室に戻っていく。


「……辰神にあんな啖呵きるわけだ」


 出てきた朝食を見て、シオリ。


「――『夏姫ちゃんのご飯美味しいし。あれより美味い飯をあんたが用意できるとは思えない』――だったけか? お嬢みたいな娘に三食世話されちゃあんなことも言いたくなるね」


「……覚えてないな」


 俺はとぼけながらトーストに齧り付いた。サクッとした歯触りとバターの香りをレモン水で流し込む。


 どこか満足げに俺を見るシオリをにらみ返してやると、グラスを手にした夏姫が戻ってきた。


「お待たせ、カズマくん――あ、あっくんもう食べてる! カズマくん待ってあげなよ!」


「いや、お腹空いちゃってさ――」


 眉を吊り上げる夏姫に弁明する――が、夏姫はそれに反応する前にふらりとよろけた。慌てて立ち上がり、グラスと夏姫を支える。


「――夏姫ちゃん? 大丈夫?」


「――ごめん、あっくん。ありがと……なんだか急に眠くなっちゃって……」


「仕方ない――徹夜だったんだし」


 徹夜で俺たちの為にバーミンのことを調べ、その後は俺とカズマを心配しながら帰りを待っていたのだ。俺たちが無事帰ったことで張っていた気が緩んだのだろう。


 少し寝かせてあげようか。


「悪い、シオリ――そっち空けてくれる? 夏姫ちゃん寝かせてあげたいんだけど――」


 そう口にして顔を上げる。目に入ってきたのは俺の言葉に応えて席を詰めるシオリの姿ではなく、座したまま前屈みに眉間を押さえる彼女の姿だった。


 ――強烈な違和感を覚える。


 同時にどさっ、どさっと重い音が続けて響いた。音がした方に目を向けると黒服連中が床に伏している。支えた夏姫も完全に意識を失っていた。倒れないよう咄嗟に抱きかかえる――が、俺自身も目眩にも似た睡魔に襲われる。加えて微かに香る甘い香り。抱えた夏姫の髪の匂いなんかじゃない。


 朦朧とする頭でカズマくんたちを見る――カズマくんも兼定氏もシオリもテーブルに突っ伏していた。


 これは――亜酸化窒素か!?


 亜酸化窒素は全身麻酔に使用される麻酔薬だ。換気口からでも流し込まれていたのか? 呼吸器を使わずに薬物に抵抗力がある俺たち能力者を眠らせるとは相当な濃度だ。


 こんなことをする奴の心当たりは一つしかない。まさか連中がこんな手を使うとは――スカムと同じく病院でも抱え込んでいるのか?


 そんな思考もたちまち霧散する。


 なんとか睡魔に抵抗しようとするが、遠のいて行く意識を手繰ることはできず――俺は抱きかかえた夏姫ともども床に倒れ込んだ。


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