第5章 超越者たち ⑨
カランと乾いた音を立ててシオリのナイフが床に落ちる。
「……あんな恥を晒して、その上守りたくて遠ざけたあんたを、アタシ自身の手で殺せっていうのか……?」
泣いてはいなかった。涙は流れていない。けれどいつ涙がこぼれてもおかしくない――そんな表情でシオリが言う。
「あんたのせいじゃないけどね、あの小屋を出てからは正気でいられる時間は減ったよ。クスリが効いてる間だけハッピーで、あとは生きてるか死んでるかわかんないような毎日さ。仕事だって生きるためのものなんかじゃない。クスリのため。クスリを買って、余った金で食べる……そんな生活の果てがあんたと殺し合いだって? 勘弁してくれよ……あんたがアタシを殺してくれ」
「シオリ……」
呟いて彼女の顔を見る。この街を牛耳るスカム――その会長である天龍寺兼定の襲撃を果たした仕事人の顔には見えない。傷つき、疲れ果てた人間の顔だ。
そのままシオリはへたりこんでしまう。
「……シオリ!」
「……あんたに殺られるならアタシはツイてる方かもね。どこぞのクズに殺されるよか全然いいよ。さ、殺りな。まさかあいつにアタシを殺らせる、なんて不細工な真似はしないね?」
シオリが示す先には嘲笑を浮かべる辰神がいた。
その辰神が俺とシオリを誹る言葉を吐く。
「なんて顔してんだよ。悲劇の主人公気取りか? はっはっは。そのまま感傷に浸って死んでくれると大いに助かるぜ」
そう言ってその手の銃を掲げる。いつの間にか微妙に位置を変えている。嫌な位置取りだ。
「シオリが大好きなアタルくん。こいつを避けるとは言わねえよな? 避けても構わねぇが、お前が盾にならなきゃ大好きなシオリは確実に死んじまうぜ」
辰神は俺とシオリ――その延長線上に立ち位置を変えていた。俺が奴の銃撃を避ければシオリに当たる。かと言って避けずとも、あの威力なら俺を貫通してシオリに届くだろう。
シオリを犠牲にして、俺を殺るつもりか。
「……最初からシオリを使い捨てるつもりだったのか?」
「いいや? お前をスマートに処理できりゃそれでいいと思ってたさ。そいつにいくら報酬を渡したって、クスリを高値で売りつけてやりゃあいくらでも回収できるからな。まあそいつのメンタルじゃ、こういう結果もあり得るとは思ってたけどよ」
「……そうかよ」
勝ち誇った顔を見せる辰神。そして――
――不意にシオリが俺を突き飛ばした。能力者の力でだ。完全に油断していた俺は、堪えられずに二、三メートルほど後退する。
「気が変わった」
シオリは座り込んだまま、呟くように言う。
「あんたになら殺されていいとは思うよ。けど、別に死にたいって訳じゃない」
「シオリ……!」
「はっはっは。見捨てられたな」
何が面白いのか、辰神は高笑いだ。シオリを見ると、何か言いたげな目で俺を見つめ、にやりと笑う。
……なるほど、これは。
「いよいよ終わりだな。《魔眼(デビルアイズ)》の最期――」
辰神が俺に銃を向け直し、ぎくりとする。
「そうかもな。さあ、撃てよ」
そんな辰神を挑発するように、
「その大口径の銃で、な。貫通して栞ちゃんも殺すかもしれないけどよ」
俺の言葉に辰神の表情が歪む。
そう、シオリが俺を押し出した場所は栞ちゃんと辰神を結ぶ直線上だった。
「――シオリぃ!」
「お、アタシを撃つかい? いいんじゃない? 言っておくけど先に裏切ったのはあんただよ。アタシごとタケルを殺ろうとしてね。あんたに殺されてやる理由はない。やろうってんなら相手になるよ」
怒号をあげる辰神にシオリは立ち上がってしれっと言う。
その辰神に俺は一歩踏み出して。
「あんた、そのサディスティックな性格が災いしたな。べらべら喋ってないで撃てば良かったんだ」
人間の胴体は骨や筋肉の下に内臓が複雑に配置されている。俺の体を突き抜けた弾丸がそれらの影響を受けず、一直線に栞ちゃんに届く可能性は皆無と言えるだろう。
だが、万が一がないとも言えない。その万が一が起きてしまえば――じゃなければ俺が栞ちゃんを見捨てる選択をすれば、辰神がこうまでして栞ちゃんを拐った意味は無くなる。
勿論俺は栞ちゃんを見捨てることはしない。辰神が本当に撃てば、絶対になんとかする。
精神観測(サイコメトリー)の暴走で俺の思考を読んでいるかもしれない栞ちゃんに向け、切実に願う。絶対になんとかするから、今は何も言わないでくれ。
二歩、三歩と辰神に近づく。距離は二十メートルほどか。
「ほら、撃てよ」
「くっ――」
怒り、憎しみ、野望。それらが綯い交ぜになった目で俺を見る辰神。
けれど俺の目はもっと暗いだろう。報復に燃える目をしているはずだ。愛娘を誘拐された上裸に剥かれた相馬氏の、襲われた兼定氏の、隠したかった過去を暴かれたシオリの――
そして、夏姫の涙。それらの報復。
辰神の殺気が鋭くなる。覚悟を決めたか。引き金にかけた指に力が込められるのがはっきりと見えた。それを見た俺は床を蹴って駆け出し――
「ああああああああ――」
吠えた。脳裏を様々な顔がよぎる。夏姫、兼定氏、カズマくん、相馬氏、写真の栞ちゃんにシオリのものもだ。
開けない魔眼。ふざけるな。能力が使えない俺なんてちょっとばかり殺しが得意な程度の異能犯罪者でしかないじゃないか。今能力を使わなくて、いつ使うってんだ。
吠えながら集中して、集中して、集中して――
能力を発動させた。魔眼が開き、世界が減速する。
辰神の銃から殺意を纏った弾丸が放たれる。間延びしたように感じる銃声。二センチにも満たない弾頭が俺を穿たんと迫ってくる。
対して俺は丸腰だ。隠しナイフも使い、バトルナイフはシオリに蹴飛ばされた。装備らしい装備はグローブだけだが、こいつの防弾性能ではこの弾丸は防げない。
けれど俺は視界の端で捉えていた。シオリが取り落とした自分のナイフを拾い、射線上へと投げるのを。辰神の射撃タイミングを盗み、《夜鷹の縄張り(ホークアイ)》で射線を完璧に読んだ投擲。放たれたナイフは飛来する弾丸と交錯し――
ガキンと甲高い音が響く。ナイフは刀身が粉々に砕けた。激突で軌道が逸れた弾丸は、勢いはそのままに明後日の方向に飛んでいく。
それを見届けた俺はさらに加速する。驚愕に目を見開いた辰神に肉薄。そして――
「――あああああっ!」
詰め寄った勢いを殺さず、辰神の胸に渾身の拳打を叩き込んだ。重い打撃音と共に拳に僅かな反動が返ってくる。
無反動の会心の一撃とはいかなかったが、十二分な手応えだった。辰神は弾き飛ばされて数メートル後ろの壁に激突した。全身を強く打ち付け、銃を取り落としその場にズルズルと崩れ落ちる。
「がはっ……」
そして、喀血。胸骨は粉砕骨折、肺挫傷も免れないだろう。交通事故もかくやという勢いで壁に叩きつけてやったのだ、肩甲骨や後頭部にも相当なダメージを与えたはず。即死でなかったのが不思議なほどだ。
崩れ落ち、壁に持たれかかったまま口元に血風を漂わせる辰神に歩み寄る。こつこつとリノリウムを叩く足音に、辰神はびくりとして顔を上げた。
「わ……わかった。俺の負けだ。お前には今後一切逆らわねえ……」
「随分流暢に話すじゃんか。致命傷だと思ったんだけど」
言いながら辰神の落とした銃を拾い上げる。
「致命傷だぜ……胸も、肺も……両肩もいってるな。このままじゃ死んじまう……なあ、病院に連れてってくれよ……治癒能力者(ヒーラー)でもいい」
「……さっきまでとは随分態度が違うね。感心するよ」
血反吐を吐きながら喋る辰神に、俺はそう言って更に近づく。
「……なあ、アタル」
「もう黙れよ。あんたと話す事はない」
拾った銃を辰神に向ける。視界に入った銃を見てああそうだと気がついた。デザートイーグル。思い出した。たしか古い映画で脚光を浴びて有名になった銃だ。
だが、それも今はどうでもいい。引き金に指をかける。すると辰神は怯えた表情で捲し立てた。
「なあって! 死にたくねえよ! 栞の親からいくらで仕事受けたんだ? 十倍……いや、俺の全財産をくれてやる! だから……」
「知ってるだろ? 金にはそんなに興味ないんだよね、俺」
「た、助け……」
「断る。夏姫ちゃんを泣かせたこと、栞ちゃんを拐ったこと、シオリを嬲ったこと……どれ一つ許せない」
俺は辰神とは違う。殺すと決めた相手をいたぶる趣味はない。命乞いを聞いて悦に浸る趣味もない。
そして、辰神の言葉に耳を貸すつもりはもっとない。
「くたばれ」
引き金を引く。激しい反動。ホール内に銃声が響き――そして、辰神哲也という男はこの世界から永久に消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます